ダセー心でブログ書く。
2006年12月15日 エッセイ コメント (4)常々思うのが、日記をウェブで公開する事の、意義である。
我々ブロガーは自分が思った事や、実行した事等をわざわざウェブで公開している。
なぜそんな事を恥ずかし気もなくやっているのか、
と考えたところ、やっぱり人に承認されたいから、
というのが大きい気がする。
人の事は分からないが、少なくとも自分ではそう。
だが、アクセス数に固執する人や、
コメントがつかないなぁ、と悩んでいる人や、
ブログランキングの順位に異様に拘る人を見ていると、
あながち僕だけが特別なわけではないのかもしれない、
とも思う。
まぁ、人がどういった動機でブログやウェブページを運営・管理していようが、実際の話どうでもいいのだけれども、
僕は個人的に、ブログを運営する意義、っつーのをよく考える。
話は少し回りくどくなるが、
自分の他人のブログに対する考え(偏見かも)を述べたい。
僕は正直な話、
人が何かをした、
という事に対して、てんで興味はない。
誰が何をしようが、僕にとってはどうでもいいお話で、
特別にテキストを読んでまで把握しておきたい、
などとは毛頭思わない。
だが、僕はブログを読む。
それは勿論、いやいやではなく、
喜んで、すすんで読む。
それは、そのブログで書かれている事が、面白いからだ。
面白いというのは、
一つに心情表現が面白いってーのがある。
例えば、同じカラオケに行くにも、
「今日はカラオケに行きました!
サイッコーに楽しかったです!」
っつーブログはまぁ、興味はござらん。
少なくとも僕は。
でも、
「自分というのはカラオケボックスというものが大の苦手で、
というのも、あんな狭苦しい空間で、
数人が犇めき合い、喧しいサウンドに任せ、
ズコズコ騒音に近い喚き声をあげている様、
また、それに付随する皆の、アゲアゲで行こうぜ!
行かないやつは死ね!っつーテンション?ノリ?
そういうのが反吐がでるほど嫌やねん、正味な話。」
といった感じで、
行為だけでなく、
その時感じた切実な感情、悩み、
というのを書いているブログは、あぁ面白いなぁ、
と思う。
その人の個性が出ていて、どんな事を考えているのか、
ということが分かるから。
で、欲をいえば、常人とズレている程面白い。
そんなねぇ、誰でも感じている事を書かれてもまぁ、さぁ?分かるでしょ?言いたい事。
まとめますと、何某をやりましたー、
って報告するようなブログってーのは少なくとも、
僕みたいな下衆には面白さが理解できず、
逆にどうしてその行為をやったのか、
またやってみて、どう感じたか、
っつーのを面白おかしく、独特な視点で綴られているブログ、
ってーのは、コレ、自分のような馬鹿者でも面白さが分かる、
ということですね。
で、自分は無い頭を使い、
なるべきそうなるように日記を書いているのだが、
それは取りも直さず、
人様に少しでも喜んでもらえればいいなぁ、
笑っていただければいいなぁ、と切実に思っているからである。
しょーもない場末のうんこのようなブログだけれども、
ちょっとでもみなさまの楽しみのひとつになれば幸い、
自分にも生きている意味があるのかもね、
ということに、ブログの意義を見つけたりしている。
そして哀しいが、この考えの根には「自分の為」がある。
人間誰しも無駄な事はやりたくないだろうし、
自分の存在を無視されたくないものだと思う。
で、ブログを運営する事により、
リンクしてくださる人が現れ、
コメントしてくださる人が現れ、
読んでくださる人が、
僕にもできた。
嬉しい。とても。
それは突き詰めると、
やっぱり他人に承認された・認められた、
という意識ゆえだろうと思う。
つまり、口では、
「読者の皆様に楽しんでもらえたら!
