正月番組に憤怒

2007年1月6日 TV
新年。
めでたいことであります。

ただ、ひとつだけ腹が立つことがあります。
いえ、本当は新年早々立腹などしたくないのでありますが、
もう、どうしうようもないほどの怒りを感じてしまっています。

折角のお正月です。
僕とて心穏やかに、のほほーんとして、
まったりしたいです。
日々の雑務や学業、色恋沙汰、煩わしい人間関係等をスッカリ忘却してしまって、心の底から新年を迎えられた事を慶びたく思います。

ですが、以上の思いはやはり理念の上だけで存在し、
実際には心の底から新年を祝うことは出来ません。
なぜそんな心持になっているのかといえば、
正月番組が、こう言ってはダイレクトすぎますが、鬱陶しいからです。

普段の僕はテレビというのはこれ、ほとんどと言っていいほど観ないのですが、
正月ともなればそういうわけにもいかず、
家族とともに、友人とともに、親戚の叔父さんとともに、
テレビを鑑賞しなければなりません。
時に談笑しながら、時にコーヒーを啜りながら、
時に蜜柑の皮を剥きながら、テレビを鑑賞しなければなりません。

断っておきますが、テレビ観賞それ自体を私は否定いたしません。
確かに、面白い番組もあるでしょう。
ですが、正月番組!
この存在だけは、個人的に、
どうやっても許しがたく思って仕方がありません。
できることなら、
自宅のテレビジョンを鈍器のようなものでぶち壊し、
そのままテレビのない生活を悠々と送りたく思います。
ですが、実際問題として、
そのような蛮行を行う事など出来るはずもなく、
私は黙って、観たくもないテレビ番組を、
ジッと、頭の中で呪詛を巻き散らしながら観なければなりません。

何故正月番組が私を心穏やかでない状況に追い込むか、といいますと、
不自然に華やかで、それが浅ましく思えてしかたないからです。

無論。局の気持ちも分からなくはありません。
新年です。
辛気臭い格好をするよりも、
着物や袴といった晴着に代表されるぱぁとした恰好が
相応しいに決まっています。

しかし、どうも、気分がよろしくありません。
というのも、無理にめでたい雰囲気を取り繕っているところが、どうも胡散臭く、うそ臭く、不自然極まりないからです。

まるで、テレビ局から、
「新年です。みなさん。盛大に慶びましょう。
 わたしたちもそのお手伝いをしますよ。
 着物を着て、明るい雰囲気の番組作りをして、
 謹賀新年を謳うCMを流して、めでたい新年を演出しますよ。」
と言われて、強制的にめでたいなぁ、という心持にさせられているようで、どうもこう、釈然としないのです。

めでたいものは、めでたい。
その気持ちは自然と湧いて出てくるもので、
外部からアレコレ言われるものでもないはずです。
そんなことをされても、
興醒めするだけで、鬱陶しいだけです。

それをテレビ局ときたら、
わーわーと阿呆みたいに騒ぎ立て、
やれ、めでたい、
やれ、ええ感じ、
やれ、楽しい、
と囃し立てます。

しゃらくさいのです。
ワザとらしいのです。
人間の浅ましさが見えます。

その時々(この場合、正月。)に合わせ、
むやみやたらと人々に迎合する。
その姿勢・態度が浅ましく、気分が悪くなるのです。


浅ましい人間は、見ていて不快になります。
媚び諂う人間も、同様に、見ていて不快になります。
人間としての、余裕が感じられないからです。
余裕の無い人間は、概して暑苦しくて鬱陶しいものです。

私は、新年早々、そういったものを見させるテレビが好きになれません。


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