時は、全てを洗い流すと言うけれど、
それは嘘だよ。

今まで、それなりに辛い経験をしてきたけど、
その時感じた痛みは
無数の鋭利な棘となり僕の心の中を突き刺し、
不快なドス黒い大気となり隅々まで汚染するんだ。

何かを選ぶ事は、何かを捨てることで、
誰かが幸福になる事は、誰かが不幸になることで、
誰かが希望を抱く事は、誰かが絶望を抱くこと。

この考えかたは、正しい。
誰もが、これを受験や恋愛で経験しているだろう。

そして、人は選ぶ事や、幸福になる事や、希望を抱く事を欲し、
だれもそれらの逆を選択したいとは思わないだろう。

だが哀しいかな、
人は喜びより、悲しみをひきずる生き物だ。
───あなたは、嬉しい涙と、哀しい涙、どちらを多く流してきましたか?

それでも人は、
不幸から幸福を探そうとするし、
絶望から希望を見出そうとする。
理屈ではなく、人は幸福・希望に惹かれる。
いずれ必ず来る絶望を知っていながら、もしくは知らずに、もしくはみてみぬフリをしながら。

全ての行為行動思考は闇から光へと向い、結局闇に帰結する。
そしてその時々に生まれた闇は決して風化する事なく、
胸の奥底に沈殿している。
時は、痛みを風化させるのではなく、
沈殿させるのだ。

僕たちはいずれ来る死という絶望に向って突き進む哀れな生物。
傷つく事が分かっていても、
そして傷が癒えずとも、
希望を抱き歩を進めざるをえない。

その時々の快楽、幸福、希望、
それら全ては虚しく儚いものだけれども、
確かに、生の証を僕らに刻む。

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コメント

AKI
AKI
2006年12月26日23:57

さすがキリストは言うことが違うな。

盛男
盛男
2006年12月27日6:02

イブの夜は楽しかったよ。
「生きてる」って感じ、したね。