生きてます、
いやあ、生きるっていいねえ
いろんなことがあって、いろんなことができる。
イグザクトリー。面倒なこと、金のかかること、腹の立つこと、理解されなくてもうどうだってよくなること、そんなことが多い。まあ30にもなるとそんなことばっかり。
でも、まあ、とりあえず、生きていて、なんかたまに良いことがあって、毎日少しでも
知っていることやできることが増えたり、自分が人の役に立てたり、オナニーして最高の気分になったり…。
とりあえず、それだけでオッケー。
俺はもう、最近そんな感じ。
皆さんはどうですか?
いやあ、生きるっていいねえ
いろんなことがあって、いろんなことができる。
イグザクトリー。面倒なこと、金のかかること、腹の立つこと、理解されなくてもうどうだってよくなること、そんなことが多い。まあ30にもなるとそんなことばっかり。
でも、まあ、とりあえず、生きていて、なんかたまに良いことがあって、毎日少しでも
知っていることやできることが増えたり、自分が人の役に立てたり、オナニーして最高の気分になったり…。
とりあえず、それだけでオッケー。
俺はもう、最近そんな感じ。
皆さんはどうですか?
WEB上でキャラが一貫している人いるじゃないですか、
俺が敬愛するSさんはインターネット黎明期から活動している。早い話、15年選手だ。
彼は場末のようなブログから瞬く間に名を馳せ、そして伝説的なコピペを作った。
今は第一線からは退いたものの、Twitterでキレのある呟きを今もなお投下し続ける。
驚くのが、語り口調や、立ち位置、哲学、要するに「キャラ」が昔も今も変わらないのである。いま語っていることを15年前に持っていってもなんら違和感がないし、逆も然りなのである。
俺は違う。俺はいろんな作家や、Sさんのような有名ブロガーから文体をパクっていた。立ち位置もフラフラしている。要するにアホなことを基本的に喚いていながら、たまにカッコつけて政治的なことを書いたりする。かと思ったらポエムなんか書いてしまう。これはではいけません。
◇
一貫したキャラクターでずっとWEB上に君臨し続けることは、簡単ではない。
確固たる自分像があって、それに忠実であり続けることが必要だからだ。多くの人間にとって、確固たる自分像などあるわけがない。
大多数が俺みたいにぼんやりと生きている人間ばっかりで、昨日言ったことも忘れて、今日は昨日と真逆なことを言っているような人間ばかりだ。
というわけでブレずに一貫している人間は素晴らしい、という話でした。
逆に、危険な思想(例えばオウム真理教)をブレずに持たれ続けても困りものなんですがね。
俺が敬愛するSさんはインターネット黎明期から活動している。早い話、15年選手だ。
彼は場末のようなブログから瞬く間に名を馳せ、そして伝説的なコピペを作った。
今は第一線からは退いたものの、Twitterでキレのある呟きを今もなお投下し続ける。
驚くのが、語り口調や、立ち位置、哲学、要するに「キャラ」が昔も今も変わらないのである。いま語っていることを15年前に持っていってもなんら違和感がないし、逆も然りなのである。
俺は違う。俺はいろんな作家や、Sさんのような有名ブロガーから文体をパクっていた。立ち位置もフラフラしている。要するにアホなことを基本的に喚いていながら、たまにカッコつけて政治的なことを書いたりする。かと思ったらポエムなんか書いてしまう。これはではいけません。
◇
一貫したキャラクターでずっとWEB上に君臨し続けることは、簡単ではない。
確固たる自分像があって、それに忠実であり続けることが必要だからだ。多くの人間にとって、確固たる自分像などあるわけがない。
大多数が俺みたいにぼんやりと生きている人間ばっかりで、昨日言ったことも忘れて、今日は昨日と真逆なことを言っているような人間ばかりだ。
というわけでブレずに一貫している人間は素晴らしい、という話でした。
逆に、危険な思想(例えばオウム真理教)をブレずに持たれ続けても困りものなんですがね。
このブログを開設して10年ほど経った。
始めた当初は「童貞」がキーワードで、モテない男の悲哀をモチーフにして、バカバカしいことを書き連ねていた。
俺も早いもんで30間近だ。
童貞でもないし、結婚もしてるし、子供もいる、
まあ、どこにでもいるおっさんだわな。
昔のような「セックスへの飢え」や「女にモテたい」という欲がめっきり無くなった。それは俺が家庭を持ってしまったからだろう。なんというか、もう、面倒なのだ。万が一、嫁に不倫がばれて修羅場になるという想像をすると、ほかの女とセックスをしようという気が沸いてこない。
最近はもっぱら、オナニー。これですわ。
既婚者の男性諸君なら分かってもらえると思うが、オナニーは極めて大事だ。
