うちの親父は本当に働き者で昼も夜も土日もなく働いている。還暦を過ぎたいまは多少ペースを落としているようだが、齢の割には大変そうである。
自分の好きな仕事を職人的に淡々とやりたいのだが、立場的にそれが出来ないから少し歯痒いらしい。

俺みたいな(比較的)若い男にとっては、親父は(おそらく)余生を過ごすには十分な金は既に稼いだのだから、早々にリタイアしプラプラすればよいのになあ、と思ってしまう。だが、利害関係者とのつながりもあるし、仕事を辞めても特にすることもないし、仕事自体も好きだし、これからも頑張っていくという旨のことを言っている。

俺は素直に尊敬するし、かっこいいなあと思う。俺の会社の上司は、なんというか、しょうがないことだけど、齢を無駄に重ねた産廃みたいな人もいっぱいいる。俺が知らい所で頑張っているのかもしれないし、経験がモノを言うことだってたくさんある、その意味で一概に産廃などと表現すると怒られるかもしれないが、まあ、俺から見て産廃なのだから仕方ない、その産廃の人生が親父と比較してどっちが幸せそうか。

自分の仕事を子供に向かって「好きだ」と自信を持って言えて、利害関係者にも信頼してもらえる男というのは、たぶん、すごいことなんだと思う。それが果たして幸せかどうかは、わからないけどね。

でもせめて、自分の子供が出来た時に、「俺はこう言う仕事をしている、悪くない仕事だぞ」と言いたいよね。幾ら貰っているとか待遇がどうとかという目に見えるものも大事だけど、日々の仕事の根幹に「仕事に対する誇り」がないと、さすがにやりきれない。何しろ日常のことだからね。
そしてその誇りは誰かが与えてくれるものではなくて、自らが実感として心に落としこむことで初めて機能する。産廃たちはその誇りを維持すること・ないし追求することを「諦めた」人種だ。

本音を言うと、さすがに平日の朝、仕事に行くために早起きするのは辛いし、残業もしんどいし、好き勝手仕事をぶん投げてくる上司にはちょっと辟易する。諦めたくもなる。
でも、死んだ魚のような眼をして日々を薄く塗り潰し続けたって、仕様がないもんね。

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