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お腹一杯まで食べようかどうか迷っている人の話
2007年12月27日 会話 コメント (4)満腹まで食べようかなぁ、どうしようかなぁ、と思っている人の話
A「どうしようかなあ、悩むなあ。実に悩むなあ」
B「どうしたんだい、A君」
A「これはこれはB君。いやね、俺はいま、腹8分目、いやどうだろうな、7.5分目、いやともすれば6分目かもしらん…。
ともかく、なんというか、満腹じゃないんだよ。なんか、もっと食べてもええんちゃうん?みたいなマインドがあるんよ。」
B「そういう時は確かにあるね、微妙なかんじだよね。でもイザお腹一杯まで食べると後悔する。気分は悪くなるし、動けなくなるし、何もする気が起きなくなる」
A「そうなんだよ、最近注目されているメタボリック症候群を筆頭に、肥満や三高(高血糖・高脂血症・高血圧)といったとんでもない疾病が、食べ過ぎのリスクとして付きまとう。
満腹前でぐっと我慢。あとは気ままにスクワットでもして体脂肪を燃やす方が余程賢明というもの…」
B「でも、それがなかなかできないんだよね…。僕もついつい夜中の2時くらいに、カップ麺を買いにコンビニに走ってしまうことがある。最近はしっかり我慢してるけど」
A「ただね、さっき俺は食べ過ぎないことが賢明、って言ったけど、あれ、ホントに賢明だと思う?」
B「当たり前じゃないか!食べ過ぎていいことなんて、何もないに決まってるじゃないか!」
A「君は少々感情をなおざりにしているようだね…!」
B「感情だって?つまり君はこう言いたいんだね?感情にながされないことが必ずしも賢明だとは言い切れないと!
やめないか!そんな戯言は!目先のことしか考えない、短絡的な考えに、賢明さなど介在するわけないだろう!」
A「むろん、俺だってそう思う。目先の満腹に目を奪われ、翌日には手酷い胸焼け、むかつき、胃もたれに苛まれ、挙句数年後、醜いどてっ腹を身につけることになる…。
一方の腹八分目は病気とは無縁の、いたってパーフェクトな状態。言う事無し。人生順風満帆といったところだ。」
B「わかってるじゃないか。そう、長期的に見れば、答えは明らかなんだよ」
A「人間が恋をするのはなぜだと思う?」
B「な、なんだい突然?」
A「失恋することが分かっているのに、なぜ人間は恋をする?
結婚しても死別が待っていることが分かっているのに、なぜ人間は結婚をする?」
B「それが君の言う『感情』かい!?なるほど、言いたいことは分かるよ。つまり、人間は一時性を激しく望む、ということだろう?その場その場の欲求はどう抗っても、どう理性的に考えても、容易にはねのけることは出来ない。それを超越したところに『本能』が存在する、そう言いたいんだろう?」
A「まあ、概ねそんなところさ。人間、いや、生物は死からは絶対に逃れられない。今俺がこうやって話をしている間も、着実に俺は死に近づいている!そして恐るべきことに、俺たちは死がいつ訪れるか、さっぱり分からない!明日かもしれないし、4年後かもしれないし、60年後かもしれない!
ともかく、不確定要素なんだよ、そこは。
だとすれば、だ。明日死ぬかもしれないのに、なぜ今自分の幸福を最大化…、つまり満腹になるまで食べる喜びを捨てることが愚行になるんだい?なぜ満腹まで食べず、そこそこで済ませることを賢明だと言い切れるんだい?」
B「屁理屈だよ、そんなものは!
君は今21歳だよね。厚生労働省の作成した平均余命表によると、君はあと58.53年は生きるだろう、ということになっている。もちろん、絶対ではないけど、少なくとも、明日死ぬなんていう怖ろしく低い確率のことなんて考えず、ひとまず、将来、これについて考え、それに得を及ぼすような行動した方が賢明というものだろう?」
A「確率のおそろしいところは、絶対ではないところだ。
欲望の持つ圧倒的な魔力の前には、朧気で頼りない確率なんて、霞んで消える。遊戯にならまだしも、ライフスタイルに確率をもちこむなんて、どんだけ貧しい生き方なんだよ」
B「じゃあ訊いていいかい?貧しい生き方ってなんだい?」
A「窮屈ってことさ。自由がない、とも言えようか。
要するに、縛られているんだ、何者かに。
むろん、特権的な才能を持つ人間以外に『自分の頭で考えることは、ほとんど無駄』なことは知っているし、心から納得できる思想も持ち得ないことは知っている。俺も含め、本質的に人間は不自由だが、それに抵抗しないこと、つまり、確率や他人の考えに無批判にほいほいと追従すること、これが果たして自由な生き方といえようか?満ち足りた生き方と言えようか?
