刺激的なタイトルでこんばんは。
あと、今日は別段笑えるところはなく、
ひたすら暗いだけのテキストなので、
そーゆーのが嫌いな方はヌルーしてください。


最近(ここ二週間ほど)気が立っておさまらない。

何にイライライライラしているのか、自分でも分からない。
ただ気がついたら心此処に在らず。
いや、あるのかもしれないがいつもの平安な場所にないのだ。

だから有象無象の学生に対して、
「この屑どもが!」と一人ごちてみたり、

やかましい騒音を耳にするたび、
「じゃかあっしゃあ!!!」
と猛然と叫びたくなったり、

いちゃつくアベックを目撃すれば、
「問答無用でしばき倒す。」
とボソっと嘯いたり、

つり銭を渡すのにもたもたするコンビニエンス・ストーの店員にたいして、
「ドン臭い餓鬼が!はよせんかい!!!
お前がのろのろしよる時間は、誰の時間やと思っとんじゃあァァァ!!!」
と絶叫したくなったりする。

要するに。なんかむかつく。そーいうマインド。

なぜ、そういった穏やかではない心境に今の自分がいるのか、
と少し考えてみたところ、
それはまぁ、失恋っつー時代を超え、国を超え、性差を超えたまぁ普遍的な悲しみによるものなのだろうけれども、

だがそれは決して答えではなく、
ただの悲しみの発生要因でしかない。

失恋のどの要素によって自分のハートは痛めつけられたか、
まぁそういったことを考えなければ根本的な解決にはならんよね。

で、今の自分と言うのは馬鹿なもので、
そんなことはサッパリ分からず、
ただただ、失恋という事実のみに縛られ、本質、イギリス語でいうところのエッセンスを全く鑑みていないわけで、
それはたぶん、怖いからである。

何が怖いって、冷静に自分を分析、および省みるというのは、
いってみれば自分の欠点、短所、要するに駄目なところを探す、という作業を多分に含むため、

「できるだけ自分は誰にも責められたくなくない。傷つかず、楽して生きていきたいんだよね、僕ちんは。」
なぞと思っている自分にとって、
それはそれは恐ろしい行為なのである。

であるから、建設的な考えなんて全くせず、
「あーイラつく。」
といい、自己の世界の中に閉じこもり、外界のしゃらくさい人間どもを心の中で愚弄、罵倒していれば、前述したおぞましい行為(内省)をせずとも、
攻撃の作用でなんだかスッキリしたような、気持ちになれるのである。

だがそこには何の生産性もないし、
逆にウチへウチへ考えることにより、
他人という概念が希薄化し、
とんでもなく自己中心的な人間になってしまう、
という弊害を産むわけで、これはよろしくないよね。

ってんで、ちったあ人とふれあい、語らい、騒ぎ、楽しみのマインドになってみようかしら、と思い、友人と飲みかつ食らい、そして語らったりしても、
その楽しみのマインドは虹のように儚く、帰路ではすっかり
「あー誰かしばきてー。」
などと嘯く始末。

根本的な解決がのぞまれるね。

でも、前述したとおり、そのエッセンスっつーのは、
直視するのに躊躇われるようなおぞましいものだろうし、
そもそもとして、そのエッセンスっつーのが在るのか、無いのか、ということもよく分からん。

バイオリズムの関係で、今、自分の体はそういう時期なだけ、
という可能性もあるしね。

このような暗澹とした心持ちでは到底短い学生生活を、楽しく、明るく、快活に送ることは困難だと思われるので、
心機一転、久しぶりにミスチル(正式名称Mr.Children;和訳.ミスターチルドレン)でも聴くぞー!
思い立ったがなんたらっつんで早速中古屋に向い、一枚のアルバムを買ってきた。



「深海」である。



僕の心の奥深く

深海で君の影揺れる

あどけなかった日の僕は

夢中で君を追いかけて  追いかけて



シーラーカーンス

シーラーカーンス

シーラーカーンス



ああ、でも、今の気持ちだからこそ、
この歌詞、曲調の意味、意図、作成の企図が分かるのかもしらん。
僕なんかが分かった、っつっても浅いものだろーけど。

誰にでもある、

落胆、落ち込み。

時にはそれがなんらかのスパイスにもなりうる。
そう、少しポジティブに、前向きに考え心の平安を感じつつ、
今日の鬱日記を終わりにします。

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どうでもいいですけど、ミスチルっていいよね。

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