下ネタで思う事あれこれ。
2007年1月7日 エッセイ コメント (2)下品な表現が好きです。
特に卑猥な表現を、好みます。
私には一風変わった悪癖がありまして、
唐突に、所かまわず
「ちんこー」「まんこー」
などといった性器の名称を叫びたくなる衝動に駆られる事が、
恥ずかしながら、間々あります。
そして悪い事に、
その衝動を抑える事が出来ず、
食事中であろうが、道端であろうが、電車の中であろうが、
その単語をポンと口にしてしまう事が、あります。
無論、それは友人と共にいるときの、
おふざけとしての行動で、
一人でいる時には、そういったことは(殆ど)いたしません。
大晦日の夜のことでした。
私は地元の友人たちと鍋を囲い、
近況を報告しあったり、昔話に花を咲かせていました。
その談笑の途中、
私のいつもの発作が起こり、
「ちんこー」と絶叫したい衝動に駆られました。
その時はお酒も入っており、
テンションも常ならぬ高さになっており、
男性器の名称を口にしても許される、と思いました。
そして私は何の罪の意識も感じず、
「ちんこー」
と叫びました。
すると、何人かの友人たちはけらけらと笑いましたが(今思えば、苦笑だったのかもしれませんが。)ひとりの男が真顔で、
「食事中やけん、そういうことは言うなや。」
と私の眼をジッと見据えて、言いました。
その時の私の心境を正直に吐露しますと、
(こいつ、何をマジになっとんじゃ。)
という、全くもって邪な考えでした。
しかし、ちょっと考えてみると、その男の言い分は尤もで、
誰しもが下ネタや下品な表現を好むわけではありません。
「ちんこー」
ときき、生ナマしいペニスを思い起こせば、
なるほど気持ちも悪くなろうものです。
しかも、その時は丁度食事中で、
おいしい鍋を食べている途中に、
小汚い男性器なぞ想起したら、食欲も減退し、
不快になろうものです。
想像力が、欠如していました。
私は猛省し、金輪際、食事中に卑猥な単語は口が裂けても発しないようにしようと、心に固く誓いました。
そして、更に考えたのは、何故私は卑猥な単語や表現が好きなのか、ということです。
下ネタは便利です。
誰でも下の話しは内容を直感的に解する事ができるため、
つまり知識の下地があるため、分かりやすいのです。
しかし分かりやすいだけでは、笑いは起こりません。
不思議なのは、なぜかちんこやまんこやアナルといった単語には独特の面白味が含まれており、その単語を効果的に活用すれば、笑いが発生してしまうのです。
性器の神秘性、禁断性、そういった雰囲気を大っぴらにしてしまうことに面白さがあるのかもしれませんが、
私には分かりません。
ただ、分かるのはちんこやまんこやアナルといった単語には面白味があるという事実だけです。
私はズルイ人間なので、
そういった単語を有効に活用したりしなかったりして、
これまで笑いをかっさらってきました。
多分。
安心していたのだと思います。
ちんことかまんことか言っておけば、
相手は自ずと笑うであろう、と安心していたのだと思います。
卑怯な男です。
そして人を笑わせようとする意識の底には、
自分を認めてもらいたい、換言するならば、自分のユニークさを分かってもらいたい、という浅ましい考えがあります。
何も人を笑わせて場の雰囲気を良くしようといった考えが全く無いわけではありませんが、
安易に下ネタに走るあたり、
考えの薄さが垣間見えます。
そしてその笑いのベクトルは相手の方に向いている、というよりも自己に向いているのではないかと考えられます。
というのも当たり前ですが、
卑猥な表現と言うのは
基本的に人を選ぶものですが、
私の場合発作的に誰にでも
「ちんこー」「まんこー」「アヌスー」
といった単語を投げかける悪癖があり、
それは相手の事を第一に考えてはいないという証左に他ならないからです。
私が卑猥な表現を好むのは、
自己満足的な、独りよがりな笑いを欲していた為でした。
そこに意味を付け加える事も出来ます。
他人も喜んでいるのだから、それでいいではないか、とか、
人を気にするな。君は、君ではないか、とか、
まぁ理屈はどうにでもつけられます。
私は、意味など求めません。
ただ、独りよがりな笑いは、よろしくないなあ、と思うだけです。
だからと言って、身についてしまった悪癖が治るわけではないのでしょうが、せめてキチンと他人の事を考えて発言をしていきたいと思います。
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特に卑猥な表現を、好みます。
私には一風変わった悪癖がありまして、
