揺れる大地

2009年2月3日 映画
88点


ペットボトル飲料。これは数年前から爆発的に普及してまいりました。
道行く若者、サラリーマン、主婦。みんなペットボトル片手に歩いております。

しかしこの盛男、ずっと違和感を覚え続けてきました。ペットボトルにお茶やらカフェオレやらファンタを入れている、この現実に。

どこがおかしいのか、君らはそう言うでしょう。じゃあ逆に聞きますが、ペットボトルにカレーを入れて飲んでる人がいたらどうでしょうか。ペットボトルにボルシチ入れて飲んでる人がいたらどうでしょうか。

俺が感じている違和感とはつまりはそういうことで、なんでもかんでもペットボトルと言うわけのわからん、透明の、ウスウスの、ペコペコの容器に入れてしまうことへの違和感なんです。ペットボトルはね、下品です。ゲスです。貧乏の象徴みたいなもんです。あんなもんに伝統の日本茶やら豊かさの象徴コカ・コーラを入れてしまうなんてことは飲料そのもののもつ威厳、伝統、チャーミングさ、かわいさ、ハニカミ、そういったもんを全部ぶち壊してしまうんです。全壊です。地震の後です。跡地です。

そんなことを許してもいいのでしょうか。我々はもっと、飲み物にリスペクトを持つべきなのではないでしょうか。どうでしょうか。ニヤニヤしてるそこのあなた、あなたはこの現実をどう受け止めているのでしょうか。どう、対処すべきだと感じておられるのでしょうか。
もう君らもエロ本買える年なんですから、こういう所もしっかり考えていかないといけないのではないでしょうか。それがエロ本を買える年齢になった大人の責務というものなのではないでしょうか。










『揺れる大地(1948)』

監督ルキノ・ヴィスコンティ
製作サルヴォ・ダンジェロ
脚本ルキノ・ヴィスコンティ
出演者アントニオ・アルチディアコノ
音楽ヴィリー・フェッレーロ



シチリアの漁師はいくら大漁であっても仲買人に搾取されため、一向に生活が豊かにならない。
一方で仲買人はウハウハの生活。命をかけて海に出なくても漁師が魚をとってきてくれるから。むろん、反旗を翻したら徹底的に制裁する。

今の日本でもこの映画でいうところの「漁師」と共通する部分も多いのではないでしょうか。
毎日朝から晩まで必死で働いて、それでいて微々たる報酬。稼ぎだした利益の大半を仲介業者にピンはねされる。「腹立つ」と言ってその仕事を辞めても他も同じような仕事しかないし、もう、八方塞がり。いっそ革命でも起こしたい、そういう気持ち。

もちろん、映画の漁師とここでいう「漁師」はまったく違いますが。それはもう、白と黒のようにまったく違いますが。

映画『蟹工船』を俺は観たことがありませんが、たぶん、この映画と相通ずるものがあるのではないでしょうか。



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