何だかんだ言って、オメェ、自分がかわいいだけだろ?
2006年12月8日 エッセイ刺激的なタイトルでこんばんは。
あと、今日は別段笑えるところはなく、
ひたすら暗いだけのテキストなので、
そーゆーのが嫌いな方はヌルーしてください。
最近(ここ二週間ほど)気が立っておさまらない。
何にイライライライラしているのか、自分でも分からない。
ただ気がついたら心此処に在らず。
いや、あるのかもしれないがいつもの平安な場所にないのだ。
だから有象無象の学生に対して、
「この屑どもが!」と一人ごちてみたり、
やかましい騒音を耳にするたび、
「じゃかあっしゃあ!!!」
と猛然と叫びたくなったり、
いちゃつくアベックを目撃すれば、
「問答無用でしばき倒す。」
とボソっと嘯いたり、
つり銭を渡すのにもたもたするコンビニエンス・ストーの店員にたいして、
「ドン臭い餓鬼が!はよせんかい!!!
お前がのろのろしよる時間は、誰の時間やと思っとんじゃあァァァ!!!」
と絶叫したくなったりする。
要するに。なんかむかつく。そーいうマインド。
なぜ、そういった穏やかではない心境に今の自分がいるのか、
と少し考えてみたところ、
それはまぁ、失恋っつー時代を超え、国を超え、性差を超えたまぁ普遍的な悲しみによるものなのだろうけれども、
だがそれは決して答えではなく、
ただの悲しみの発生要因でしかない。
失恋のどの要素によって自分のハートは痛めつけられたか、
まぁそういったことを考えなければ根本的な解決にはならんよね。
で、今の自分と言うのは馬鹿なもので、
そんなことはサッパリ分からず、
ただただ、失恋という事実のみに縛られ、本質、イギリス語でいうところのエッセンスを全く鑑みていないわけで、
それはたぶん、怖いからである。
何が怖いって、冷静に自分を分析、および省みるというのは、
いってみれば自分の欠点、短所、要するに駄目なところを探す、という作業を多分に含むため、
「できるだけ自分は誰にも責められたくなくない。傷つかず、楽して生きていきたいんだよね、僕ちんは。」
なぞと思っている自分にとって、
それはそれは恐ろしい行為なのである。
であるから、建設的な考えなんて全くせず、
「あーイラつく。」
といい、自己の世界の中に閉じこもり、外界のしゃらくさい人間どもを心の中で愚弄、罵倒していれば、前述したおぞましい行為(内省)をせずとも、
攻撃の作用でなんだかスッキリしたような、気持ちになれるのである。
だがそこには何の生産性もないし、
逆にウチへウチへ考えることにより、
他人という概念が希薄化し、
とんでもなく自己中心的な人間になってしまう、
という弊害を産むわけで、これはよろしくないよね。
ってんで、ちったあ人とふれあい、語らい、騒ぎ、楽しみのマインドになってみようかしら、と思い、友人と飲みかつ食らい、そして語らったりしても、
その楽しみのマインドは虹のように儚く、帰路ではすっかり
「あー誰かしばきてー。」
などと嘯く始末。
根本的な解決がのぞまれるね。
でも、前述したとおり、そのエッセンスっつーのは、
直視するのに躊躇われるようなおぞましいものだろうし、
そもそもとして、そのエッセンスっつーのが在るのか、無いのか、ということもよく分からん。
バイオリズムの関係で、今、自分の体はそういう時期なだけ、
という可能性もあるしね。
このような暗澹とした心持ちでは到底短い学生生活を、楽しく、明るく、快活に送ることは困難だと思われるので、
心機一転、久しぶりにミスチル(正式名称Mr.Children;和訳.ミスターチルドレン)でも聴くぞー!
