なんなんですか、10月なのに、めちゃくちゃ暑いです。だいたい僕が子供の頃は10月だと完全に長袖で、逆に半袖なんか着てたらずぼらな家庭の子みたいな感じでみんな言わずとも内心馬鹿にする風潮がありました。
いま僕は完全にずぼらな家庭の子みたいになっており、もうほんとやるせないです。この暑さ、ほんとうにやるせないです。
いま僕は完全にずぼらな家庭の子みたいになっており、もうほんとやるせないです。この暑さ、ほんとうにやるせないです。
ヤクザに会いましてね、新幹線車内で。
新幹線の喫煙できる車内にずんずん入って行ったら目に付くところに、3つ席が連続してるとこの真ん中だけ空いてる席を発見したのね。他の席はほぼ座られていて、「ああラッキー、座れるわ」なんてかんじで手刀を切りながら「失礼」って言ってその席に座ったら、思いっきり舌打ちが隣から聞こえるの。なんやねん、コラ、座ったらアカンのか、やるか!!???みたいな目で隣のヤツ見たらもっそイカツイおっさんなの。鬼瓦みたいな顔なの。眉間の皺とかすごいの。ああ、こらエライおっさんの隣の席に座ってもーた、えらいこっちゃ、と思って何事もなかったように煙草を吸ったのだけど、席備え付けの灰皿(腕かけについてるやつ)を空けようとしたら、そのおっさんの手が見えて、愕然としたわ。もうね、小指がないの。小指が詰められてんの。あわわわわ!!!ってなったわ。煙草がポロっと口から落ちそうになったわ。そんでそのおっさんの腕時計もなんや、ゴテゴテのボディにシルバーとゴールド文字盤で、つややかな黒革のベルト。それでいて500万くらいしそうな、ごっつええ代物なんですよ。確信したわ、このおっさんはヤクザのおっさんやと。俺ら堅気の人間が調子乗ってたら東海道に埋められると。
それからはもう、ひたすら縮こまってたわ。下手に煙草吸ってると「兄ちゃん、煙いで」とか言われそうで恐いし、本を読んでたら、「兄ちゃん、何読んでんねん」とか因縁つけられそうだし、かといって寝てたらヤクザのおっさんがトイレ行くときに「どかんかい、ボケ!」とか怒鳴られそうだし、もう、ほんま、アレは生きた心地のせん旅でしたわ。
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「えかったわ」と思ってくれたら押してください。
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新幹線の喫煙できる車内にずんずん入って行ったら目に付くところに、3つ席が連続してるとこの真ん中だけ空いてる席を発見したのね。他の席はほぼ座られていて、「ああラッキー、座れるわ」なんてかんじで手刀を切りながら「失礼」って言ってその席に座ったら、思いっきり舌打ちが隣から聞こえるの。なんやねん、コラ、座ったらアカンのか、やるか!!???みたいな目で隣のヤツ見たらもっそイカツイおっさんなの。鬼瓦みたいな顔なの。眉間の皺とかすごいの。ああ、こらエライおっさんの隣の席に座ってもーた、えらいこっちゃ、と思って何事もなかったように煙草を吸ったのだけど、席備え付けの灰皿(腕かけについてるやつ)を空けようとしたら、そのおっさんの手が見えて、愕然としたわ。もうね、小指がないの。小指が詰められてんの。あわわわわ!!!ってなったわ。煙草がポロっと口から落ちそうになったわ。そんでそのおっさんの腕時計もなんや、ゴテゴテのボディにシルバーとゴールド文字盤で、つややかな黒革のベルト。それでいて500万くらいしそうな、ごっつええ代物なんですよ。確信したわ、このおっさんはヤクザのおっさんやと。俺ら堅気の人間が調子乗ってたら東海道に埋められると。
それからはもう、ひたすら縮こまってたわ。下手に煙草吸ってると「兄ちゃん、煙いで」とか言われそうで恐いし、本を読んでたら、「兄ちゃん、何読んでんねん」とか因縁つけられそうだし、かといって寝てたらヤクザのおっさんがトイレ行くときに「どかんかい、ボケ!」とか怒鳴られそうだし、もう、ほんま、アレは生きた心地のせん旅でしたわ。
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電車でリラックスする方法
2008年6月4日 乗り物自己利益の最大化を主眼として生きる私としては、ひとたび電車に乗ればそこが優先席だろうがなんだろうが、座席があればとにかく座る。座ります。
辛い肉体労働の後や熱狂的なライブの後、またはゲームセンターで死闘に明け暮れた後。
自分の体はボロボロのグズグズになっており、座るか否かはもはや楽をしたいとかそういう概念では語れず、死活問題となっている。
むろん、そのような戦地に赴くときも、無駄な疲労を溜め込まぬよう、本番で100の力を出せるよう、座って安らかな時間を過ごすのは、これ当然の振る舞いである。
しかし、自分が座席に腰掛ければ、吊革につかまって棒立ちしなければならん人が出てくる。
いうのも、電車やバスの座席スペースには限りがあるからである。
必然、ここに勝ち組負け組みの構図が出来上がる。
勝ち組の人間、すなわち席を確保すべく早い時間から電車を待ち続け、結果、その忍耐強さと偶然電車の座席が空いているという僥倖が相俟って、電車で座るという圧倒的快楽に浸れる人間、と、負け組み、すなわちグズグズと時間通りにホームに降り立ち、のらりくらりと電車に入り、座りてえなあしかし、などと嘯きながら吊革に掴まるしか選択肢のない人間、が生まれるのである。
