短気を克服する方法、伝授します!
2007年11月12日 エッセイ「短気は損気」という言葉がある。
すぐにいらいらし始める性格はよろしくないよ、改めなさいよ、と
昔の偉人が言ったのだと推察するが、僕は間違いなく短気なので、即刻に改めねばならん、ニンニン、と思う次第。
短気で困ることと言えばやはり、精神の不安定では無いだろうか。
コンビニの店員がトロくさかったり、自分の意見をわけの分からない理由で却下されたり、出かける時に財布が見つからなかったり、買いたい本が本屋になかったり、
そんな時には僕は逐一腹を立て、内心では爆発せんばかりの怒りを必死に圧縮し、なんとか抑えようとするのだけれどもやはり一度火のついた怒りはそんなに簡単には治まらず、ゾワゾワしながら日常生活にもどらなければならんくなる。
その日常生活に戻った後も先ほどの苛立ちを心に宿らせたままであるため、普段ではさほど腹が立たないことでも、怒りの炎にガソリンを振りまく様な効果を遺憾なく発揮し、更に僕の頭をカッカカッカと沸騰させる。
その怒りをなるべく関係の無い人には向けないように努めているつもりだがしかし、怒りの感情の激しさたるや燃え滾るマグマのようなもので、抑えが利かない。どうしても人相が悪くなったり、人に話しかけないように端でだんまりを決め込んだり、冗談にも皮肉が混じったりして、相手の気分を害してしまうことも間々、ある(と思う)
苛苛と、自分を見失うのは気分の悪いことだ。時に、暴言を吐いたり、人を不用意に虚仮にしてしまった時は「あ、ごめん!」と心の中では謝罪するのだが、実際に口から出るのは、「まあ、事実だからね、うん」などという不遜な言葉!後味の悪さは、始めて吸った煙草と同じくらい、苦い。
その一部始終で僕の精神は乱れっぱなしで、この精神の波長がラジオの電波ならば、ノイズだらけでとても聴けやしないだろうな、と思う。
そしてそういった壊れかけのレィディオみたいな精神ではまったくもって正常な思考など間々ならず、
例えば電車の中で座っていて、少し前にジーンズを穿いた女の子が立っている時。
「この怒りに打ち震えた俺の精神の犠牲として、眼前にあるぷりぷりのお尻!これを揉みしだいてやろうか!」などとデンジャラスに危険なことを当然のように考えてしまう!当然実行には移さないがしかし!そんなことを考えること自体、狂ってる!俺の犠牲て、目の前の女の子関係ないやん!
やはりこのような精神状態では、物事はうまく回らず、人生の進行も滑らかではない、と判断し、ある友人に相談してみた。
「俺って、短気やと思う?」
「うん、思うね、小さいことにもすぐ腹を立てる」
「やっぱりなあ、ところで、俺は君が怒ったところを見たことがないんやけど、あんまり怒らんの?」
「そうだね、ほとんど怒ったりはしないね」
「なんで?腹立つことばっかりやんか、生きてたら」
「うーん、そりゃあ、嫌な事もあるし、怒りたいこともあるけど、なんか、どうでもいいや、って思うんだよね」
「達観しとんなぁ」
「そう?」
「うん、俺なんてどう考えても達観できんもん、どうでもええ、ってならんもん、どうにかしてやりたい!って思うもんね」
「うーん、でも俺は今の盛男がすきだけどね、物分りのいい盛男って、ちょっと考えられない(笑)」
「褒められとんか、あほにされとんか…、そうだ、なんか短気だったらよかったのになあ。て場面ある?」
「………。ないね」
「………。だろうね」
このように、短気を克服しよう、と思うならひとつの方法として「まあ、どうでもいいか、そんな小さなことは」と考える方法があるらしいです。
短気でお困りの方は是非とも実行に移してみてください。
ちなみに僕は、
「どうでもいいんだよ、そんなことは!ボケが!この俺の心の寛大さに君は!今すぐひれ伏すといい!分かったか!この木偶坊主が!……」
などと罵詈雑言の限りを心の中で吐きまくり、結局煮えくり返った腸は治まらず、といった結果でした。おしまい。
