コミュニケーションをええ感じに進める方法について
2007年12月10日 エッセイ コメント (5).
「どんな場合にでも成り立つ、コミュニケーションを円滑に進める方法は存在するのか?また、あるとしたらどんな方法があるのだろうか?」
こんな問いを持った経緯を少しだけ書こう。
近頃の僕ときたらひどく内向的で、なんというか、人と話していてもさほど楽しくなく、早く家に帰って読書の続きをしてえ!などと割と本気で渇望している。
これは誰と話している時も例外はなかった。
電話で中学時代に一番仲の良かったツレと話している時も、学校で心を寄せる女性と話している時も、始めこそ調子よく冗談なんかも溢れんばかりに繰り出せるのだが、しだいに、どういうわけか段々と心の中は空疎になってゆき、ある時ポン!と早く会話を切り上げてしまいたい、と実感として分かるほどに思ってしまうのである。それほど親密ではない人なんて、顔を見ただけで逃げ出したくなる。病気かもしらん。
おそらく読んでいた本の毒に触れたとか(いろいろな本を併読しているのでどの毒に当たったのかわからないけど)、もともとの内向性がどういうわけか近頃(ここ3ヶ月くらいかな)にだしぬけに発症したのか分からないけど、ともかく、
コミュニケーションをとっていて楽しくない、というのは生きる上において、けっこう深刻ちゃう?と今しがた、勃然と思った次第。
ここで冒頭に記した疑問である、
>『どんな場合にでも成り立つ、コミュニケーションを円滑に進める方法は存在するのか?また、あるとしたらどんな方法があるのだろうか?』
が頭によぎったのである。
まず、この問いの正確な意味を把握するために、
言葉を定義してみたい。
『どんな場合にでも成り立つ』とは、そのまんまの意味。面接の場でも雑談の場でも、いかなる時にでも、ということである。
『コミュニケーション』とは、人と話すこと、そして意見を交換すること、としようか。
『円滑に進む』とは、相手も自分も楽しく・快く、そしてスムーズに物事が進む、とする。
次に、「どんな場合にでも成り立つ、コミュニケーションを円滑に進める方法は存在するのか?」の答えについて考えてみる。しかし、仮に「そんなものはナイ!」などと考えてしまえばどうしようもなくなるので、多少の正確さは無視して、あるものとして考える。
これは数学や論理学ではなくて、「ポジティブに生きる」ための問いなのであり、そこに2+2=4や、A=B B=C ゆえにA=Cのような正確さは要らないのである。
往々にして人は「絶対の正しさ」「真理」を求めたがる。それを渇望すること、それ自体は素晴らしい営みであると僕は信じる。しかし、だからといってあらゆるものに絶対の正しさが存在するというわけでもないだろう。いわゆる道徳・倫理の分野がその典型例だ。我々がそこに見出せるのは価値観であり、ものの見方である。例えば、「人を殺してはならない」という命題があったとして、そこに真理は存在するのか。絶対的な正しさは存在するのか。
今日の日記のメインテーマである、
「あらゆる場面でコミュニケーションを円滑に進める方法があるのか」の問いも、上のように、絶対的な正しさはないだろうと思う。だから、「その方法は、ズバリあります!」と断言するのは間違っているかもしれない。けれども、ここで間違っている、といってしまえば、僕はうんざりしてしまう。
なぜなら、間違っている、と言ってしまえば、あとに残るのは「残念なきもち」だけだからだ。
わざわざ自分で自分を落ち込ませるほど僕は狂っちゃいないし、何より、僕はできることなら前向きに・楽しく・嫌な思いはしないで生きたい。だから、もう、間違っていようが解が無かろうが、コミュニケーションを円滑にできる!と考えるほかないのである。
「なぜ人を殺してはいけないのか」
これも根本はさきほど僕が述べた理由と同じなのかもしれない。
仮に「いいぞ、どんな場合にでも、どんどん人を殺してしまえ!ぎゃははは!」なぞと言ってしまえば、もしくは、
「人を殺してもいいかもしれないし、駄目かもしれない」
などという曖昧きわまることを言ってしまえば、確実にとんでもない数の殺人が頻発し、なんだか嫌な社会になるに決まっている。
大多数の人がそんな社会は望まないだろう。
要するに、理由は後付けだっていい、ということだ。正確性に拘泥すれば、そのぶんだけ日々は、今と変わらぬ沈鬱なコミュニケーションで塗り固められていってしまうのだから。
さて、次は具体的にどうやって、明るくハッピーなコミュニケーションをとるかについて書きたい。
■まず、自分がコミュニケーションを楽しむ
人間は、人の反応をみて今の状況を確認するものだ。
例えば人と話していて、相手がつまらなそうにしている。あなたはきっとこう思うことだろう。
「ああ、俺と話していても楽しくないんだな」
これは、逆も真なのである。
つまり、自分がつまらなそうにしていると、相手もそれを敏感に察知し、しばらくすると内心で深い溜息をつくに違いないのである。
往々にして心持は態度に出やすいものだ。
苛苛すると思ったら眉毛がつりあがるし、
つまらないなあと思ったらうつむきがちになるし、
楽しいと思ったら身振り手振りが大げさになるものだし、
悲しいと思ったら瞳に涙がたまるものだ。
そういうことは人は本能的に察知し、そして「同調」する!