既婚者の男性の幸せのバロメーターの一つに、間違いなく「オナニーの充実度」があるだろう。オナニーを我慢し続ける生活は苦痛だ。好きなAVを観ながら好きなタイミングで、自分の塩梅で出せる…。いやあ、たまりませんなあ。そんな快楽が制限されるのが、結婚生活だ。
いや正確には自室を持たない者の、結婚生活と書いたほうが正しいか。
自分の書斎や寝室があればそこで好きなだけやればよいが、それが無い人は大変だ。
嫁が風呂に入った瞬間や、買い物に行った隙、寝静まった深夜…。
まさに隙間時間を縫って、コソコソと惨めな気持ちでオナニーをしなければならない。別に悪いことをしているわけではないのだから堂々とシゴいていれば良いのだが、俺も日本男児だ。女に恥ずかしいところは見せられんのじゃ。
10年前はオナニーだけは思う存分できた。冗談抜きで12時間くらいずっとオナニーしていたことがある。イきそうになっては止め、イきそうになっては止め、を延々と繰り返していた。(このあたりは過去日記の「ベストオナニスト07」に詳しい)そんな、自由気ままな、奔放な、実験的なオナニーは、もう滅多にできない。
それは俺が歳を取った、ということなんだろう。学生の時の持て余すような有り余った時間、そしてセックスへのがむしゃらな渇望、社会とのあまりにも薄い接点、過剰なまでの自己愛。そういうものと、年を取るにつれて徐々に離れてきた。
「童貞なるもの」は哀しいかな、このブログの過去の記事にしか存在しない。
始めた当初は「童貞」がキーワードで、モテない男の悲哀をモチーフにして、バカバカしいことを書き連ねていた。
俺も早いもんで30間近だ。
童貞でもないし、結婚もしてるし、子供もいる、
まあ、どこにでもいるおっさんだわな。
昔のような「セックスへの飢え」や「女にモテたい」という欲がめっきり無くなった。それは俺が家庭を持ってしまったからだろう。なんというか、もう、面倒なのだ。万が一、嫁に不倫がばれて修羅場になるという想像をすると、ほかの女とセックスをしようという気が沸いてこない。
最近はもっぱら、オナニー。これですわ。
既婚者の男性諸君なら分かってもらえると思うが、オナニーは極めて大事だ。
既婚者の男性の幸せのバロメーターの一つに、間違いなく「オナニーの充実度」があるだろう。オナニーを我慢し続ける生活は苦痛だ。好きなAVを観ながら好きなタイミングで、自分の塩梅で出せる…。いやあ、たまりませんなあ。そんな快楽が制限されるのが、結婚生活だ。
いや正確には自室を持たない者の、結婚生活と書いたほうが正しいか。
自分の書斎や寝室があればそこで好きなだけやればよいが、それが無い人は大変だ。
嫁が風呂に入った瞬間や、買い物に行った隙、寝静まった深夜…。
まさに隙間時間を縫って、コソコソと惨めな気持ちでオナニーをしなければならない。別に悪いことをしているわけではないのだから堂々とシゴいていれば良いのだが、俺も日本男児だ。女に恥ずかしいところは見せられんのじゃ。
10年前はオナニーだけは思う存分できた。冗談抜きで12時間くらいずっとオナニーしていたことがある。イきそうになっては止め、イきそうになっては止め、を延々と繰り返していた。(このあたりは過去日記の「ベストオナニスト07」に詳しい)そんな、自由気ままな、奔放な、実験的なオナニーは、もう滅多にできない。
それは俺が歳を取った、ということなんだろう。学生の時の持て余すような有り余った時間、そしてセックスへのがむしゃらな渇望、社会とのあまりにも薄い接点、過剰なまでの自己愛。そういうものと、年を取るにつれて徐々に離れてきた。
「童貞なるもの」は哀しいかな、このブログの過去の記事にしか存在しない。
人に音楽を薦められてもなぜかまったく聴こうとは思わない。
たぶん、同様に、俺がこのブログで紹介してきた音楽もほとんど聴かれていないのだろう。
♦
20代後半になって新しい音楽を聴こうとする努力をまったくしなくなった。かつては(ジャンルは絞っていたが)ゲオなんかに行って片っ端からCDをレンタルして聴いたものだ。当然、たいていは1度きりのつきあいだったわけだが。
今はそんな元気はまったくない。
10代後半~20代前半に聴いたアルバムを何度も聴き直したり、そのころから聴いているバンド・グループでまだ所有していないCDやBlu-rayを購入したりしている。
ロックを聴いてて保守的になっててどうするんだって話ですが。
さみしいもんだね。
たぶん、同様に、俺がこのブログで紹介してきた音楽もほとんど聴かれていないのだろう。
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20代後半になって新しい音楽を聴こうとする努力をまったくしなくなった。かつては(ジャンルは絞っていたが)ゲオなんかに行って片っ端からCDをレンタルして聴いたものだ。当然、たいていは1度きりのつきあいだったわけだが。
今はそんな元気はまったくない。
