ああ、吐きそうやわ。
日曜の夜は吐きそうやわ。



俺は面倒なことからはすぐに逃げ出してきた。バイトも嫌になったらすぐ辞めたし、それが悪いことだとはまったく思わなかった。人生は忍耐ではないと信じていたからだ。


そのためか、俺にはストレス耐性がなく、すげえ打たれ弱い、十代の少女のような、ガラスのハートのまま、23歳になってしまった。



このサラリーマン生活。
新卒ということもあるのだろうが、俺自身そんなデキがいい方じゃないので、怒られたり、注意されたりすることもあって、忍耐を強いられる。不況なので、そんな簡単に仕事辞められないしね。
で、そのたびに、「ああ、俺って駄目だわー。」とか沈鬱になっちゃって、すげえ参る。


いや、沈鬱になったところで、参ったところでどうしようもないのは分かってるけど、参っちゃうもんは仕方ない。




理想的には、失敗を繰り返さない仕組みを作れれば、それでいいはずだ。注意されて「ああ、やってもた」とか思うのは自然だが、それを引きずってなんか吐きそうになるくらい沈鬱
になるのはいかにも不健康だ。

俺は忍耐力がないし、すげえストレスに弱い人間だが、たぶん、慣れるしかないんだと思う。今までイージーな方にばっかり流れてきたが、組織で動く以上、ストレスからは決してフリーになれないだろう。昔は「人生は忍耐ではない」と吹聴していあたが、改めよう。「忍耐は人生のパートナー」だと。否が応でもついてくる。ならば、仲良くしたいよね。


ビールも慣れれば飲めるようになったし、禁煙も紙一重で続いてるし、オナニーも毎日しなくて済むようになったし、たぶん、ストレスも慣れればその対処法が今よりは上手くなるはずだ。




ではどうやってうまく対処していくか。
学びの代償と考える方法が、俺はいいと思うね。

まず、ストレスなどといったネガティヴな感情は必ず生まれるものだと想定する。

そして次に感情とは別の、実際的な問題を考える。具体的には、ストレスを生む原因、そこから学べること、改善すべきこと、それを改善できたらどうなるか、ということ。

この実際的な問題は、確かに一度できなかったことかもしれないし、失敗したことかもしれないが、失敗のおかげで、学べたことでもある。

俺はね、この「学べたこと」だけを見ていきたい。次はもう失敗しないようにメモするなり仕組みを作るなりして、その時感じた「ネガティブ」な感情はその「代償」だと考える。そして得たものの良さ、素晴らしさ、美しさに惚れこむ。そうすると、代償としてのストレスに心割く時間なんて少なくなる。

そう考えれば「代償」がでかければでかいほど、素晴らしいことを学べたことになる。金を払えば払うほど、よい品物が買えるように、ストレスを感じれば感じるほど、恥をかけばかくほど、よりよい学びを得られる。

また、買い物をして払った金にウジウジしてもしゃあないように、代償として払った恥だとかストレスにウジウジしてもしゃあないと考えられるだろう。そんなものよりも、得た学びに惚れこみたいね、俺は。




ストレスというのは金と違って「無尽蔵」である。無尽蔵だからいくらでも学べる…。こんなお得な話があるでしょうか。ありませんね。ストレスなんて誰も感じたくないが、感じてしまったものは仕方ない。だったら無尽蔵やなあ、俺の学びは!!!と考えるのもありやね、と俺は思うね。
ただ人によっては有限で、最終的には病院に担ぎ込まれるという報告もあるが、学びから得た成功体験は心をいくぶんかは軽くする。心は摩耗されていくだけではなく、もちろん、回復だってするというわけである。


不愉快な忍耐は学びのためには仕方ねえ、と考えるのも一つの考え方である。
つうか、そう考えないとやってけねえ!!!とにかく、俺は学ぶね!!!!


長々と面白みのない文章でしたが、明日は月曜だから許して下さい。
日曜の夜は、不思議な気持ちになるんです。




コメント

513
2009年7月27日3:19

んじゃあ俺も学びますわ!!!!


課題やってたら朝の三時、
ふっ、おやつの時間じゃないか(´・ω・`)

盛男
2009年7月27日21:50

513さん!さすが!学びますね!
この学びの点がいつか線になるはずです!お疲様でした!