思い立ったがなんたらっつんで早速中古屋に向い、一枚のアルバムを買ってきた。
「深海」である。
僕の心の奥深く
深海で君の影揺れる
あどけなかった日の僕は
夢中で君を追いかけて 追いかけて
シーラーカーンス
シーラーカーンス
シーラーカーンス
ああ、でも、今の気持ちだからこそ、
この歌詞、曲調の意味、意図、作成の企図が分かるのかもしらん。
僕なんかが分かった、っつっても浅いものだろーけど。
誰にでもある、
落胆、落ち込み。
時にはそれがなんらかのスパイスにもなりうる。
そう、少しポジティブに、前向きに考え心の平安を感じつつ、
今日の鬱日記を終わりにします。
http://blog.with2.net/link.php?373700
↑ブログランキングです。
どうでもいいですけど、ミスチルっていいよね。
あと、今日は別段笑えるところはなく、
ひたすら暗いだけのテキストなので、
そーゆーのが嫌いな方はヌルーしてください。
最近(ここ二週間ほど)気が立っておさまらない。
何にイライライライラしているのか、自分でも分からない。
ただ気がついたら心此処に在らず。
いや、あるのかもしれないがいつもの平安な場所にないのだ。
だから有象無象の学生に対して、
「この屑どもが!」と一人ごちてみたり、
やかましい騒音を耳にするたび、
「じゃかあっしゃあ!!!」
と猛然と叫びたくなったり、
いちゃつくアベックを目撃すれば、
「問答無用でしばき倒す。」
とボソっと嘯いたり、
つり銭を渡すのにもたもたするコンビニエンス・ストーの店員にたいして、
「ドン臭い餓鬼が!はよせんかい!!!
お前がのろのろしよる時間は、誰の時間やと思っとんじゃあァァァ!!!」
と絶叫したくなったりする。
要するに。なんかむかつく。そーいうマインド。
なぜ、そういった穏やかではない心境に今の自分がいるのか、
と少し考えてみたところ、
それはまぁ、失恋っつー時代を超え、国を超え、性差を超えたまぁ普遍的な悲しみによるものなのだろうけれども、
だがそれは決して答えではなく、
ただの悲しみの発生要因でしかない。
失恋のどの要素によって自分のハートは痛めつけられたか、
まぁそういったことを考えなければ根本的な解決にはならんよね。
で、今の自分と言うのは馬鹿なもので、
そんなことはサッパリ分からず、
ただただ、失恋という事実のみに縛られ、本質、イギリス語でいうところのエッセンスを全く鑑みていないわけで、
それはたぶん、怖いからである。
何が怖いって、冷静に自分を分析、および省みるというのは、
いってみれば自分の欠点、短所、要するに駄目なところを探す、という作業を多分に含むため、
「できるだけ自分は誰にも責められたくなくない。傷つかず、楽して生きていきたいんだよね、僕ちんは。」
なぞと思っている自分にとって、
それはそれは恐ろしい行為なのである。
であるから、建設的な考えなんて全くせず、
「あーイラつく。」
といい、自己の世界の中に閉じこもり、外界のしゃらくさい人間どもを心の中で愚弄、罵倒していれば、前述したおぞましい行為(内省)をせずとも、
攻撃の作用でなんだかスッキリしたような、気持ちになれるのである。
だがそこには何の生産性もないし、
逆にウチへウチへ考えることにより、
他人という概念が希薄化し、
とんでもなく自己中心的な人間になってしまう、
という弊害を産むわけで、これはよろしくないよね。
ってんで、ちったあ人とふれあい、語らい、騒ぎ、楽しみのマインドになってみようかしら、と思い、友人と飲みかつ食らい、そして語らったりしても、
その楽しみのマインドは虹のように儚く、帰路ではすっかり
「あー誰かしばきてー。」
などと嘯く始末。
根本的な解決がのぞまれるね。
でも、前述したとおり、そのエッセンスっつーのは、
直視するのに躊躇われるようなおぞましいものだろうし、
そもそもとして、そのエッセンスっつーのが在るのか、無いのか、ということもよく分からん。
バイオリズムの関係で、今、自分の体はそういう時期なだけ、
という可能性もあるしね。
このような暗澹とした心持ちでは到底短い学生生活を、楽しく、明るく、快活に送ることは困難だと思われるので、
心機一転、久しぶりにミスチル(正式名称Mr.Children;和訳.ミスターチルドレン)でも聴くぞー!
思い立ったがなんたらっつんで早速中古屋に向い、一枚のアルバムを買ってきた。
「深海」である。
僕の心の奥深く
深海で君の影揺れる
あどけなかった日の僕は
夢中で君を追いかけて 追いかけて
シーラーカーンス
シーラーカーンス
シーラーカーンス
ああ、でも、今の気持ちだからこそ、
この歌詞、曲調の意味、意図、作成の企図が分かるのかもしらん。
僕なんかが分かった、っつっても浅いものだろーけど。
誰にでもある、
落胆、落ち込み。
時にはそれがなんらかのスパイスにもなりうる。
そう、少しポジティブに、前向きに考え心の平安を感じつつ、
今日の鬱日記を終わりにします。
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どうでもいいですけど、ミスチルっていいよね。
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