10代後半~20代前半に聴いたアルバムを何度も聴き直したり、そのころから聴いているバンド・グループでまだ所有していないCDやBlu-rayを購入したりしている。
ロックを聴いてて保守的になっててどうするんだって話ですが。
さみしいもんだね。
死んだ魚のような眼をして日々を薄く塗り潰し続ける人
2013年11月10日 お仕事うちの親父は本当に働き者で昼も夜も土日もなく働いている。還暦を過ぎたいまは多少ペースを落としているようだが、齢の割には大変そうである。
自分の好きな仕事を職人的に淡々とやりたいのだが、立場的にそれが出来ないから少し歯痒いらしい。
俺みたいな(比較的)若い男にとっては、親父は(おそらく)余生を過ごすには十分な金は既に稼いだのだから、早々にリタイアしプラプラすればよいのになあ、と思ってしまう。だが、利害関係者とのつながりもあるし、仕事を辞めても特にすることもないし、仕事自体も好きだし、これからも頑張っていくという旨のことを言っている。
俺は素直に尊敬するし、かっこいいなあと思う。俺の会社の上司は、なんというか、しょうがないことだけど、齢を無駄に重ねた産廃みたいな人もいっぱいいる。俺が知らい所で頑張っているのかもしれないし、経験がモノを言うことだってたくさんある、その意味で一概に産廃などと表現すると怒られるかもしれないが、まあ、俺から見て産廃なのだから仕方ない、その産廃の人生が親父と比較してどっちが幸せそうか。
自分の仕事を子供に向かって「好きだ」と自信を持って言えて、利害関係者にも信頼してもらえる男というのは、たぶん、すごいことなんだと思う。それが果たして幸せかどうかは、わからないけどね。
でもせめて、自分の子供が出来た時に、「俺はこう言う仕事をしている、悪くない仕事だぞ」と言いたいよね。幾ら貰っているとか待遇がどうとかという目に見えるものも大事だけど、日々の仕事の根幹に「仕事に対する誇り」がないと、さすがにやりきれない。何しろ日常のことだからね。
そしてその誇りは誰かが与えてくれるものではなくて、自らが実感として心に落としこむことで初めて機能する。産廃たちはその誇りを維持すること・ないし追求することを「諦めた」人種だ。
本音を言うと、さすがに平日の朝、仕事に行くために早起きするのは辛いし、残業もしんどいし、好き勝手仕事をぶん投げてくる上司にはちょっと辟易する。諦めたくもなる。
でも、死んだ魚のような眼をして日々を薄く塗り潰し続けたって、仕様がないもんね。
自分の好きな仕事を職人的に淡々とやりたいのだが、立場的にそれが出来ないから少し歯痒いらしい。
俺みたいな(比較的)若い男にとっては、親父は(おそらく)余生を過ごすには十分な金は既に稼いだのだから、早々にリタイアしプラプラすればよいのになあ、と思ってしまう。だが、利害関係者とのつながりもあるし、仕事を辞めても特にすることもないし、仕事自体も好きだし、これからも頑張っていくという旨のことを言っている。
俺は素直に尊敬するし、かっこいいなあと思う。俺の会社の上司は、なんというか、しょうがないことだけど、齢を無駄に重ねた産廃みたいな人もいっぱいいる。俺が知らい所で頑張っているのかもしれないし、経験がモノを言うことだってたくさんある、その意味で一概に産廃などと表現すると怒られるかもしれないが、まあ、俺から見て産廃なのだから仕方ない、その産廃の人生が親父と比較してどっちが幸せそうか。
自分の仕事を子供に向かって「好きだ」と自信を持って言えて、利害関係者にも信頼してもらえる男というのは、たぶん、すごいことなんだと思う。それが果たして幸せかどうかは、わからないけどね。
でもせめて、自分の子供が出来た時に、「俺はこう言う仕事をしている、悪くない仕事だぞ」と言いたいよね。幾ら貰っているとか待遇がどうとかという目に見えるものも大事だけど、日々の仕事の根幹に「仕事に対する誇り」がないと、さすがにやりきれない。何しろ日常のことだからね。
そしてその誇りは誰かが与えてくれるものではなくて、自らが実感として心に落としこむことで初めて機能する。産廃たちはその誇りを維持すること・ないし追求することを「諦めた」人種だ。
本音を言うと、さすがに平日の朝、仕事に行くために早起きするのは辛いし、残業もしんどいし、好き勝手仕事をぶん投げてくる上司にはちょっと辟易する。諦めたくもなる。
でも、死んだ魚のような眼をして日々を薄く塗り潰し続けたって、仕様がないもんね。
いかにしてTheRolling Stonesを聴き続けてきたか
2013年10月18日 エッセイ2006年にこのブログを開設し、はや7年が経過している。
7年経って思うのが、人間というのはそうそう簡単に変わらねえなぁということだ。
俺は10代の頃は人間は自分が頑張れば、思うような人間になれるとなかば牧歌的に・花畑的に信じていたところがあった。
