愛とかLoveとかについて真面目に語るとする。
具体的な個々の事象の話ではない。
愛・Loveとかいった抽象論の話だ。


愛とかLoveをあるがままに論じる。そういった場を、君は設けたことがあるだろうか?

ともすれば、ありふれた概念は茶化され、本質を覆い隠した当たり障りの無い言葉で加工され、時に洗練され、そしてメタ化される。


同質の国民が集まった集団の共通理解としての概念、特に愛・Loveといったものは大前提的に扱われる。
要するに「私が思っているLoveも、あんたが思ってるLoveも同じものでしょ」と考えられがちである、ということだ。異質な他者を伝統的に排他してきた民族にとって、この考え方は長らくすごく自然だったし、また、不要な言葉を発する必要がないため、極めて楽だ。

我々が愛・Loveなどといったある種これ以上無いくらいに使い倒されている概念を真正面からぶつかり稽古で語り合うことがなかったのは、あるいはそういった場を長らく設けてなかった理由は、改まってそれらを語り合うという発想自体が、出てきづらい風土だからなのかもしれない。


俺は何もこの風土が悪いのだと言っているわけでな無い。というか、すごく恥ずかしいから、あまり人に話す必要も感じていない。
また、例えば俺に取っての愛は結局のところ暇つぶしで、代替の効くものでしかない。そういう正直な感想はしかし、絶対に表に出さないし、出る必要はない。

幻想・思い込みの中でだけ生き続ける愛・Loveについて正直に語り合うのは、ともすれば一生無理なのかもしれない。それはあたりまえだが、同性異性とを問わない。

このたぐいの真実が語られるのは、例えば匿名の掲示板だけだったりするのかもしれない。

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