そう、「同調」するのである!
例えば、自分がサイッコーにノリノリのアッパーテンションでグイグイにイカしたトークを繰り広げているとしよう!
無我夢中になっていてはじめは気がつかないかもしれないが、
ふと相手の顔をみれば、
「なんだこいつ、ツマンねー!!」
と書いてあったとする。
もうその瞬間テンションがた落ちですよ、急転直下の清水寺ですよ、こんなものは。
ここでこわいのが、「ツマンネ」とか言ってるやつに限って饒舌にしている人間が黙ると
「え、黙るの、それはそれで気まずいし、なんだったらつまらんことでも喋っててくれた方がよかったなあ…」
なぞと自分勝手なことを心ひそかに嘯き始めるところ。
ただ、そう思うのは別に「しゃべり」を求めているからじゃない。
相手の上機嫌を求めているからだ。
先ほどまでひょうきんな顔をして息もつかず熱弁していた相手が急に無口になって、煙草を吸い始め、挙句の果てにぼんやりと窓の外の星を眺めだしたら、そりゃ「き。気まずい!」ってなりますよね。
もちろん人は常に相手の「極限クラスのアッパーテンション」は望んでいない。しかし、「上機嫌」なら、望むところなのである。かかってこいなのである。それは、上で説明したような、「同調」効果によるものだ。
相手が上機嫌なら、こっちも「ツマンネ」とか言いながら、徐々にではあるが、上機嫌のテンションへと移行しているのである。ツマンネ・マインドはなかなかに頑固なので、その効果が見えにくいものではあるが、しかし、僕の21年の経験を信じてほしい!上機嫌マインドは必ず、伝播する!
上機嫌マインドは愛に溢れたサービスである。
相手の冷たく固まった心の氷河を溶かし、感情の通う清泉にかたちを変え、更には全身を暖かにほぐすへ温泉と変える、魔法なのである。
「与えよ、さらば与えられん。」 の精神である。(新約聖書・ルカによる福音書6)自分がコミュニケーションを楽しみたいならば、まず自分が上機嫌になるのが手っ取り早い方法だと僕は考える。
ただ、「ツマンネ」態度は破壊力抜群なので、意識していないとすぐに相手のペースにのまれてしまう。「求めよ」ではなくて、「与えよ」を肝に銘じておかないと、僕みたいな軟弱な人間はすぐそのイージーな方に流されてしまう。
また、この「自分から楽しむ」という方法のもうひとつの良いところは、相手に依らず「既に楽しんでしまっている」ところである!
