とんでもないゴミ部屋をピカピカにしたる
2007年12月15日 日常一昨日までのぼくの部屋ときたらどうみてもゴミ屋敷だった。
具体的にいえば、床はゴミ袋や衣類やその他雑貨の為に本当に足の踏み場がなく、衣類を踏んづけて移動していた。机の上も衣類が山積で、作業する時はそれらをベッドの上に全部放り投げていた。
キッチンも酷かった。洗い物をしないのでベタベタした食器がシンクにたまっているのだ。それだけならいいが、その周りにカップ麺の空きカップやレトルトカレーの空き袋などが散乱しており、めちゃくちゃに不衛生なキッチンで、一発で食中毒になりかねない環境だった。
そんなゴミ部屋にうんざりした僕は、重い腰をあげ、掃除しようと決心した。固い、決心だった。
でもまさかその後8時間もぶっ続けで掃除することになるとは、その時の僕は思いもしなかったけど。
一段決心した僕はいつの間にか「スイッチ」が入り、掃除マシーンと化していた。夜の11時から初めて、朝の7時くらいまで、ほぼノンストップでグイグイ掃除を断行し続けた。
朝の7時。
陽光こぼれる「新しい部屋」と対面する。
机はぴかぴかに磨かれ、また机の上に適当に放置していた雑貨も所定の位置に戻したので、ええ気分で作業ができるようになった。
床は要らないものが落ちていないので、すいすい動き回れる。気分がいい。
キッチンも頑固な油汚れから解放され、また食器もあるべき位置に置かれ、すぐにでも調理したいと思わせる。
布団カバーと枕カバーも一年ぶりに洗濯。布団本体も干す。
窓もサッシ含め、丁寧に布で汚れをふき取る。細かいところをきれいにすると、心に余裕が出てくる。
つい八時間前とは大きく違う、この整った部屋を前に、僕は大いに満足していた。
ただ、難しいのは、この状態を維持することだ。放っておけばエントロピー増大の法則に従って、部屋は元のゴミ部屋に舞い戻ってしまう。
面倒でも、使った物は所定の位置に戻す、毎日掃除機をかける、といったことを習慣にするしかないのだと思う。
きれいな部屋は思ったより気持ちいいので、この感覚は忘れないようにしたい。
具体的にいえば、床はゴミ袋や衣類やその他雑貨の為に本当に足の踏み場がなく、衣類を踏んづけて移動していた。机の上も衣類が山積で、作業する時はそれらをベッドの上に全部放り投げていた。
キッチンも酷かった。洗い物をしないのでベタベタした食器がシンクにたまっているのだ。それだけならいいが、その周りにカップ麺の空きカップやレトルトカレーの空き袋などが散乱しており、めちゃくちゃに不衛生なキッチンで、一発で食中毒になりかねない環境だった。
そんなゴミ部屋にうんざりした僕は、重い腰をあげ、掃除しようと決心した。固い、決心だった。
でもまさかその後8時間もぶっ続けで掃除することになるとは、その時の僕は思いもしなかったけど。
一段決心した僕はいつの間にか「スイッチ」が入り、掃除マシーンと化していた。夜の11時から初めて、朝の7時くらいまで、ほぼノンストップでグイグイ掃除を断行し続けた。
朝の7時。
陽光こぼれる「新しい部屋」と対面する。
机はぴかぴかに磨かれ、また机の上に適当に放置していた雑貨も所定の位置に戻したので、ええ気分で作業ができるようになった。
床は要らないものが落ちていないので、すいすい動き回れる。気分がいい。
キッチンも頑固な油汚れから解放され、また食器もあるべき位置に置かれ、すぐにでも調理したいと思わせる。
布団カバーと枕カバーも一年ぶりに洗濯。布団本体も干す。
窓もサッシ含め、丁寧に布で汚れをふき取る。細かいところをきれいにすると、心に余裕が出てくる。
つい八時間前とは大きく違う、この整った部屋を前に、僕は大いに満足していた。
ただ、難しいのは、この状態を維持することだ。放っておけばエントロピー増大の法則に従って、部屋は元のゴミ部屋に舞い戻ってしまう。
面倒でも、使った物は所定の位置に戻す、毎日掃除機をかける、といったことを習慣にするしかないのだと思う。
きれいな部屋は思ったより気持ちいいので、この感覚は忘れないようにしたい。
コメント