イージーなコミュニケーションの方法とは結局のところ、喋らないでも意思が勝手に伝わる、ということだ。

例えば昭和の親父が黙って威張っていられたのも、親父は威厳ある存在で、問答無用で怖い存在だという前提があったからではないか。喋らないことは、簡単だ。
黙って眉間に皺を寄せて、口をヘの字に曲げて、胡座をかいて、たまに怒鳴ってゲンコツ食らわせれば、それで話は完結する。無駄なことを喋ってしまうと端的に言うと、アホがばれる。アホがばれると親父は尊敬されなくなってしまうという恐怖にかられる。尊敬されないとか、人に(少なくとも家族に)認められないということは、いい大人にとっては切実に辛いことだから、親父どもは、なんとか威厳を保とうとする。

「親父は怖い」というコンセンサスがない社会だと、親父は大変だろうと思う。
「なぜ親父は尊敬に値するのか、敬われる必要があるのか」それらを明確に説明する必要があるからだ。当たり前だが、仕事をして金を稼いでいるいるだけでは、尊敬には値しない場合もある。特に子どもにとってはそうだが、金を稼いでいるなんてものは色々尊敬すべきことがある中の、一要素にしかすぎない。無条件の畏怖というか、尊敬などというものは、奇跡的な確率でしか成立し得ない。

ただ黙って威張っているだけで心地いいポジションが生成される所に、「なぜ親父が尊敬されなければならないか」を説明する必要性は存在しない。

イージーなコミュニケーションは往々にして社会的通念によって成立させられる。社会的通念は徐々に変わっていくが、それは一様ではないし、年代・性別によっても大きくその捉え方は違う。

共通の認識を持つためのコミュニケーションにおいて、社会的通念がマッチしている者通しだとそれは簡単だ。例えば15歳の日本人男性が14歳の日本人男性と意思疎通することは、15歳の日本人男性が80歳のケニア人女性と意思疎通することに比べて、基本的には容易だ。

オレは、たまに「日本人は共通の社会的通念を持っている」と誤解してしまう時がある。他人が他人だと思えない時が、ある。そういう時にイージーなコミュニケーションに、依存してしまいそうになる。ノンバーバルな、阿吽で済まそうとする甘えんぼ思想に頼ろうとする。

それも、ある意味無理は無いのかもしれない。我々が学生だった頃、


…疲れたのでまた次回、あるいは、書きなおすかもしれない。シラフに戻らないと冷静になれない。逆に、シラフだと、書けないかもしれない、








コメント

nophoto
名無し
2011年4月9日5:10

親父が、怖かったのは、全く、経済力の無かった母親と終身雇用のペアだったせいも、大きいと思う。
離婚とか、許されない時代だったから、
ヨメだって、監禁、軟禁状態っていう環境もあったと思うよ・・・昭和の親父は、実際は、家で何もぜず、横暴を極めていた現実も、アタシはあると思います。
たとえ、共働きでも、ヨメにかしずかれてる親父は、えらく見える効果は絶大でもあったのよ、笑♪

盛男
2011年4月18日0:35

離婚が許されない時代というのは確かに一つの大きな要因だったでしょうね。
結局、女が男と対等に働ける時代(になってきつつあること)がそれ(離婚が許されない風潮)を解決に導いていますが、
昔にしろ、今にしろ、自立できない人間は誰かに従属するしかないわけで、それはある意味、非常に「自然」な出来事なのかもしれません。