10代後半から20代前半にかけて、「あれ、これはちょっと違うかも」と思い始めて、だが、それを認めたくないがためになかば強情になって、自分が思うような境遇でないことを正当化するために、他者・環境を批判しがちになるようになった。
それでも「まあ俺はそれでも世界でたった一人の俺なのだから、たぶん、何かそれなりの歴史的な事をやってのけるだろうな」とアホみたいな顔して信じていた。
そして、いまも10代の頃のピュアーな自己に対する無根拠な自信と、不都合な事実を直視しない不遜な態度を貫き、なんとか、まあ、フワッと生き続けている。
7年でじゃあ何が変わったか?シモネタがそれほど好きじゃなくなった、仕事をなんとか続けられるくらいの忍耐力がついた、肩こりになった、その程度だ。それ以外の根本的な人生観や、差別的な意識や、好きな音楽や、恐ろしいほどの怠惰は、まったく変わっていない。
だが、近年の傾向として、変わらないことを俺は受け入れつつある。10代の頃は、とにかく「変わらないといけない」という強迫観念があった。その発端を端的に言うと俺の才能の問題だが、それはいつも俺を悩ませた。具体的な事例を一切省き、あまりにも解りやすく書くと「お前は無力で、無能で、陰気で、女にもまったく相手にされないどうしようもない男だ」という意識が、常に俺の中にあった。
いまは、もうそれは20後半にもなったら、少しずつ受け入れていくしかないんじゃないか、と思い始めている。諦めることとは違う。諦めということは、対象に対してまったく興味をなくしてしまうことだ。
受け入れるというのは、対象に対し、自分自身とどう折り合いを付けるかを考えるということだ。
これからも一時期に比べ頻度は落ちるかもしれないがブログは書き続けていきたい。
7年前と変わらずRolling Stonesを聴きながら。
7年経って思うのが、人間というのはそうそう簡単に変わらねえなぁということだ。
俺は10代の頃は人間は自分が頑張れば、思うような人間になれるとなかば牧歌的に・花畑的に信じていたところがあった。
10代後半から20代前半にかけて、「あれ、これはちょっと違うかも」と思い始めて、だが、それを認めたくないがためになかば強情になって、自分が思うような境遇でないことを正当化するために、他者・環境を批判しがちになるようになった。
それでも「まあ俺はそれでも世界でたった一人の俺なのだから、たぶん、何かそれなりの歴史的な事をやってのけるだろうな」とアホみたいな顔して信じていた。
そして、いまも10代の頃のピュアーな自己に対する無根拠な自信と、不都合な事実を直視しない不遜な態度を貫き、なんとか、まあ、フワッと生き続けている。
7年でじゃあ何が変わったか?シモネタがそれほど好きじゃなくなった、仕事をなんとか続けられるくらいの忍耐力がついた、肩こりになった、その程度だ。それ以外の根本的な人生観や、差別的な意識や、好きな音楽や、恐ろしいほどの怠惰は、まったく変わっていない。
だが、近年の傾向として、変わらないことを俺は受け入れつつある。10代の頃は、とにかく「変わらないといけない」という強迫観念があった。その発端を端的に言うと俺の才能の問題だが、それはいつも俺を悩ませた。具体的な事例を一切省き、あまりにも解りやすく書くと「お前は無力で、無能で、陰気で、女にもまったく相手にされないどうしようもない男だ」という意識が、常に俺の中にあった。
いまは、もうそれは20後半にもなったら、少しずつ受け入れていくしかないんじゃないか、と思い始めている。諦めることとは違う。諦めということは、対象に対してまったく興味をなくしてしまうことだ。
受け入れるというのは、対象に対し、自分自身とどう折り合いを付けるかを考えるということだ。
これからも一時期に比べ頻度は落ちるかもしれないがブログは書き続けていきたい。
7年前と変わらずRolling Stonesを聴きながら。
『プロフェッショナル仕事の流儀-本田圭佑-』
2013年3月25日 TVいやあ、素晴らしかったね。いたく感動しました。
本田圭佑氏出演の『プロフェッショナル仕事の流儀』。
プロのスポーツ選手というのは俺のような日本のサラリーマンとは全く別の生き方が真髄だ。
彼らアスリートは、己の人生を「卓越したスキル」のみで成立させている。だからチームにぶら下がって属するとか、腰掛けでチームに属するということは余程のスター選手でしかあり得ない。
彼らプロのスポーツ選手の生き方は見ようによっては「リスキー」だと映るかもしれない。俺だってそう思う。だが、彼らは本質的に「自由」な生き方を選択していると思う。「明日どうなるか分からない、だが俺はこの競技に命をかけている」という情熱に、「自由」の概念を見た。
身を削り、精神を摩耗させ、激烈な競争を勝ち抜く、そういった行為そのものに自由を感じた。当然、結果が出ない時だってあるだろう。怪我をする時だってあるだろう。彼らプロのスポーツ選手はそういう時、どうやって平静を保っているのか?