そう、思っておりますよ!」
と言っても結局心では、
「うん、読んでくれる人がいて良かった、良かった。嬉しいなぁ。」
と自分の事を、考えてる。
でも、それらの意見は決して相反しないものだ。
読者の皆様の楽しみになればいいなぁ、
と大袈裟な事を思っているのも、事実だし、
読んでくれて嬉しい。自分の存在が忘れられていなくて、嬉しい、と思っているのも事実。
そして簡単な自分の考えの構造といえば、
「読者の楽しみになればいい、という考えの根底に、承認される
喜びがある。」
といったものである。
だが、どちらかを優先させれば、どちらかが無くなる、っつーこともない。
であるから、そんなに気にかける事もないのだが、
やはり、根底にある「自分様」っつー考えが
浅ましくて嫌になる。
あぁ、俺って下衆だなぁ、としみじみ思う。
そう書くと、なんたらケツの穴の小さな男だ!
男はそんな小さな事考えず、
バァ!しとったらええんじゃ!バアッ!とな!
と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
確かに、イエス、その通りだと思う。
へなへなと「自分のためとか、ダセーよなぁ。」
なんて考えるのは、なんちゅーか女々しい。
うーん。自分を心底好きになるってーのも、難しいですなぁ。
そんな自分だけれども、
これからも一つ、これよろしくお願いします。
http://blog.with2.net/link.php?373700
↑人気ブログランキングです
押して下されば、正味、目茶目茶に嬉しいものこれまた事実。
我々ブロガーは自分が思った事や、実行した事等をわざわざウェブで公開している。
なぜそんな事を恥ずかし気もなくやっているのか、
と考えたところ、やっぱり人に承認されたいから、
というのが大きい気がする。
人の事は分からないが、少なくとも自分ではそう。
だが、アクセス数に固執する人や、
コメントがつかないなぁ、と悩んでいる人や、
ブログランキングの順位に異様に拘る人を見ていると、
あながち僕だけが特別なわけではないのかもしれない、
とも思う。
まぁ、人がどういった動機でブログやウェブページを運営・管理していようが、実際の話どうでもいいのだけれども、
僕は個人的に、ブログを運営する意義、っつーのをよく考える。
話は少し回りくどくなるが、
自分の他人のブログに対する考え(偏見かも)を述べたい。
僕は正直な話、
人が何かをした、
という事に対して、てんで興味はない。
誰が何をしようが、僕にとってはどうでもいいお話で、
特別にテキストを読んでまで把握しておきたい、
などとは毛頭思わない。
だが、僕はブログを読む。
それは勿論、いやいやではなく、
喜んで、すすんで読む。
それは、そのブログで書かれている事が、面白いからだ。
面白いというのは、
一つに心情表現が面白いってーのがある。
例えば、同じカラオケに行くにも、
「今日はカラオケに行きました!
サイッコーに楽しかったです!」
っつーブログはまぁ、興味はござらん。
少なくとも僕は。
でも、
「自分というのはカラオケボックスというものが大の苦手で、
というのも、あんな狭苦しい空間で、
数人が犇めき合い、喧しいサウンドに任せ、
ズコズコ騒音に近い喚き声をあげている様、
また、それに付随する皆の、アゲアゲで行こうぜ!
行かないやつは死ね!っつーテンション?ノリ?
そういうのが反吐がでるほど嫌やねん、正味な話。」
といった感じで、
行為だけでなく、
その時感じた切実な感情、悩み、
というのを書いているブログは、あぁ面白いなぁ、
と思う。
その人の個性が出ていて、どんな事を考えているのか、
ということが分かるから。
で、欲をいえば、常人とズレている程面白い。
そんなねぇ、誰でも感じている事を書かれてもまぁ、さぁ?分かるでしょ?言いたい事。
まとめますと、何某をやりましたー、
って報告するようなブログってーのは少なくとも、
僕みたいな下衆には面白さが理解できず、
逆にどうしてその行為をやったのか、
またやってみて、どう感じたか、
っつーのを面白おかしく、独特な視点で綴られているブログ、
ってーのは、コレ、自分のような馬鹿者でも面白さが分かる、
ということですね。
で、自分は無い頭を使い、
なるべきそうなるように日記を書いているのだが、
それは取りも直さず、
人様に少しでも喜んでもらえればいいなぁ、
笑っていただければいいなぁ、と切実に思っているからである。
しょーもない場末のうんこのようなブログだけれども、
ちょっとでもみなさまの楽しみのひとつになれば幸い、
自分にも生きている意味があるのかもね、
ということに、ブログの意義を見つけたりしている。
そして哀しいが、この考えの根には「自分の為」がある。
人間誰しも無駄な事はやりたくないだろうし、
自分の存在を無視されたくないものだと思う。
で、ブログを運営する事により、
リンクしてくださる人が現れ、
コメントしてくださる人が現れ、
読んでくださる人が、
僕にもできた。
嬉しい。とても。
それは突き詰めると、
やっぱり他人に承認された・認められた、
という意識ゆえだろうと思う。
つまり、口では、
「読者の皆様に楽しんでもらえたら!