断ぜよう!こういう生き方は、持つ物から見れば、或いは持つ意思のある者から見れば、実に貧しいと!」
B「待ってほしい、そう考えるなら、本能に追従することも、これまた貧しい生き方とならないか?だって、そこに抵抗や批判は介在して無いんだから。盲目的に、窮屈に生きているのは満腹まで食べる人にも当てはまるんじゃないのい?」
A「もちろんそうさ!だが、それは長期的に見て得になることしかしない人にも言えるよね、つまりはこういうことさ。
僕は決して満腹まで食べることを必ずしも良しとはしないし、腹八分目まで食べることも必ずしもよしとしない。ただ、盲目的になることを、恐れているのさ」
B「なるほど…。僕は常々、バランスが大事だと思っていた。
けど今考えると、その思い込みに縛られていた気がする…。
自分の中に絶対に正しいという軸があって、それを疑おうとしなかった。無批判に、自分の信念に忠実になっていた…」
A「そこが人間の怖いところだよ。一度得た確信的な正しさを、なかな疑うことが出来ない。例えば、数学だ。ともすれば、数学とは永遠普遍の真実のように思える。実際に20世紀初頭まで、数学を基礎にして、あらゆる問題を体系的に解決できると信じられていた。そこで登場したのがゲーデルの不完全性定理だ。ゲーデルはそれまでの常識を180度覆す、歴史的な証明を行った。それは数学が決して完全ではなく、また完全には決してなり得ない、という恐るべき証明だ。
俺含め、多くの人間はゲーデルのような慧眼は持ち合わせてはいないはずだ。だが、より効用(よろこび)を得ようと、選択肢は複数持つことは出来る。その選択肢の多さこそが豊かさであり、ともすれば知性なのだと思うよ」
B「そのためには、まずは自分の価値観を疑うこと、か」
A「そうだね、さっきも言ったように、俺含め多くの凡人の価値観なんて信用できるものじゃない。そんなものに無批判に拘るのは、賢明だとは言いがたいよね。ということで、ちょっくらファミチキ買ってくるおwwwwwwジューーシーーwwwww」
B ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
A「どうしようかなあ、悩むなあ。実に悩むなあ」
B「どうしたんだい、A君」
A「これはこれはB君。いやね、俺はいま、腹8分目、いやどうだろうな、7.5分目、いやともすれば6分目かもしらん…。
ともかく、なんというか、満腹じゃないんだよ。なんか、もっと食べてもええんちゃうん?みたいなマインドがあるんよ。」
B「そういう時は確かにあるね、微妙なかんじだよね。でもイザお腹一杯まで食べると後悔する。気分は悪くなるし、動けなくなるし、何もする気が起きなくなる」
A「そうなんだよ、最近注目されているメタボリック症候群を筆頭に、肥満や三高(高血糖・高脂血症・高血圧)といったとんでもない疾病が、食べ過ぎのリスクとして付きまとう。
満腹前でぐっと我慢。あとは気ままにスクワットでもして体脂肪を燃やす方が余程賢明というもの…」
B「でも、それがなかなかできないんだよね…。僕もついつい夜中の2時くらいに、カップ麺を買いにコンビニに走ってしまうことがある。最近はしっかり我慢してるけど」
A「ただね、さっき俺は食べ過ぎないことが賢明、って言ったけど、あれ、ホントに賢明だと思う?」
B「当たり前じゃないか!食べ過ぎていいことなんて、何もないに決まってるじゃないか!」
A「君は少々感情をなおざりにしているようだね…!」
B「感情だって?つまり君はこう言いたいんだね?感情にながされないことが必ずしも賢明だとは言い切れないと!
やめないか!そんな戯言は!目先のことしか考えない、短絡的な考えに、賢明さなど介在するわけないだろう!」
A「むろん、俺だってそう思う。目先の満腹に目を奪われ、翌日には手酷い胸焼け、むかつき、胃もたれに苛まれ、挙句数年後、醜いどてっ腹を身につけることになる…。
一方の腹八分目は病気とは無縁の、いたってパーフェクトな状態。言う事無し。人生順風満帆といったところだ。」
B「わかってるじゃないか。そう、長期的に見れば、答えは明らかなんだよ」
A「人間が恋をするのはなぜだと思う?」
B「な、なんだい突然?」
A「失恋することが分かっているのに、なぜ人間は恋をする?