本田圭佑氏は言う。(メモを取りながら見たわけではないのでいずれも盛男が多少脚色している。そのままの言葉を本田圭佑氏が話したわけではない。)
「俺はね、どんなことがあっても、自分を信じるんですよ、信じ続けるんです。俺なら絶対できる、ってね。信じることは希望です。俺が信じ続ける限りにおいて、希望は消えない。だから俺は信じ続ける」
「いや、ことサッカーに関して自分は凡人だと思ってるんですよ。でも、諦めてないんですね。理想と程遠いプレイをすることだってあります。しょちゅうですよ。でもね、やれる、って信じてるんです。思い描く理想のプレイを思い描く舞台でやれるってね」
「僕(本田圭佑)が怪我したとき、みなさんは同情的な眼で見てくれたかもしれません。可哀想な人だな、と思ったかもしれません。でもね、俺は全然そんなこと思っていない。むしろ、怪我をしたことによって成長できたと思っています。障壁はね、神様が与えてくれるものなんです。神様が成長せえよ、って与えてくれるものなんです。考え方なんです。」
たしかに、多少強引に思える箇所もあるかもしれない。だが、それは瑣末な問題だ。
偏執的なまでの信念によって、彼のプライドは支えられている。理想と現実のギャップにもがき苦しみながらも、怪我に悩まされながらも、彼は信じ続けることをやめない。
己が自分で選択した人生に、そう、自由に選択した人生に、きっちりと責任を持とうとする態度に、俺はいたく感動してしまったのだ。
余談だが、彼は何の因果か、俺と同い年だ。同い年のくせに、俺よりかなり先に行っているな、と感じる。同世代にこんなに偏執的な奴がいるんだと思うと、ちょっと頑張ってみようかなって、思いました
NHK、良い仕事でした。
(観なかった人はホント残念です。そのうち再放送すると思うから随時ウォッチして欲しい。)
本田圭佑氏出演の『プロフェッショナル仕事の流儀』。
プロのスポーツ選手というのは俺のような日本のサラリーマンとは全く別の生き方が真髄だ。
彼らアスリートは、己の人生を「卓越したスキル」のみで成立させている。だからチームにぶら下がって属するとか、腰掛けでチームに属するということは余程のスター選手でしかあり得ない。
彼らプロのスポーツ選手の生き方は見ようによっては「リスキー」だと映るかもしれない。俺だってそう思う。だが、彼らは本質的に「自由」な生き方を選択していると思う。「明日どうなるか分からない、だが俺はこの競技に命をかけている」という情熱に、「自由」の概念を見た。
身を削り、精神を摩耗させ、激烈な競争を勝ち抜く、そういった行為そのものに自由を感じた。当然、結果が出ない時だってあるだろう。怪我をする時だってあるだろう。彼らプロのスポーツ選手はそういう時、どうやって平静を保っているのか?
本田圭佑氏は言う。(メモを取りながら見たわけではないのでいずれも盛男が多少脚色している。そのままの言葉を本田圭佑氏が話したわけではない。)
「俺はね、どんなことがあっても、自分を信じるんですよ、信じ続けるんです。俺なら絶対できる、ってね。信じることは希望です。俺が信じ続ける限りにおいて、希望は消えない。だから俺は信じ続ける」
「いや、ことサッカーに関して自分は凡人だと思ってるんですよ。でも、諦めてないんですね。理想と程遠いプレイをすることだってあります。しょちゅうですよ。でもね、やれる、って信じてるんです。思い描く理想のプレイを思い描く舞台でやれるってね」
「僕(本田圭佑)が怪我したとき、みなさんは同情的な眼で見てくれたかもしれません。可哀想な人だな、と思ったかもしれません。でもね、俺は全然そんなこと思っていない。むしろ、怪我をしたことによって成長できたと思っています。障壁はね、神様が与えてくれるものなんです。神様が成長せえよ、って与えてくれるものなんです。考え方なんです。」
たしかに、多少強引に思える箇所もあるかもしれない。だが、それは瑣末な問題だ。
偏執的なまでの信念によって、彼のプライドは支えられている。理想と現実のギャップにもがき苦しみながらも、怪我に悩まされながらも、彼は信じ続けることをやめない。
己が自分で選択した人生に、そう、自由に選択した人生に、きっちりと責任を持とうとする態度に、俺はいたく感動してしまったのだ。
余談だが、彼は何の因果か、俺と同い年だ。同い年のくせに、俺よりかなり先に行っているな、と感じる。同世代にこんなに偏執的な奴がいるんだと思うと、ちょっと頑張ってみようかなって、思いました
