我々男性、特に二十歳前後の若い輩というのはどういうわけか溢れんばかりの性欲を具備しており、何かあるとすぐに「あーセックスしてえ!」などと平気の顔をして嘯く。

これは僕とて例外ではなくやはり夏のスコールのような激しく、刹那的な性欲に襲われた時、「あーセックスしてみてえ!」と咆哮してしまう。

しかし、「じゃあ盛男君、きみは彼女をセックス目的でほしいと考えるのかい?」
と問われれば僕はたちまちに沈黙を余儀なくされる。
どういうわけか、僕は本気で惚れた女性とセックス(テクニカルタームで、変な棒を入れたり出したり活動)を積極的にしてみたい!とは思わないのである。
自分でも面妖な事この上ないなあ、と思うのだが、事実なのだから仕方がない。

しかし一方で、僕が彼女がほしい理由のひとつに「セックスをする正当な権利を持ちうる」ことが存在する事は否定できない。
ただ、その願望があまり高くないのは事実だ。

僕が彼女がほしいと思う理由はとても青臭いが、彼女とふたりで一緒に時間をすごしたい、それだけの気がする。
具体的に言えば好きなコと一緒に喫茶店でだらだら駄弁ったり、とか、ゆるりと晴れた公園を散歩したい、とか、大型CDショップに行って面白そうなCDを探したり、とか、まあそんなところだ。
こう書くとなんだか中学生、否。小学生の男女交際みたいにきこえるな…。
もしかすると、僕がセックスというものを経験してないからこそ、こんな平和な願望だけで満足できているのかもしれない。
そしてたぶん、それは正しいと思う。



世の中にはいろんな人種がいて、それぞれ彼女に何を求めるかは違うだろう。
ある人は体目的かもしれないし、
ある人はステータスのためかもしれないし、
ある人は寂しいからかもしれないし、
ある人はいる事が当たり前だと思っているから、かもしれない。

それぞれどれが優れていてどれが劣っているかなどない。
あるのは相手(女性)と自分との相性だけであり、そこで始めて例えば「彼は体目当てだから、嫌」となるだけだ。

怖いのは意中の人と自分の「恋人に求めるもの」が違っていた時だ。何だかんだいって、恋の始まりは情熱的なもので、細かいところには目が行かず、ふたりそのまま恋の園へフェードインするものだが、ある程度そのパッションも落ち着いた時、
少しずつ「アレ!?」と思い始める。

「アレ!?この人こんなにスケベだったの!?」
「アレ!?こいつあまりセックス好きじゃないの!?」

互いに理想の恋人像と、実物の相手とのズレに気付き始める。
勿論それが原因で別れる事もあるかもしれないし、ズレを我慢するかもしれないし、或いは自分の考えを強引に相手に合わせようとするかもしれない。

このズレが出るか否かはおそらく完全に運ではないだろうか。
人間の奥底にひっそりと潜む怪物のような理想像は、自分はもちろん、誰にも分からないと思う。(因みに自分の事は自分が一番分かる、というのは真っ赤な嘘だ。心のように極めて複雑なものを理解する事はとてつもなく困難である。誰が分かって誰が解らないか、それすらも解らない、というのが正しい(よって冒頭に書いた僕の彼女に求めるものも、おそらく真実ではない))
その、自分でも分からないような未知と言っていい願望と相手の願望が、ジグソーパズルのワンピースをピタリとはめ込む様な一致を見せる事は本当にレアケースだろう。

我々は確実に訪れるであろう不安なズレを知りながら、
それでも「わけのわからない本能」に引きずられながら恋に落ちてゆく。

そのどこまでも人間らしい不条理な感情。
僕はそのどうしようもない荒くれ者を、諦めと少しの希望を持って眺める。



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コメント

nophoto
ニックネーム無し
2007年6月25日1:04

面妖な・・・
てか恋愛頑張れ^−^

盛男
盛男
2007年6月25日17:24

好きなコってのは別におらんけどね…
てか、君、AKIだよね?

nophoto
AKI
2007年6月27日7:44

うん、AKIだよ。
なんか当分ブログ書いてないから名前書かないかんなったみたいだ

盛男
盛男
2007年6月29日1:00

そうか、安心したよ!
また気が向いたらブログ書いてね!更新楽しみにしてるよ