これはすごいことだ。
だが、よくわからん。
「自分から楽しむって、どうやって楽しむの?そこ重要でしょーよー!」という突っ込みをいれたくなる。
相手が楽しそうにしていて楽しくなるのはまだ分かるが、
自分からまず「楽しくしてこます!よし、やるで!」
と決心した時に、その方法とか心の持ち方がよくわからんのである。
ということで、次にでどうやって自分が上機嫌になるか、楽しくなるか、これを書く。書きなぐる。
■どうやって自分が上機嫌になるか、楽しくなるか
まずは、根本的なところから考えたい。
なぜいま「自分が楽しくないのか?」
ここですよ、ここ。
一般的には、好きな人と話していたり、仲の良い人間と話す前に意識的に「楽しく話す心の準備をしよう、ふーふー!」などと意気込んだりせず、無意識的にテンションが上昇し、「ああっ!一刻も早く喋りたい!」とのっけから上機嫌であることが多いだろうし、僕も21年間生きてきたけど、そういうことは多かった。
ただ、そういったメンタルになれないのが近頃の僕なので、こう、意識的にグインと気持ちを突き上げる方法、これを考えている次第である。
話は「なぜ、自分が上機嫌に喋れていないか」
ここに戻る。
自分が思うその理由を箇条書きしてみる。ここで書かれていることは必ずしも著者の「盛男」のことではなく、「自分が上機嫌に喋れていないと思っている人」に該当するであろうと、盛男が勝手に予測したものである。また、あくまで可能性であって、書かれた事柄は必ずしも正しくはないことに注意してほしい。
・他にやりたいことがある
・その人と話しても楽しくないことが分かる。もしくは予感がする。
・孤独であることに慣れてしまっていて、人との付き合い方が分からなくなった。
・コミュニケーションとは自分の思うようにならないものであるが、それが嫌だ、気に食わない。
・人と話すことが苦痛だ。
・自分が絶対に正しいと思っていて、その他の人のこと・または意見を価値のあるものだと思っていない。
・話すことは無駄だと思っている。
・他人が嫌いだ。
・他人が怖い。
・他人と話すのが恥ずかしい。
・空気を読むことが苦手だから、相手に迷惑をかけるんじゃないかとびくびくしている。
・思ったことを喋れないから(宗教的なこととか、政治的なこと)楽しくなれない。建前が嫌い。
・表面をなぞる様な会話が嫌い
・コミュニティの中にあるキャラクター(レッテル)のせいで、本当の自分が出せないから。また、そのレッテルが嫌い。
・コミュニティが自分とは合わない(気がする)
・そもそも、楽しくなったことがない。
コミュニケーションを楽しめない人のあり方は一様ではなく、多種に渡ることが、上の列挙によって分かっていただけたと思う。
上に挙げた項目の中でも1つしか該当しない人もいるかもしれないし、4つに該当するかもしれないし、曖昧で、幾つ該当しているか分からない人もいるだろう。
それら全ての人に共通する「どうやって自分が上機嫌になるか、楽しくなるか」という問いの答えなぞあるのか、とあなたは僕を問いただしたくなっていることだろう。
そんなものは、あるに決まっている!
だが、残念なことに、僕が知らないだけだ!
「ここまで読んませておいて、それが結論か!ブチのめすぞ!」
「ひえー!後生でござい!おゆるしくだせえ!」
とまあ、こんな終わり方ではやはり後味が悪いので、仮説だけでもかいてみる。
1>楽しくないけど楽しいと信じ込む。
心持ち、これをとにかくアッパーな方向に引き上げる!引き上げる!自己暗示みたいなもの。
2>とりあえず、笑顔になる
気持ち悪いけど、実際にニコニコしてみるといい。なんか、心もニコニコしてくるから。逆にしかめっ面していると、なんか分からんけど、イラってくる。人間の心なんてその程度のものなのかも。
3>コミュニケーションをとっている今を未来の視点から眺める。
要するに、今、「ツマンネ」と思い積極的になれない自分を、未来の自分がどう思うか、考えてみるといいかもしれん、ということ。
『コミュニケーションを楽しくとること=グッド!』だと思っていれば、今よりは楽しくしようと考えるはず。
4>話している相手のいいところを見つける。そして褒める。
以前書いた「怒りを鎮める方法」の引用。
「同調」効果を高める。
今日はこのくらいにします。
この日記の続きとなる文章はその内書くことになると思います。
ご清聴ありがとうございました。
「どんな場合にでも成り立つ、コミュニケーションを円滑に進める方法は存在するのか?また、あるとしたらどんな方法があるのだろうか?」
こんな問いを持った経緯を少しだけ書こう。
近頃の僕ときたらひどく内向的で、なんというか、人と話していてもさほど楽しくなく、早く家に帰って読書の続きをしてえ!などと割と本気で渇望している。
