最近は自分の凝り固まった価値観をほぐし、もっと幅のある人間にならねばならんと思っている。世界には自分の知らないことが沢山ある。それを自分の独断と偏見で、これはつまらないだろう、これは楽しいだろう、と勝手に決めつける…。
これは結局自分の楽しみ・可能性を狭めるだけだ。スノボーだってそうだった。危険・寒い・金かかる、こんなことばかり思ってた、だけどやってみたら最高に楽しかった、つまりはそういうことだ、俺が言いたいのは。


おっぱぶである

これもまた俺の凝り固まった、カチコチの価値観のためだったのだろう、敬遠していた。

意味がわからなかった。

同じくらいのお金を払えば、ヌいてもらえる。ピンサロに行けばヌいてもらえる。それも、おっぱいだってもめる。もっと言えば、ちゅぱちゅぱだってできる。

翻っておっパブはどうだろう?
ピンサロと同じような値段を払って、おっぱいをもむ、なめる、ちゅぱる、酒を飲む…。でもヌきはなし。生殺し状態。

どうせ同じお金を払うならピンサロに行く。これが正常な思考回路を持った人間のすること、俺はそう決めつけていた。

先日友人と行ってきた、おっパブに。
彼はなかなかのおっパブマニヤで、「あみちゃんのおっぱいは本当に完璧なんだ、あのマシュマロのようなやわなかな感触…まだこの手は覚えている、あの奇跡のような感触をね」とロッテリアで真顔で俺に力説するような男だ。

で半額おごってくれるつうから言ってみたんだけど、すげーハッピーでした。
なんつうか、おっパブってすごいハッピーな空間なんですね。

抜きありの店、これは確かに気持ちいいし、これもまたハッピーなんだけど、抜いた後のけだるさ、やるせなさ、そしてチンコを出すことの何とも言えない羞恥心がどうしたってある。

おっぱぶは、クリーンだ

女性読者は意味がわかないと思う、でもわからなくて良い。
おっぱぶはエロというよりも、いちゃつくお店だと思った。どうでもいいことを嬢としゃべり、キスをして、おっぱいを揉み、いちゃいちゃする。エロじゃない。
虚構の愛がそこにはある
おっぱいは人類の源泉である。我々男はそこに愛を見出す。そのおっぱいと、いちゃつきが、男に根源的なハピネスもたらすのである。

自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
とにかく、おっパブはハッピー、それだは確かなことだ。それだけでも覚えて帰ってほしい。それだけを覚えて帰ってほしい。


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