どうかね、諸君。夏を満喫しとるかね。謳歌しとるかね。
そういう盛男的には今年の夏はどうなの?と言われれば、まあ、アレだな、ちょっと早めのノスタルジーってとこだな。

毎年の事なんだけど、そして毎年言っていることなんだけど、夏っつうのは切ない季節だ。盆には帰省して旧友とアホするのが毎度のお約束になっているのだけど、関東に帰ってくるとやりきれないマインドがどうしても拭えない。
いや、郷愁に浸ることを一種の防壁として夏の象徴する解放的なマインド以外の現実的な事柄から目を逸らして、それでいて恬然としていようなんて気は更々ないのだけれども。
再会、漫談、希望、成長、そういった瑞々しい泡立ちに溢れた感情・出来事が夏の一時期に終始する。目まぐるしい毎日は確かに楽しかった。
当たり前だが、そこには精神的な堕落もあるし、愚痴もあるし、退行もある。そういった汚れた部分を彼ら(旧友)は無自覚に曝け出し、また、それを甘受しているようですらあったのはやはり、残念ではあった。

ある友人は専門学校を出て、すぐに働き出した。
彼は言う。給料が安い、休みが少ない、出会いがない、将来が暗い、学生時代は楽しかった、と。

俺にとってそういった発言は聞くだけで苦痛だ。ネガティブな話を聞いて元気になる人間はいない。それら退行的な話題は暗く陰鬱な世界へと我々を強制的に誘う。彼が深刻に現実の辛さを自分の努力を棚に挙げて話すとき、我々は一種の口封じをされる事になる。〜話者が、あなたにとって大事な人であればあるほどに〜我々は切実な場面で用いるべき鼓舞する文脈をもたない。励ましは常に軽い、遠く離れたところでしか効能を発揮しない。それはそもそも鼓舞・励まし・鼓吹といった気持ちを昂ぶらせる発言は本質的に自分がそう願っていない場面にこそ出てくるものだからだ。見るがよい、スポーツの声援を。バーで女に甘く囁く男どもを。勉強するように怒鳴る親を、教師を。彼らは常に、自分を見ているか、遠くの離れたものを見ている。眼前にある切実な現実を眺めるとき、それらの言葉はとたんに腐敗する。我々は他者の話を黙って聞くことしかできない。

そういった退行も少々はあったが(そしてそれは、大局で見れば微細な問題にすぎない)反対のことも当然にあった。すなわち、勇気ある健康的な活動・言動も多分にあった。そこに関して、俺は素直に彼らを尊敬する。また、地元の友人らしく、息の合った受け答えも格段に楽しかった。ボケて突っ込んで、を地元のリズムで回せるのはなんたら楽しいことだろうか。
なんにせよ、いい友人を持ったと思う。彼らと遊べてとても有意義な盆休みになった。
ついでに思ったんだけど、
なんというかあれだな、久しぶりに抜いたらやっぱしんどいわ。

コメント

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ヴァルハート
2008年8月19日20:22

ブログランキングのアドレスも抜けてますな(・∀・)

盛男
盛男
2008年8月20日0:20

これはこれは春都さん。お久しぶりです。
今回はネタ記事ではなかったので、リンクははずしておきました。

さろし
さろし
2008年8月21日8:37

夏の終わりと、抜いた後、何か共通するものを感じますが。

盛男
盛男
2008年8月22日1:36

さろしさん>
そういうことだったんですよ、僕がこの日記で言いたかった事は!!!このけだるさなんですよ!!!このむなしさなんですよ!!!このやるせなさなんですよ!!!!
あ、すいません、ひとり興奮しちゃって。