いかにしてTheRolling Stonesを聴き続けてきたか
2013年10月18日 エッセイ2006年にこのブログを開設し、はや7年が経過している。
7年経って思うのが、人間というのはそうそう簡単に変わらねえなぁということだ。
俺は10代の頃は人間は自分が頑張れば、思うような人間になれるとなかば牧歌的に・花畑的に信じていたところがあった。
10代後半から20代前半にかけて、「あれ、これはちょっと違うかも」と思い始めて、だが、それを認めたくないがためになかば強情になって、自分が思うような境遇でないことを正当化するために、他者・環境を批判しがちになるようになった。
それでも「まあ俺はそれでも世界でたった一人の俺なのだから、たぶん、何かそれなりの歴史的な事をやってのけるだろうな」とアホみたいな顔して信じていた。
そして、いまも10代の頃のピュアーな自己に対する無根拠な自信と、不都合な事実を直視しない不遜な態度を貫き、なんとか、まあ、フワッと生き続けている。
7年でじゃあ何が変わったか?シモネタがそれほど好きじゃなくなった、仕事をなんとか続けられるくらいの忍耐力がついた、肩こりになった、その程度だ。それ以外の根本的な人生観や、差別的な意識や、好きな音楽や、恐ろしいほどの怠惰は、まったく変わっていない。
だが、近年の傾向として、変わらないことを俺は受け入れつつある。10代の頃は、とにかく「変わらないといけない」という強迫観念があった。その発端を端的に言うと俺の才能の問題だが、それはいつも俺を悩ませた。具体的な事例を一切省き、あまりにも解りやすく書くと「お前は無力で、無能で、陰気で、女にもまったく相手にされないどうしようもない男だ」という意識が、常に俺の中にあった。
いまは、もうそれは20後半にもなったら、少しずつ受け入れていくしかないんじゃないか、と思い始めている。諦めることとは違う。諦めということは、対象に対してまったく興味をなくしてしまうことだ。
受け入れるというのは、対象に対し、自分自身とどう折り合いを付けるかを考えるということだ。
これからも一時期に比べ頻度は落ちるかもしれないがブログは書き続けていきたい。
7年前と変わらずRolling Stonesを聴きながら。
7年経って思うのが、人間というのはそうそう簡単に変わらねえなぁということだ。
俺は10代の頃は人間は自分が頑張れば、思うような人間になれるとなかば牧歌的に・花畑的に信じていたところがあった。
10代後半から20代前半にかけて、「あれ、これはちょっと違うかも」と思い始めて、だが、それを認めたくないがためになかば強情になって、自分が思うような境遇でないことを正当化するために、他者・環境を批判しがちになるようになった。
それでも「まあ俺はそれでも世界でたった一人の俺なのだから、たぶん、何かそれなりの歴史的な事をやってのけるだろうな」とアホみたいな顔して信じていた。
そして、いまも10代の頃のピュアーな自己に対する無根拠な自信と、不都合な事実を直視しない不遜な態度を貫き、なんとか、まあ、フワッと生き続けている。
7年でじゃあ何が変わったか?シモネタがそれほど好きじゃなくなった、仕事をなんとか続けられるくらいの忍耐力がついた、肩こりになった、その程度だ。それ以外の根本的な人生観や、差別的な意識や、好きな音楽や、恐ろしいほどの怠惰は、まったく変わっていない。
だが、近年の傾向として、変わらないことを俺は受け入れつつある。10代の頃は、とにかく「変わらないといけない」という強迫観念があった。その発端を端的に言うと俺の才能の問題だが、それはいつも俺を悩ませた。具体的な事例を一切省き、あまりにも解りやすく書くと「お前は無力で、無能で、陰気で、女にもまったく相手にされないどうしようもない男だ」という意識が、常に俺の中にあった。
いまは、もうそれは20後半にもなったら、少しずつ受け入れていくしかないんじゃないか、と思い始めている。諦めることとは違う。諦めということは、対象に対してまったく興味をなくしてしまうことだ。
受け入れるというのは、対象に対し、自分自身とどう折り合いを付けるかを考えるということだ。
これからも一時期に比べ頻度は落ちるかもしれないがブログは書き続けていきたい。
7年前と変わらずRolling Stonesを聴きながら。
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