「価値観の違いだ。」と言って話を終わらせる馬鹿
2007年2月9日 エッセイ コメント (4)ちょっと頭の足らない人間はすぐに
「それ、価値観の違いだよね。」
と言って議論をブチ切る。
(そういう人間には基本的に「価値観」なるものすらない場合が多いにもかかわらず。)
適当な自分の言いたい事だけを言い放ち、
それを傲然と信じ、どんな反論があろうとも、
価値観の違いと言う伝家の宝刀を振り回し、
自己の主張の危うさや他者の主張の正当性を認めようとしない。
困った事に、こういう人間は須らく自分の事を物分りのいい人間だと思っている。
「考え方は人それぞれ。それでいいじゃん。」
と思っている自分を頑として正しいと信じ切っているところに危うさがある。
というのも前記した
「考え方は人それぞれ。それでいいじゃん。」
との信念は裏を返せば、
「人がどう言おうと、私はこの主張を曲げる気はない。
だって人それぞれだもん。」
という非常に傲慢な考え方があるからだ。
基本的に、考え方というのは人それぞれ違っていいと思う。
しかし、そこで止まってはいけない。
主義主張があり、かつ議論の場が設けられ、かつ自分が議論に参加したのならば相手の意見にもきちんと耳を傾け、何を言わんとしているか理解しようとする姿勢が必須であろう。
そして一度聞いて理解出来なかったのならば、
更に聞くなり、自分でもう一度他者の話しの内容を消化しようと努力すべきだ。
その様なやり取りの中で、
自分の主張をブラッシュアップする、
もしくは自分の主張の非を認め改める、
という作業を行う。
これが本当の意味でのコミュニケーションであって、ただ自分の快感だけのために傲然と主張し、あとは知らぬ存じぬ、となればガキの口げんかとなんら変わる事のない低レベルな「言い合い」である。
巷には「価値観の違い」という耳障りの良い文句が横溢している。
しかしその実態は多くの場合、考える事を放棄した諦めの呪文である。
http://blog.with2.net/link.php?373700
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と言って議論をブチ切る。
(そういう人間には基本的に「価値観」なるものすらない場合が多いにもかかわらず。)
適当な自分の言いたい事だけを言い放ち、
それを傲然と信じ、どんな反論があろうとも、
価値観の違いと言う伝家の宝刀を振り回し、
自己の主張の危うさや他者の主張の正当性を認めようとしない。
困った事に、こういう人間は須らく自分の事を物分りのいい人間だと思っている。
「考え方は人それぞれ。それでいいじゃん。」
と思っている自分を頑として正しいと信じ切っているところに危うさがある。
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「考え方は人それぞれ。それでいいじゃん。」
との信念は裏を返せば、
「人がどう言おうと、私はこの主張を曲げる気はない。
だって人それぞれだもん。」
という非常に傲慢な考え方があるからだ。
基本的に、考え方というのは人それぞれ違っていいと思う。
しかし、そこで止まってはいけない。
主義主張があり、かつ議論の場が設けられ、かつ自分が議論に参加したのならば相手の意見にもきちんと耳を傾け、何を言わんとしているか理解しようとする姿勢が必須であろう。
そして一度聞いて理解出来なかったのならば、
更に聞くなり、自分でもう一度他者の話しの内容を消化しようと努力すべきだ。
その様なやり取りの中で、
自分の主張をブラッシュアップする、
もしくは自分の主張の非を認め改める、
という作業を行う。
これが本当の意味でのコミュニケーションであって、ただ自分の快感だけのために傲然と主張し、あとは知らぬ存じぬ、となればガキの口げんかとなんら変わる事のない低レベルな「言い合い」である。
巷には「価値観の違い」という耳障りの良い文句が横溢している。
しかしその実態は多くの場合、考える事を放棄した諦めの呪文である。
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コメント
人の価値観は違って当然だろうがそれで終わってしまうと
そいつの考えがそこで止まってしまうよな。
天井はなしで生きて行きましょう。
まあ誰しも言いがちな事だよ。
確かに一方的に議論を打ち切るのは余り好ましくない様に思う。
しかし、本当に深く問い詰めていくと例えば、
A「俺は場の空気より『偽らない』事を重んじるよ」
B「俺はどうしても場の空気のほうが大事だ」
というような差異はどうしたって出てくるもんだと思う。
これを、じゃあ、議論することでどちらかに統一しなくちゃいけないかどうかという所だが、余りに人間の根幹に関わる所なら、差異は差異のまま残しておいてもいいと思う、特別なにか不都合が起こるんでなければ。
あ、申し遅れました。
「考える元快楽主義者」のゴロぉです。よろしくお願いします。
盛男です!
こちらこそよろしくお願いいたします。
ゴロぉさんの仰られる事は尤もで、反駁の余地はありません。
確かに、民間人の議論の根幹の部分「生き方」についてまでコンセンサスをとる必要があるのか、もしくは差異を無くす努力をする必要があるのか、と言えば、「そういった根幹の議論を望んでいなのならば」不要だと思います。