NHK、良い仕事でした。
(観なかった人はホント残念です。そのうち再放送すると思うから随時ウォッチして欲しい。)
好意を寄せている対象に自分の思うがままであって欲しいと思うのは普遍的な感情ではないだろうか。そのまま思うだけであればまだ良いのだが、思うがままである状態であることを相手に強要する人間がいる。難しいのは、その強要が非常に合理的・常識的な状態への強要であることも、場合としては、ありえるし、俺が推察するに、多くのの暴力的な支配の前兆には、そういった合理的・常識的な状態への強要があるのだと思う。
人は人を、支配できるかという問題はさて置いておいて、いちど対象が自分の支配に及ぶと判断すると、そのレンジは、次第に拡大する。口頭での支配から、精神的な支配、最後には暴力的な支配へ、不可逆に進行していく。(当然ごくごく稀に例外もあるだろう)しかしながら、強要される側というのは決して心の底からは納得しないものである。彼女・彼にはそれなりの理屈があるが、それは互いに簡単には理解されない。いや、理解を放棄しているからこそ、支配的な関係が生まれるのではないか。それを認識し、その上で支配的な関係を結ぶ、というのは、ある意味で、理想的な関係なのかもしれないが。
人は人を、支配できるかという問題はさて置いておいて、いちど対象が自分の支配に及ぶと判断すると、そのレンジは、次第に拡大する。口頭での支配から、精神的な支配、最後には暴力的な支配へ、不可逆に進行していく。(当然ごくごく稀に例外もあるだろう)しかしながら、強要される側というのは決して心の底からは納得しないものである。彼女・彼にはそれなりの理屈があるが、それは互いに簡単には理解されない。いや、理解を放棄しているからこそ、支配的な関係が生まれるのではないか。それを認識し、その上で支配的な関係を結ぶ、というのは、ある意味で、理想的な関係なのかもしれないが。
情報の取捨選択についての金言
2013年2月13日 エッセイ情報を常に検索できる端末を持ち運びできることは有益だ。
有益だが、「もっと本当は知るべきこと・考えるべきこと」を棚上げし、目先の馬鹿みたいなクーポン・くだらない豆知識の収集に奔走してしまってはいないか、常に自戒すべきだろう。情報の取捨選択とは、液晶画面の中の話以前の段階から始まっている。
有益だが、「もっと本当は知るべきこと・考えるべきこと」を棚上げし、目先の馬鹿みたいなクーポン・くだらない豆知識の収集に奔走してしまってはいないか、常に自戒すべきだろう。情報の取捨選択とは、液晶画面の中の話以前の段階から始まっている。
浜田省吾かっこええわぁ~。
もし、もしもの話だが、オレに子供ができたら、浜田省吾って名前にしよ。俺の苗字は森なんだが、子供のフルネームを森浜田省吾にしよ。俺の子供羨ましいわぁ~。浜田省吾成分100%含んでてほんと羨ましいわぁ~。
もし、もしもの話だが、オレに子供ができたら、浜田省吾って名前にしよ。俺の苗字は森なんだが、子供のフルネームを森浜田省吾にしよ。俺の子供羨ましいわぁ~。浜田省吾成分100%含んでてほんと羨ましいわぁ~。
夜は白ワインを痛飲している。激安の白ワインを痛飲している。0.75Lで320円の白ワインを痛飲している。
ワインの味などまったく分からない。
分かるのはとにかく白ワインというのは意外と安くて、キンキンに冷やしたら水のようにがぶ飲みできて、その後世界が回るまで酔っぱらえるということだ。
ツマミは、刺身だ。スーパーで半額で買った刺身をつまみに、スチロール樹脂製の使いきりコップになみなみと注いだ白ワインを鯨飲し、死んだように眠る。日々がこの繰り返しで、嫌になる。嫌になるが、飲まないともっと嫌になる。
ワインの味などまったく分からない。
分かるのはとにかく白ワインというのは意外と安くて、キンキンに冷やしたら水のようにがぶ飲みできて、その後世界が回るまで酔っぱらえるということだ。
ツマミは、刺身だ。スーパーで半額で買った刺身をつまみに、スチロール樹脂製の使いきりコップになみなみと注いだ白ワインを鯨飲し、死んだように眠る。日々がこの繰り返しで、嫌になる。嫌になるが、飲まないともっと嫌になる。
最近オレの仕事スピードがあまりにも早く・速くなりすぎて、
定時帰りを連発している。オレがいつも1番初めに帰るのでなんかオレが楽しているみたいなそんな空気が出てきてしまっており、危惧をしている。