これは誰と話している時も例外はなかった。
電話で中学時代に一番仲の良かったツレと話している時も、学校で心を寄せる女性と話している時も、始めこそ調子よく冗談なんかも溢れんばかりに繰り出せるのだが、しだいに、どういうわけか段々と心の中は空疎になってゆき、ある時ポン!と早く会話を切り上げてしまいたい、と実感として分かるほどに思ってしまうのである。それほど親密ではない人なんて、顔を見ただけで逃げ出したくなる。病気かもしらん。
おそらく読んでいた本の毒に触れたとか(いろいろな本を併読しているのでどの毒に当たったのかわからないけど)、もともとの内向性がどういうわけか近頃(ここ3ヶ月くらいかな)にだしぬけに発症したのか分からないけど、ともかく、
コミュニケーションをとっていて楽しくない、というのは生きる上において、けっこう深刻ちゃう?と今しがた、勃然と思った次第。
ここで冒頭に記した疑問である、
>『どんな場合にでも成り立つ、コミュニケーションを円滑に進める方法は存在するのか?また、あるとしたらどんな方法があるのだろうか?』
が頭によぎったのである。
まず、この問いの正確な意味を把握するために、
言葉を定義してみたい。
『どんな場合にでも成り立つ』とは、そのまんまの意味。面接の場でも雑談の場でも、いかなる時にでも、ということである。
『コミュニケーション』とは、人と話すこと、そして意見を交換すること、としようか。
『円滑に進む』とは、相手も自分も楽しく・快く、そしてスムーズに物事が進む、とする。
次に、「どんな場合にでも成り立つ、コミュニケーションを円滑に進める方法は存在するのか?」の答えについて考えてみる。しかし、仮に「そんなものはナイ!」などと考えてしまえばどうしようもなくなるので、多少の正確さは無視して、あるものとして考える。
これは数学や論理学ではなくて、「ポジティブに生きる」ための問いなのであり、そこに2+2=4や、A=B B=C ゆえにA=Cのような正確さは要らないのである。
往々にして人は「絶対の正しさ」「真理」を求めたがる。それを渇望すること、それ自体は素晴らしい営みであると僕は信じる。しかし、だからといってあらゆるものに絶対の正しさが存在するというわけでもないだろう。いわゆる道徳・倫理の分野がその典型例だ。我々がそこに見出せるのは価値観であり、ものの見方である。例えば、「人を殺してはならない」という命題があったとして、そこに真理は存在するのか。絶対的な正しさは存在するのか。
今日の日記のメインテーマである、
「あらゆる場面でコミュニケーションを円滑に進める方法があるのか」の問いも、上のように、絶対的な正しさはないだろうと思う。だから、「その方法は、ズバリあります!」と断言するのは間違っているかもしれない。けれども、ここで間違っている、といってしまえば、僕はうんざりしてしまう。
なぜなら、間違っている、と言ってしまえば、あとに残るのは「残念なきもち」だけだからだ。
わざわざ自分で自分を落ち込ませるほど僕は狂っちゃいないし、何より、僕はできることなら前向きに・楽しく・嫌な思いはしないで生きたい。だから、もう、間違っていようが解が無かろうが、コミュニケーションを円滑にできる!と考えるほかないのである。
「なぜ人を殺してはいけないのか」
これも根本はさきほど僕が述べた理由と同じなのかもしれない。
仮に「いいぞ、どんな場合にでも、どんどん人を殺してしまえ!ぎゃははは!」なぞと言ってしまえば、もしくは、
「人を殺してもいいかもしれないし、駄目かもしれない」
などという曖昧きわまることを言ってしまえば、確実にとんでもない数の殺人が頻発し、なんだか嫌な社会になるに決まっている。
大多数の人がそんな社会は望まないだろう。
要するに、理由は後付けだっていい、ということだ。正確性に拘泥すれば、そのぶんだけ日々は、今と変わらぬ沈鬱なコミュニケーションで塗り固められていってしまうのだから。
さて、次は具体的にどうやって、明るくハッピーなコミュニケーションをとるかについて書きたい。
■まず、自分がコミュニケーションを楽しむ
人間は、人の反応をみて今の状況を確認するものだ。
例えば人と話していて、相手がつまらなそうにしている。あなたはきっとこう思うことだろう。
「ああ、俺と話していても楽しくないんだな」
これは、逆も真なのである。
つまり、自分がつまらなそうにしていると、相手もそれを敏感に察知し、しばらくすると内心で深い溜息をつくに違いないのである。
往々にして心持は態度に出やすいものだ。
苛苛すると思ったら眉毛がつりあがるし、
つまらないなあと思ったらうつむきがちになるし、
楽しいと思ったら身振り手振りが大げさになるものだし、
悲しいと思ったら瞳に涙がたまるものだ。
そういうことは人は本能的に察知し、そして「同調」する!