結婚しても死別が待っていることが分かっているのに、なぜ人間は結婚をする?」
B「それが君の言う『感情』かい!?なるほど、言いたいことは分かるよ。つまり、人間は一時性を激しく望む、ということだろう?その場その場の欲求はどう抗っても、どう理性的に考えても、容易にはねのけることは出来ない。それを超越したところに『本能』が存在する、そう言いたいんだろう?」
A「まあ、概ねそんなところさ。人間、いや、生物は死からは絶対に逃れられない。今俺がこうやって話をしている間も、着実に俺は死に近づいている!そして恐るべきことに、俺たちは死がいつ訪れるか、さっぱり分からない!明日かもしれないし、4年後かもしれないし、60年後かもしれない!
ともかく、不確定要素なんだよ、そこは。
だとすれば、だ。明日死ぬかもしれないのに、なぜ今自分の幸福を最大化…、つまり満腹になるまで食べる喜びを捨てることが愚行になるんだい?なぜ満腹まで食べず、そこそこで済ませることを賢明だと言い切れるんだい?」
B「屁理屈だよ、そんなものは!
君は今21歳だよね。厚生労働省の作成した平均余命表によると、君はあと58.53年は生きるだろう、ということになっている。もちろん、絶対ではないけど、少なくとも、明日死ぬなんていう怖ろしく低い確率のことなんて考えず、ひとまず、将来、これについて考え、それに得を及ぼすような行動した方が賢明というものだろう?」
A「確率のおそろしいところは、絶対ではないところだ。
欲望の持つ圧倒的な魔力の前には、朧気で頼りない確率なんて、霞んで消える。遊戯にならまだしも、ライフスタイルに確率をもちこむなんて、どんだけ貧しい生き方なんだよ」
B「じゃあ訊いていいかい?貧しい生き方ってなんだい?」
A「窮屈ってことさ。自由がない、とも言えようか。
要するに、縛られているんだ、何者かに。
むろん、特権的な才能を持つ人間以外に『自分の頭で考えることは、ほとんど無駄』なことは知っているし、心から納得できる思想も持ち得ないことは知っている。俺も含め、本質的に人間は不自由だが、それに抵抗しないこと、つまり、確率や他人の考えに無批判にほいほいと追従すること、これが果たして自由な生き方といえようか?満ち足りた生き方と言えようか?
断ぜよう!こういう生き方は、持つ物から見れば、或いは持つ意思のある者から見れば、実に貧しいと!」
B「待ってほしい、そう考えるなら、本能に追従することも、これまた貧しい生き方とならないか?だって、そこに抵抗や批判は介在して無いんだから。盲目的に、窮屈に生きているのは満腹まで食べる人にも当てはまるんじゃないのい?」
A「もちろんそうさ!だが、それは長期的に見て得になることしかしない人にも言えるよね、つまりはこういうことさ。
僕は決して満腹まで食べることを必ずしも良しとはしないし、腹八分目まで食べることも必ずしもよしとしない。ただ、盲目的になることを、恐れているのさ」
B「なるほど…。僕は常々、バランスが大事だと思っていた。
けど今考えると、その思い込みに縛られていた気がする…。
自分の中に絶対に正しいという軸があって、それを疑おうとしなかった。無批判に、自分の信念に忠実になっていた…」
A「そこが人間の怖いところだよ。一度得た確信的な正しさを、なかな疑うことが出来ない。例えば、数学だ。ともすれば、数学とは永遠普遍の真実のように思える。実際に20世紀初頭まで、数学を基礎にして、あらゆる問題を体系的に解決できると信じられていた。そこで登場したのがゲーデルの不完全性定理だ。ゲーデルはそれまでの常識を180度覆す、歴史的な証明を行った。それは数学が決して完全ではなく、また完全には決してなり得ない、という恐るべき証明だ。
俺含め、多くの人間はゲーデルのような慧眼は持ち合わせてはいないはずだ。だが、より効用(よろこび)を得ようと、選択肢は複数持つことは出来る。その選択肢の多さこそが豊かさであり、ともすれば知性なのだと思うよ」
B「そのためには、まずは自分の価値観を疑うこと、か」
A「そうだね、さっきも言ったように、俺含め多くの凡人の価値観なんて信用できるものじゃない。そんなものに無批判に拘るのは、賢明だとは言いがたいよね。ということで、ちょっくらファミチキ買ってくるおwwwwwwジューーシーーwwwww」
B ヽ(・ω・)/ ズコー
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