昼休みも漫然とヨダレ垂らして寝ぼけている主任を尻目に、ブラインドタッチを加速させているなど影の努力をしているが、寝ぼけた主任はそんなことに気づいていない。
おそらく、「うわー盛男定時帰りだし、超楽してるわ~、仕事振りまくってやろ~」と考えているに相違ない。オレが帰る際のあの「え?もう帰るの?嘘でしょ?」みたいなおろおろした挙動不審な眼を見ると、それは火を見るより明らかである。
今後のオレの課題とすると、いかに定時で帰りながらも、寝ぼけ主任どもに、
「うわー、あの圧倒的仕事量を抱えた盛男が早く帰るということは、逆に・翻って考えてみるとオレの仕事のスピードが遅いということなのかなあ?」と気づかせてやることであり、そして無駄に残業をし経費を圧迫している害虫社員に対して「君たちの仕事は所詮、自己満足の域を出ていない」と明確に気づかせることだ。
平社員にしてはかなり重大な使命だと感じているが
とにかく、啓蒙。定時帰りによる啓蒙。これを続けていきたいと考える。
定時帰りを連発している。オレがいつも1番初めに帰るのでなんかオレが楽しているみたいなそんな空気が出てきてしまっており、危惧をしている。
昼休みも漫然とヨダレ垂らして寝ぼけている主任を尻目に、ブラインドタッチを加速させているなど影の努力をしているが、寝ぼけた主任はそんなことに気づいていない。
おそらく、「うわー盛男定時帰りだし、超楽してるわ~、仕事振りまくってやろ~」と考えているに相違ない。オレが帰る際のあの「え?もう帰るの?嘘でしょ?」みたいなおろおろした挙動不審な眼を見ると、それは火を見るより明らかである。
今後のオレの課題とすると、いかに定時で帰りながらも、寝ぼけ主任どもに、
「うわー、あの圧倒的仕事量を抱えた盛男が早く帰るということは、逆に・翻って考えてみるとオレの仕事のスピードが遅いということなのかなあ?」と気づかせてやることであり、そして無駄に残業をし経費を圧迫している害虫社員に対して「君たちの仕事は所詮、自己満足の域を出ていない」と明確に気づかせることだ。
平社員にしてはかなり重大な使命だと感じているが
とにかく、啓蒙。定時帰りによる啓蒙。これを続けていきたいと考える。
なんなんですか、10月なのに、めちゃくちゃ暑いです。だいたい僕が子供の頃は10月だと完全に長袖で、逆に半袖なんか着てたらずぼらな家庭の子みたいな感じでみんな言わずとも内心馬鹿にする風潮がありました。
いま僕は完全にずぼらな家庭の子みたいになっており、もうほんとやるせないです。この暑さ、ほんとうにやるせないです。
いま僕は完全にずぼらな家庭の子みたいになっており、もうほんとやるせないです。この暑さ、ほんとうにやるせないです。
税金はらいたくないよー!!
●【生活保護を問う】外国人受給 帰国せず際限なき膨脹 「厳しい入国管理行政を」(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121001/trd12100100340000-n2.htm
●【生活保護を問う】外国人受給 帰国せず際限なき膨脹 「厳しい入国管理行政を」(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121001/trd12100100340000-n2.htm
結局オレは自由を選んだということになるのかもしれない。
まあここでは詳しくは書けないがとにかく、ちょっとした節目、折目、区切りを付ける事になった。当然オレも鬼の子ではないし、妖怪でもないから、今回の決断には鬼の目にも涙というか、まあそういう形になっている。
自分の人生において最重要の判断基準は何か?
オレはそれを限りなく深く視すえ、そしてそれに犬のように忠実だからこそ、判断ができた。おそらく自分の判断基準が不明瞭な輩であればもう、何が何やらよくわからなくなり、だらだらだらと結論を先送りにし、結局、自分も相手も不幸にしてしまっただろう。
●
ある意味で、今日から0からのスタートだ。
「0から」というのは決して悪くない。真っ白のキャンバスを目の前にした時の高揚感と言えば、少しはわかってくれるだろうか。
まあここでは詳しくは書けないがとにかく、ちょっとした節目、折目、区切りを付ける事になった。当然オレも鬼の子ではないし、妖怪でもないから、今回の決断には鬼の目にも涙というか、まあそういう形になっている。
自分の人生において最重要の判断基準は何か?