そう、「同調」するのである!
例えば、自分がサイッコーにノリノリのアッパーテンションでグイグイにイカしたトークを繰り広げているとしよう!
無我夢中になっていてはじめは気がつかないかもしれないが、
ふと相手の顔をみれば、
「なんだこいつ、ツマンねー!!」
と書いてあったとする。
もうその瞬間テンションがた落ちですよ、急転直下の清水寺ですよ、こんなものは。
ここでこわいのが、「ツマンネ」とか言ってるやつに限って饒舌にしている人間が黙ると
「え、黙るの、それはそれで気まずいし、なんだったらつまらんことでも喋っててくれた方がよかったなあ…」
なぞと自分勝手なことを心ひそかに嘯き始めるところ。
ただ、そう思うのは別に「しゃべり」を求めているからじゃない。
相手の上機嫌を求めているからだ。
先ほどまでひょうきんな顔をして息もつかず熱弁していた相手が急に無口になって、煙草を吸い始め、挙句の果てにぼんやりと窓の外の星を眺めだしたら、そりゃ「き。気まずい!」ってなりますよね。
もちろん人は常に相手の「極限クラスのアッパーテンション」は望んでいない。しかし、「上機嫌」なら、望むところなのである。かかってこいなのである。それは、上で説明したような、「同調」効果によるものだ。
相手が上機嫌なら、こっちも「ツマンネ」とか言いながら、徐々にではあるが、上機嫌のテンションへと移行しているのである。ツマンネ・マインドはなかなかに頑固なので、その効果が見えにくいものではあるが、しかし、僕の21年の経験を信じてほしい!上機嫌マインドは必ず、伝播する!
上機嫌マインドは愛に溢れたサービスである。
相手の冷たく固まった心の氷河を溶かし、感情の通う清泉にかたちを変え、更には全身を暖かにほぐすへ温泉と変える、魔法なのである。
「与えよ、さらば与えられん。」 の精神である。(新約聖書・ルカによる福音書6)自分がコミュニケーションを楽しみたいならば、まず自分が上機嫌になるのが手っ取り早い方法だと僕は考える。
ただ、「ツマンネ」態度は破壊力抜群なので、意識していないとすぐに相手のペースにのまれてしまう。「求めよ」ではなくて、「与えよ」を肝に銘じておかないと、僕みたいな軟弱な人間はすぐそのイージーな方に流されてしまう。
また、この「自分から楽しむ」という方法のもうひとつの良いところは、相手に依らず「既に楽しんでしまっている」ところである!
