電車の中吊り広告で、次のような一文を発見した。すなわち、『私、これ買います! 欲しいです!』という一文を。
SPURという女性向けのファッション誌の煽り文句だ。 俺はこの一文を読み、慄いた。
慄いたとか言っても、分かってくれない人もいるだろうから、
『私、これ買います! 欲しいです!』という文を解剖してみる。慄きの実態を明らかにしよう。
まず、『私、』である。ただ単純に『私』ではない。『私、』である。この『、』をつけることにより、私をおもいっきり強調している。それが意味するところは、他の誰でもない、世界でたったひとりの、かけがえのない私、という所である。小市民としての、共同体の一人としての私、とは真逆の意味での私である。
ここまでのエゴイズムの発露は正味の話、気持ち悪さしか感じ無い。この精神は中華人民共和国民の有無を言わせない「オレオレ精神」に似ている。下品なのだ。
次に『これ買います! 欲しいです!』である。まず言いたいのは、欲しかったら勝手に好きなだけ買え、つうことで、わざわざ声を大にして、ビックリマークつけて、『これ買います! 欲しいです!』などと言うな、ということである。
百歩譲って、発言そのものには目を瞑ろう、日本国憲法第21条でも表現の自由は保障されていることになっている。
ただ、この『これ買います! 欲しいです!』という狂気には我慢ならない。この一文を読んで、腹が立たない人はいないだろう。なんで2回言うんですか、買います、欲しいです、という同じような意味のことを、ビックリマークまで付けて、2回も言うんですか、という話である。ここには有無を云わせる余地はない。『私』は絶対的に、何があっても、借金をしてでも、東南アジアに売り飛ばされてでも、これが欲しいんです!というクレイジーな肯定だけがある。宗教にのめりこんだ人間を見ているようである。
そこには絶望の深淵が横たわる。我々の一切の言葉は、絶対に届くことはないだろう、という確信とともに。
『私、』(は何がなんでも、絶対的に、どうやってでも、東南アジアに売り飛ばされてでも)『これ買います! 欲しいです!』という一文の気持ち悪さが、分かっていただけたであろうか。
我々人間は、意思疎通を通じ、相互理解を重ね、分かり合っていくいきものである。生きることの前提に・共存の前提には、意思疎通がある。そんな中に「気違いじみた肯定」を持ってこられたら、それはビビる。
俺達が必死で解り合おうとしている・妥協点を見出そうとしているところに、いきなりにそういった営みの一切を拒否し、「私!これ買います!欲しいです!」と眼に血をドクドク走らせながら言われたら、そりゃビビる、慄く、つうはなしである。
ちなみに盛男の場合、『俺、(S●X)買います!したいです!』状態なわけですが、誰か俺のDTをもらってやってくれる人はいませんか。即、メールください。2万円までなら用意できます。10代なら、プラス3万円の準備は出来ています。即、メールください。
SPURという女性向けのファッション誌の煽り文句だ。 俺はこの一文を読み、慄いた。
慄いたとか言っても、分かってくれない人もいるだろうから、
『私、これ買います! 欲しいです!』という文を解剖してみる。慄きの実態を明らかにしよう。
まず、『私、』である。ただ単純に『私』ではない。『私、』である。この『、』をつけることにより、私をおもいっきり強調している。それが意味するところは、他の誰でもない、世界でたったひとりの、かけがえのない私、という所である。小市民としての、共同体の一人としての私、とは真逆の意味での私である。
ここまでのエゴイズムの発露は正味の話、気持ち悪さしか感じ無い。この精神は中華人民共和国民の有無を言わせない「オレオレ精神」に似ている。下品なのだ。
次に『これ買います! 欲しいです!』である。まず言いたいのは、欲しかったら勝手に好きなだけ買え、つうことで、わざわざ声を大にして、ビックリマークつけて、『これ買います! 欲しいです!』などと言うな、ということである。
百歩譲って、発言そのものには目を瞑ろう、日本国憲法第21条でも表現の自由は保障されていることになっている。
ただ、この『これ買います! 欲しいです!』という狂気には我慢ならない。この一文を読んで、腹が立たない人はいないだろう。なんで2回言うんですか、買います、欲しいです、という同じような意味のことを、ビックリマークまで付けて、2回も言うんですか、という話である。ここには有無を云わせる余地はない。『私』は絶対的に、何があっても、借金をしてでも、東南アジアに売り飛ばされてでも、これが欲しいんです!というクレイジーな肯定だけがある。宗教にのめりこんだ人間を見ているようである。
そこには絶望の深淵が横たわる。我々の一切の言葉は、絶対に届くことはないだろう、という確信とともに。
『私、』(は何がなんでも、絶対的に、どうやってでも、東南アジアに売り飛ばされてでも)『これ買います! 欲しいです!』という一文の気持ち悪さが、分かっていただけたであろうか。
我々人間は、意思疎通を通じ、相互理解を重ね、分かり合っていくいきものである。生きることの前提に・共存の前提には、意思疎通がある。そんな中に「気違いじみた肯定」を持ってこられたら、それはビビる。
俺達が必死で解り合おうとしている・妥協点を見出そうとしているところに、いきなりにそういった営みの一切を拒否し、「私!これ買います!欲しいです!」と眼に血をドクドク走らせながら言われたら、そりゃビビる、慄く、つうはなしである。
ちなみに盛男の場合、『俺、(S●X)買います!したいです!』状態なわけですが、誰か俺のDTをもらってやってくれる人はいませんか。即、メールください。2万円までなら用意できます。10代なら、プラス3万円の準備は出来ています。即、メールください。
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