2007年5月31日 ポエム コメント (2)
死とはなにも特別な事ではなく、全く自然の所為である。




人は死を眼前に意識した時、困惑・狼狽する。
受け入れられないのだ。

我々人類は死を知り、
「哲学」や「宗教」を発明した。

なぜ縋るべき信仰が必要なのか。
それは死への「絶対的」な恐れを少しでも緩和したいからである。
真理は我々に安息をもたらす為に求め続けられる。

しかし忘れてはならない。
死はどこまでも自然で、何も特別な状態はないことを。
あるがままの自然の中に、死は生きる。











最近、どういうわけか死とは何か、と考える。
誰にでも等しく訪れる死。
そして、それを「我が身」に当てはめて考えれば考えるほど死の存在がどこまでも圧倒的で絶対的なものに思え、
深淵の谷底に独り取り残されたような、どこまでも暗い諦念を抱く。


また、そう考える内、死の持つ重みに気付き始めた。
誰かが「お前、死ねよ!」と冗談口調で言っているのにも過敏に反応してしまう。
死を面白がって口にする事。
これは重罪である。


人は人との関係を持つ事が出来る。
死とは生命活動が不可逆に止まる事だけを指すのではない。
死者と関係する人が持つ関係、それを有無を言わせぬ強力で断ち切ってしまうのである。
精神で生きている我々にとって、この断絶は耐え難いものがある。

それでも、我々は受け入れなければならない。
「死とは自然である。」
そう実感できるまで、長い年月をかけて、死を、受け入れなければならない。



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コメント

AKI
AKI
2007年6月3日12:00

死を恐れてもいいじゃない
         にんげんだもの
                   みつお

盛男
盛男
2007年6月4日1:03

確かにね
死が全く怖くない人はどこを探してもいないと思う