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すぐにいらいらし始める性格はよろしくないよ、改めなさいよ、と
昔の偉人が言ったのだと推察するが、僕は間違いなく短気なので、即刻に改めねばならん、ニンニン、と思う次第。
短気で困ることと言えばやはり、精神の不安定では無いだろうか。
コンビニの店員がトロくさかったり、自分の意見をわけの分からない理由で却下されたり、出かける時に財布が見つからなかったり、買いたい本が本屋になかったり、
そんな時には僕は逐一腹を立て、内心では爆発せんばかりの怒りを必死に圧縮し、なんとか抑えようとするのだけれどもやはり一度火のついた怒りはそんなに簡単には治まらず、ゾワゾワしながら日常生活にもどらなければならんくなる。
その日常生活に戻った後も先ほどの苛立ちを心に宿らせたままであるため、普段ではさほど腹が立たないことでも、怒りの炎にガソリンを振りまく様な効果を遺憾なく発揮し、更に僕の頭をカッカカッカと沸騰させる。
その怒りをなるべく関係の無い人には向けないように努めているつもりだがしかし、怒りの感情の激しさたるや燃え滾るマグマのようなもので、抑えが利かない。どうしても人相が悪くなったり、人に話しかけないように端でだんまりを決め込んだり、冗談にも皮肉が混じったりして、相手の気分を害してしまうことも間々、ある(と思う)
苛苛と、自分を見失うのは気分の悪いことだ。時に、暴言を吐いたり、人を不用意に虚仮にしてしまった時は「あ、ごめん!」と心の中では謝罪するのだが、実際に口から出るのは、「まあ、事実だからね、うん」などという不遜な言葉!後味の悪さは、始めて吸った煙草と同じくらい、苦い。
その一部始終で僕の精神は乱れっぱなしで、この精神の波長がラジオの電波ならば、ノイズだらけでとても聴けやしないだろうな、と思う。
そしてそういった壊れかけのレィディオみたいな精神ではまったくもって正常な思考など間々ならず、
例えば電車の中で座っていて、少し前にジーンズを穿いた女の子が立っている時。
「この怒りに打ち震えた俺の精神の犠牲として、眼前にあるぷりぷりのお尻!これを揉みしだいてやろうか!」などとデンジャラスに危険なことを当然のように考えてしまう!当然実行には移さないがしかし!そんなことを考えること自体、狂ってる!俺の犠牲て、目の前の女の子関係ないやん!
やはりこのような精神状態では、物事はうまく回らず、人生の進行も滑らかではない、と判断し、ある友人に相談してみた。
「俺って、短気やと思う?」
「うん、思うね、小さいことにもすぐ腹を立てる」
「やっぱりなあ、ところで、俺は君が怒ったところを見たことがないんやけど、あんまり怒らんの?」
「そうだね、ほとんど怒ったりはしないね」
「なんで?腹立つことばっかりやんか、生きてたら」
「うーん、そりゃあ、嫌な事もあるし、怒りたいこともあるけど、なんか、どうでもいいや、って思うんだよね」
「達観しとんなぁ」
「そう?」
「うん、俺なんてどう考えても達観できんもん、どうでもええ、ってならんもん、どうにかしてやりたい!って思うもんね」
「うーん、でも俺は今の盛男がすきだけどね、物分りのいい盛男って、ちょっと考えられない(笑)」
「褒められとんか、あほにされとんか…、そうだ、なんか短気だったらよかったのになあ。て場面ある?」
「………。ないね」
「………。だろうね」
このように、短気を克服しよう、と思うならひとつの方法として「まあ、どうでもいいか、そんな小さなことは」と考える方法があるらしいです。
短気でお困りの方は是非とも実行に移してみてください。
ちなみに僕は、
「どうでもいいんだよ、そんなことは!ボケが!この俺の心の寛大さに君は!今すぐひれ伏すといい!分かったか!この木偶坊主が!……」
などと罵詈雑言の限りを心の中で吐きまくり、結局煮えくり返った腸は治まらず、といった結果でした。おしまい。
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