オレはそれを限りなく深く視すえ、そしてそれに犬のように忠実だからこそ、判断ができた。おそらく自分の判断基準が不明瞭な輩であればもう、何が何やらよくわからなくなり、だらだらだらと結論を先送りにし、結局、自分も相手も不幸にしてしまっただろう。
●
ある意味で、今日から0からのスタートだ。
「0から」というのは決して悪くない。真っ白のキャンバスを目の前にした時の高揚感と言えば、少しはわかってくれるだろうか。
秋@The Police
2012年9月27日 エッセイ「秋になると…」という出だしで毎年秋にまつわる話をこのブログでは書いているが、
秋になるとポリスを聴きたくなる。当然ギリシア語の都市国家の意味でもないし、警官隊を意味する英語でもないし、御存知の通りthe police、イギリスの伝説的なロックバンドのことを意味する。
なぜかは分からない。
あの音の密度の低い、乾いたロックを聴いていると秋を実感するのだ。
Message In A Bottle / The Police
http://www.youtube.com/watch?v=ST11pDWg5oU
秋になるとポリスを聴きたくなる。当然ギリシア語の都市国家の意味でもないし、警官隊を意味する英語でもないし、御存知の通りthe police、イギリスの伝説的なロックバンドのことを意味する。
なぜかは分からない。
あの音の密度の低い、乾いたロックを聴いていると秋を実感するのだ。
Message In A Bottle / The Police
http://www.youtube.com/watch?v=ST11pDWg5oU
2012年あえてのブログ推し。
2012年9月18日 エッセイ コメント (3)ある人の日記を過去(といっても数ヶ月レベルですが)から見ていったんですけど、泣けました。
なにも、特別に劇的な内容があるわけでもないし、波瀾万丈のストーリーがあるわけでもないし、人が死んだり生き返ったりするようなこともない。
筆者は女性で、主に彼女の心の動き(恋愛がメインですね)を辿ったたブログだ。彼女のその時のあるがままの感情が静かに、それでいて正直であろうとする意思のもと記されていて、読んでいて心地が良い。要するに、無理をしていないのだ。無理をしていないということは、素直に心に響いてくるということでもある。
彼女の吐露するような言葉になぜか男である俺、26にもなった俺は感動を覚えた。Twitterのような細切れの言葉でもなく、SNSに書かれる身内を意識した嫌に閉鎖的な表現でもなく、ひとかたまりの正直な文章の連続だからこそ、感動はより深まったのだと思う。
俺もかれこれブログを通算8年くらいやっているけど、まだまだ捨てたもんじゃないな、と思いました。アホみたいな下ネタがオレの歴史みたいになっているけど、とりあえずその線でこれからも頑張っていくしかないな、と思いました。おわり。
なにも、特別に劇的な内容があるわけでもないし、波瀾万丈のストーリーがあるわけでもないし、人が死んだり生き返ったりするようなこともない。
筆者は女性で、主に彼女の心の動き(恋愛がメインですね)を辿ったたブログだ。彼女のその時のあるがままの感情が静かに、それでいて正直であろうとする意思のもと記されていて、読んでいて心地が良い。要するに、無理をしていないのだ。無理をしていないということは、素直に心に響いてくるということでもある。
彼女の吐露するような言葉になぜか男である俺、26にもなった俺は感動を覚えた。Twitterのような細切れの言葉でもなく、SNSに書かれる身内を意識した嫌に閉鎖的な表現でもなく、ひとかたまりの正直な文章の連続だからこそ、感動はより深まったのだと思う。
俺もかれこれブログを通算8年くらいやっているけど、まだまだ捨てたもんじゃないな、と思いました。アホみたいな下ネタがオレの歴史みたいになっているけど、とりあえずその線でこれからも頑張っていくしかないな、と思いました。おわり。
「明るい性格」と河原の石ころ
2012年7月30日 エッセイ明るい性格を定義せよ、と言われたらどう答えるか。
たとえばコメディアンは明るい人間だろうか?ミスタービーンは明るい人間だろうか?松本人志は明るい人間だろうか?立川談志は明るかっただろうか?
求人の際、バカの一つ覚えみたいに「コミュニケーション能力の高さを要求する」という文言が乱れ飛ぶが、コミュニケーション能力の根底にあるのは、間違いなく「明るさ」だ。
明るさの素質は、俺の考えで言うと次のような素質(生い立ち)を持った人間だ、すなわち、両親の愛情を十分に受けて育った、他者と比較して卑屈にならない、身の丈を知っている、偏執的ではない…。
大きく言うと、欠損のない人間だ。
イメージとすると、河原の石を想像すればわかりやすいかもしれない。
丸く、すべすべしていて、触ると気持ちいい。
「なんかこいつといると無条件的に安心できるし、楽しい」というイメージ。これが明るさの源泉だ。
欠損は、時に偉大な才能に転化しうる(特に芸術の世界では)が、
日本では偉大な才能よりも角が取れ、極限まで丸くなった丸っこい人間が好まれているらしい。いや、気持ちはよく分かりますけど。
たとえばコメディアンは明るい人間だろうか?ミスタービーンは明るい人間だろうか?松本人志は明るい人間だろうか?立川談志は明るかっただろうか?
求人の際、バカの一つ覚えみたいに「コミュニケーション能力の高さを要求する」という文言が乱れ飛ぶが、コミュニケーション能力の根底にあるのは、間違いなく「明るさ」だ。
明るさの素質は、俺の考えで言うと次のような素質(生い立ち)を持った人間だ、すなわち、両親の愛情を十分に受けて育った、他者と比較して卑屈にならない、身の丈を知っている、偏執的ではない…。
大きく言うと、欠損のない人間だ。
イメージとすると、河原の石を想像すればわかりやすいかもしれない。
丸く、すべすべしていて、触ると気持ちいい。
「なんかこいつといると無条件的に安心できるし、楽しい」というイメージ。これが明るさの源泉だ。
欠損は、時に偉大な才能に転化しうる(特に芸術の世界では)が、
日本では偉大な才能よりも角が取れ、極限まで丸くなった丸っこい人間が好まれているらしい。いや、気持ちはよく分かりますけど。
企業が学生に求めるのは「コミニュケーション能力」 9年連続第1位、経団連調べ
2012.7.30 14:08
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120730/biz12073014090006-n1.htm