児ポについて個人的メモ

小さい子供、特に娘を持つ親にとってロリータコンプレックスという性癖を持つ者は悪魔のように映るであろう。そのような単語を聞いただけでも拒否反応を起こす方がいることは(程度の差こそあるが)想像に難くない。悪ふざけや軽率な発言は慎むほうが身のためかもしれない。
児ポの所持における罪とはなんだろうか。一見すれば個人的趣向に過ぎないと思われるかもしれないが、一番の問題は「被写体」にあるのではないか、と考える。判断能力の乏しい幼児や児童をポルノ商品として扱うさい、そこには彼女たちの判断は含まれていない。ただ、外部(ビジネスマンや親)がなかば一方的に彼女らを商品として扱っているのである。幼児・児童のそのときの精神的な苦痛や絶対に消えることのないデータの存在は年をとれば癒えるといった簡単な苦痛ではないと思われる。そのような不幸なガキを生まないためにも、児ポ法は必要不可欠である。そのためには消費者がまず所持していることに何らかのリスクを課す、といった方法も合理的である。当たり前だが、需要がなければ供給はなくなるからだ。現在はネットの発達により児ポの供給の先が無限に広がってしまい、その供給元を突き詰めるのも非常に難しい。なにしろ、世界規模での事なのだから。供給元だけを根絶するのではなく、需要にも優先的にリスクを負わせる事は、非常に合理的な手段だといえる。


犯罪者の抑制
児ポを愛する人間が実際に幼児誘拐などといった犯罪に手を染めやすいのかどうかは知らない。だが、児ポの存在はロリコンの人間を増やすことに繋がりそうだと思われる。最初からガキんちょが好きな生え抜きもいると思うが、見て見ると思いの他良かった、むしろ最高だと思った、という途中参戦組の存在のことだ。彼らが犯罪を起こすかどうかは別にして、無駄に社会的に違法とされている衝動を掻き立てる事は好ましくない。まあ、この辺はレ○プのAVや女子高生モノのAVもあるからそれほど強力な論拠にはなりそうにないが。あくまで「プレイ=遊び」として20歳以上の成人が演じるには問題ないが、この場合、そうもいかないのが辛いところだろう。

性的マイノリティーへの思想
世の中にはさまざまな性癖の人間がいるが、ともすれば「ヘンタイ」などと呼ばれ、侮蔑的な視線を送られることが間々ある。(私はヘンタイではないが)それがギャグとしての侮蔑ならあなたはそれを至極幸福なものとして享受すべきである。ある一定の相対的な感覚を持つ人間は思想的に自由(渋谷で派手な格好をしている人間を見て考えなしに馬鹿だと発言しないとか、常識を煽って遊ぶ事の出来る能力を持っていること)なので、そのようなラディカルとされる性癖にも理解を示せる。だが、そのような考え方の出来ない人間たちはまるで彼らを異邦人の様にみなす。思うに、このような人間に自らの性癖を暴露した事自体に問題があると思う。無駄なイザコザを起こしたくないならは、そのような発言をしないことが最も賢い選択ではなかろうか。どのような思想(あるいは知的水準)を持っているかは、日常の会話でも分かるのに、なぜそのような発言をしてしまったのか、と自分を責めるべきである。ここに気づかずに「なぜ俺の性癖にみなは侮蔑したりするんだろう、まったく腐った世の中だ」などと嘯く前に、発言の内容とその場を見直す、という当たり前の事をするべきである。ただ、イスラム教の同性愛者迫害のような文化的レベルでの嘆きは、仕方がないところもある。

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