唐突に、所かまわず
「ちんこー」「まんこー」
などといった性器の名称を叫びたくなる衝動に駆られる事が、
恥ずかしながら、間々あります。
そして悪い事に、
その衝動を抑える事が出来ず、
食事中であろうが、道端であろうが、電車の中であろうが、
その単語をポンと口にしてしまう事が、あります。
無論、それは友人と共にいるときの、
おふざけとしての行動で、
一人でいる時には、そういったことは(殆ど)いたしません。
大晦日の夜のことでした。
私は地元の友人たちと鍋を囲い、
近況を報告しあったり、昔話に花を咲かせていました。
その談笑の途中、
私のいつもの発作が起こり、
「ちんこー」と絶叫したい衝動に駆られました。
その時はお酒も入っており、
テンションも常ならぬ高さになっており、
男性器の名称を口にしても許される、と思いました。
そして私は何の罪の意識も感じず、
「ちんこー」
と叫びました。
すると、何人かの友人たちはけらけらと笑いましたが(今思えば、苦笑だったのかもしれませんが。)ひとりの男が真顔で、
「食事中やけん、そういうことは言うなや。」
と私の眼をジッと見据えて、言いました。
その時の私の心境を正直に吐露しますと、
(こいつ、何をマジになっとんじゃ。)
という、全くもって邪な考えでした。
しかし、ちょっと考えてみると、その男の言い分は尤もで、
誰しもが下ネタや下品な表現を好むわけではありません。
「ちんこー」
ときき、生ナマしいペニスを思い起こせば、
なるほど気持ちも悪くなろうものです。
しかも、その時は丁度食事中で、
おいしい鍋を食べている途中に、
小汚い男性器なぞ想起したら、食欲も減退し、
不快になろうものです。
想像力が、欠如していました。
私は猛省し、金輪際、食事中に卑猥な単語は口が裂けても発しないようにしようと、心に固く誓いました。
そして、更に考えたのは、何故私は卑猥な単語や表現が好きなのか、ということです。
下ネタは便利です。
誰でも下の話しは内容を直感的に解する事ができるため、
つまり知識の下地があるため、分かりやすいのです。
しかし分かりやすいだけでは、笑いは起こりません。
不思議なのは、なぜかちんこやまんこやアナルといった単語には独特の面白味が含まれており、その単語を効果的に活用すれば、笑いが発生してしまうのです。
性器の神秘性、禁断性、そういった雰囲気を大っぴらにしてしまうことに面白さがあるのかもしれませんが、
私には分かりません。
ただ、分かるのはちんこやまんこやアナルといった単語には面白味があるという事実だけです。
私はズルイ人間なので、
そういった単語を有効に活用したりしなかったりして、
これまで笑いをかっさらってきました。
多分。
安心していたのだと思います。
ちんことかまんことか言っておけば、
相手は自ずと笑うであろう、と安心していたのだと思います。
卑怯な男です。
そして人を笑わせようとする意識の底には、
自分を認めてもらいたい、換言するならば、自分のユニークさを分かってもらいたい、という浅ましい考えがあります。
何も人を笑わせて場の雰囲気を良くしようといった考えが全く無いわけではありませんが、
安易に下ネタに走るあたり、
考えの薄さが垣間見えます。
そしてその笑いのベクトルは相手の方に向いている、というよりも自己に向いているのではないかと考えられます。
というのも当たり前ですが、
卑猥な表現と言うのは
基本的に人を選ぶものですが、
私の場合発作的に誰にでも
「ちんこー」「まんこー」「アヌスー」
といった単語を投げかける悪癖があり、
それは相手の事を第一に考えてはいないという証左に他ならないからです。
私が卑猥な表現を好むのは、
自己満足的な、独りよがりな笑いを欲していた為でした。
そこに意味を付け加える事も出来ます。
他人も喜んでいるのだから、それでいいではないか、とか、
人を気にするな。君は、君ではないか、とか、
まぁ理屈はどうにでもつけられます。
私は、意味など求めません。
ただ、独りよがりな笑いは、よろしくないなあ、と思うだけです。
だからと言って、身についてしまった悪癖が治るわけではないのでしょうが、せめてキチンと他人の事を考えて発言をしていきたいと思います。
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コメント
やっと今日帰ってきて明日テストで鬱だがようつべの
動画みたらどうでもよくなってきたよ。
なかなか、とかカッコつけてるけど、
実は爆笑した。腹抱えて笑った。
うpしたニーチャンのセンスに脱帽。