そう、思っておりますよ!」
と言っても結局心では、
「うん、読んでくれる人がいて良かった、良かった。嬉しいなぁ。」
と自分の事を、考えてる。
でも、それらの意見は決して相反しないものだ。
読者の皆様の楽しみになればいいなぁ、
と大袈裟な事を思っているのも、事実だし、
読んでくれて嬉しい。自分の存在が忘れられていなくて、嬉しい、と思っているのも事実。
そして簡単な自分の考えの構造といえば、
「読者の楽しみになればいい、という考えの根底に、承認される
喜びがある。」
といったものである。
だが、どちらかを優先させれば、どちらかが無くなる、っつーこともない。
であるから、そんなに気にかける事もないのだが、
やはり、根底にある「自分様」っつー考えが
浅ましくて嫌になる。
あぁ、俺って下衆だなぁ、としみじみ思う。
そう書くと、なんたらケツの穴の小さな男だ!
男はそんな小さな事考えず、
バァ!しとったらええんじゃ!バアッ!とな!
と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
確かに、イエス、その通りだと思う。
へなへなと「自分のためとか、ダセーよなぁ。」
なんて考えるのは、なんちゅーか女々しい。
うーん。自分を心底好きになるってーのも、難しいですなぁ。
そんな自分だけれども、
これからも一つ、これよろしくお願いします。
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押して下されば、正味、目茶目茶に嬉しいものこれまた事実。
コメント
相互ありがとうございました(*- -)(*_ _)
私は最近、ネットの距離感を忘れていて「人は人、自分は自分」っていう基本的なスタンスを置き去りにしてた(笑)
こういう意見もあるけど、私は私って線を引くことも重要だよね、説得力ないよね、うん。
変態ですが仲良くしてください。
子供のころ、親に何かねだる時、
「ツヨシ君も持ってるし、博くんも持ってる。
正味、みんなもってる。小生も持っているべきだと思う。
だからファミコン買ってください。」
みたいなことを言ったものでした。
そして親は親で心得たもので、
「人は人、ウチはウチ!」
と言い、餓鬼の戯言に一切耳を傾けませんでした。
確かにその通りでぐうの音も出なかった、という、今となっては可愛らしい思い出がありますが、やっぱり親というのは偉大で、
人は人。いちいち気にしとったら、どうしようもこうしようもないけんね!ということを僕に教えてくれていたのですね。
あと、変態なのは僕も同じなので、そんな、かしこまらず、ささ、お茶でもどうですか?げヘヘヘ!!!(すいませーん。でも反省はしていません。)
鬱+変態であっても、笑えるのが素晴らしい。
正直な考えが聞けるのがよい。
ぼくがもやもやと考えていることをちゃんと文章にしてくれているのがうれしい、楽しい、大好き!
というわけでこれからもおじゃまします。
笑えますかぁ!
いやぁ、そう言っていただき盛男は感無量、嗚咽がとまりません。
あと考えていることに関しては、
自分なんかは文才がありませんので、
コレを書こう、と思っても
なかな思いのたけを全てアウトプットできないなぁ、
と感じています。
精進の日々です。
でも、「うれしい、楽しい、大好き!」
と言っていただき、やっぱり感無量。感涙ダバダバです。
これからも、よろしくお願いいたします。