これはすごいことだ。
だが、よくわからん。
「自分から楽しむって、どうやって楽しむの?そこ重要でしょーよー!」という突っ込みをいれたくなる。
相手が楽しそうにしていて楽しくなるのはまだ分かるが、
自分からまず「楽しくしてこます!よし、やるで!」
と決心した時に、その方法とか心の持ち方がよくわからんのである。
ということで、次にでどうやって自分が上機嫌になるか、楽しくなるか、これを書く。書きなぐる。
■どうやって自分が上機嫌になるか、楽しくなるか
まずは、根本的なところから考えたい。
なぜいま「自分が楽しくないのか?」
ここですよ、ここ。
一般的には、好きな人と話していたり、仲の良い人間と話す前に意識的に「楽しく話す心の準備をしよう、ふーふー!」などと意気込んだりせず、無意識的にテンションが上昇し、「ああっ!一刻も早く喋りたい!」とのっけから上機嫌であることが多いだろうし、僕も21年間生きてきたけど、そういうことは多かった。
ただ、そういったメンタルになれないのが近頃の僕なので、こう、意識的にグインと気持ちを突き上げる方法、これを考えている次第である。
話は「なぜ、自分が上機嫌に喋れていないか」
ここに戻る。
自分が思うその理由を箇条書きしてみる。ここで書かれていることは必ずしも著者の「盛男」のことではなく、「自分が上機嫌に喋れていないと思っている人」に該当するであろうと、盛男が勝手に予測したものである。また、あくまで可能性であって、書かれた事柄は必ずしも正しくはないことに注意してほしい。
・他にやりたいことがある
・その人と話しても楽しくないことが分かる。もしくは予感がする。
・孤独であることに慣れてしまっていて、人との付き合い方が分からなくなった。
・コミュニケーションとは自分の思うようにならないものであるが、それが嫌だ、気に食わない。
・人と話すことが苦痛だ。
・自分が絶対に正しいと思っていて、その他の人のこと・または意見を価値のあるものだと思っていない。
・話すことは無駄だと思っている。
・他人が嫌いだ。
・他人が怖い。
・他人と話すのが恥ずかしい。
・空気を読むことが苦手だから、相手に迷惑をかけるんじゃないかとびくびくしている。
・思ったことを喋れないから(宗教的なこととか、政治的なこと)楽しくなれない。建前が嫌い。
・表面をなぞる様な会話が嫌い
・コミュニティの中にあるキャラクター(レッテル)のせいで、本当の自分が出せないから。また、そのレッテルが嫌い。
・コミュニティが自分とは合わない(気がする)
・そもそも、楽しくなったことがない。
コミュニケーションを楽しめない人のあり方は一様ではなく、多種に渡ることが、上の列挙によって分かっていただけたと思う。
上に挙げた項目の中でも1つしか該当しない人もいるかもしれないし、4つに該当するかもしれないし、曖昧で、幾つ該当しているか分からない人もいるだろう。
それら全ての人に共通する「どうやって自分が上機嫌になるか、楽しくなるか」という問いの答えなぞあるのか、とあなたは僕を問いただしたくなっていることだろう。
そんなものは、あるに決まっている!
だが、残念なことに、僕が知らないだけだ!
「ここまで読んませておいて、それが結論か!ブチのめすぞ!」
「ひえー!後生でござい!おゆるしくだせえ!」
とまあ、こんな終わり方ではやはり後味が悪いので、仮説だけでもかいてみる。
1>楽しくないけど楽しいと信じ込む。
心持ち、これをとにかくアッパーな方向に引き上げる!引き上げる!自己暗示みたいなもの。
2>とりあえず、笑顔になる
気持ち悪いけど、実際にニコニコしてみるといい。なんか、心もニコニコしてくるから。逆にしかめっ面していると、なんか分からんけど、イラってくる。人間の心なんてその程度のものなのかも。
3>コミュニケーションをとっている今を未来の視点から眺める。
要するに、今、「ツマンネ」と思い積極的になれない自分を、未来の自分がどう思うか、考えてみるといいかもしれん、ということ。
『コミュニケーションを楽しくとること=グッド!』だと思っていれば、今よりは楽しくしようと考えるはず。
4>話している相手のいいところを見つける。そして褒める。
以前書いた「怒りを鎮める方法」の引用。
「同調」効果を高める。
今日はこのくらいにします。
この日記の続きとなる文章はその内書くことになると思います。
ご清聴ありがとうございました。
コメント
こんな理由があるとは思わなかったよ。
そうだね、とりあえずボクは病院行ったけど健康だったよ。
うん、つまんない結果でごめんね。
変な力が覚醒したりしたら面白かったんだけどね。
何もなくてよかったね!
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突然のカキコミ失礼致しました。
俺なんかは長いことはなせないなーww
まぁもともとネタがないってのもあるが・・・
>楽しくないけど楽しいと信じ込む。
たしかにこれは大事だねーw
何事にもポジティブでいることが大切だwww
うん、そういられたらいいんだけどね・・・www
あと、アクセスゲートって怪しさが満開だなwwwwwww
URL踏んだらノートン先生が激怒しそうだ
話していたらネタがなくなって、シドロモドロになるはあるあるだなぁ。
話のタネを探そうとしても、何も思いつかなくて、うーんうーんとかうなってるの、まだまだ精進が足りんと思うわ
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