また、勝ち組の人間の中には列車が発車する駅までわざわざ電車で戻り、そこからまた電車に乗りなおして座席に座る、という途方もない努力をしている者もいる。座席に座る、ということはこれほどまでに困難な事なのである。
そういった艱難辛苦を乗り越え、やっとこさの思いで手にしたこの座席、絶対に誰にも譲りたくねえ、と思うのはまさに人情であり、誰にも非難できない心持である。
しかし、例えば眼前に妊婦さんや老人がふーふー言いながら吊革にしがみ付いていたらどうだろうか。どうでしょうか。
私の場合、なんというか、心苦しいと言うか、気の毒というか、要するに自分が悠然と座席に腰掛けているのが悪いことをしているように思えてくる。ただ座ってるだけなのに。
確かにその妊婦と思っていた女はただのデブ女かもしれない、その老人は特殊メイクをほどこした怪盗かもしれない、という疑念はどうやっても晴れないが、どうしたって気まずい。
ここで当初の座席に座る目的を想起すれば、それすなわち「心安らかなときを過ごし、本番に備える、あるいは本番の疲れを癒す」だったはずだ。
その理念に基づけば、今の気まずい状況は完全にま逆を行っているわけであり、早急な対処が必要となってくるのは明白である。
しかしその対処が難しい。
老人と思しき人間に
「ここ、どうぞ」
なんていうのは私の考えから言えば失礼にも程があるし、
妊婦もただのデブの場合は最悪だ。もっとデブになる。もっとスリムな人間が増えてほしいと常々思っている自分としては、デブに、この機に痩せてほしい、美しくなってほしい、と割りと本気で思っているのである。
しかし考えていても気まずさは拭えない、しかし、自分も疲れを癒したい、と思うこの葛藤。
しかしこの盛男。
この二つのファクターをどちらも解決する策を、編み出しましたとも。
1・気まずさを拭う方法は、これは席を立つしかない。ひざの上に座ってもらう、という方法も考えたが、妊婦の場合は不倫に発展しかねないので却下。老人の場合はアリかもしれないが、老人特有の香り(私は嫌いではないが…)がだめな人もいるので却下。
2・自分の疲れを癒す方法について。今あなたは我慢できない気まずさに耐えかね、席を立った。疲れがとれない姿勢にある。
周りを見渡してみよう。ふと、気づくはずである。あなたがリラックスして過ごせる奇跡的な空間に。
そう、座席と天井の間に設置されてる、網棚である。
そこに横になればいいのではないだろうか。家のリビングでくつろぐように、のびのびと、安らかに。
これであなたの疲労は完全に回復し、また、気まずさとも無縁の豊かで快適な電車ライフが送れること請け合いである。
みなさんの実行に期待する。
辛い肉体労働の後や熱狂的なライブの後、またはゲームセンターで死闘に明け暮れた後。
自分の体はボロボロのグズグズになっており、座るか否かはもはや楽をしたいとかそういう概念では語れず、死活問題となっている。
むろん、そのような戦地に赴くときも、無駄な疲労を溜め込まぬよう、本番で100の力を出せるよう、座って安らかな時間を過ごすのは、これ当然の振る舞いである。
しかし、自分が座席に腰掛ければ、吊革につかまって棒立ちしなければならん人が出てくる。
いうのも、電車やバスの座席スペースには限りがあるからである。
必然、ここに勝ち組負け組みの構図が出来上がる。
勝ち組の人間、すなわち席を確保すべく早い時間から電車を待ち続け、結果、その忍耐強さと偶然電車の座席が空いているという僥倖が相俟って、電車で座るという圧倒的快楽に浸れる人間、と、負け組み、すなわちグズグズと時間通りにホームに降り立ち、のらりくらりと電車に入り、座りてえなあしかし、などと嘯きながら吊革に掴まるしか選択肢のない人間、が生まれるのである。
また、勝ち組の人間の中には列車が発車する駅までわざわざ電車で戻り、そこからまた電車に乗りなおして座席に座る、という途方もない努力をしている者もいる。座席に座る、ということはこれほどまでに困難な事なのである。
そういった艱難辛苦を乗り越え、やっとこさの思いで手にしたこの座席、絶対に誰にも譲りたくねえ、と思うのはまさに人情であり、誰にも非難できない心持である。
しかし、例えば眼前に妊婦さんや老人がふーふー言いながら吊革にしがみ付いていたらどうだろうか。どうでしょうか。
私の場合、なんというか、心苦しいと言うか、気の毒というか、要するに自分が悠然と座席に腰掛けているのが悪いことをしているように思えてくる。ただ座ってるだけなのに。
確かにその妊婦と思っていた女はただのデブ女かもしれない、その老人は特殊メイクをほどこした怪盗かもしれない、という疑念はどうやっても晴れないが、どうしたって気まずい。
ここで当初の座席に座る目的を想起すれば、それすなわち「心安らかなときを過ごし、本番に備える、あるいは本番の疲れを癒す」だったはずだ。
その理念に基づけば、今の気まずい状況は完全にま逆を行っているわけであり、早急な対処が必要となってくるのは明白である。
しかしその対処が難しい。
老人と思しき人間に
「ここ、どうぞ」
なんていうのは私の考えから言えば失礼にも程があるし、
妊婦もただのデブの場合は最悪だ。もっとデブになる。もっとスリムな人間が増えてほしいと常々思っている自分としては、デブに、この機に痩せてほしい、美しくなってほしい、と割りと本気で思っているのである。
しかし考えていても気まずさは拭えない、しかし、自分も疲れを癒したい、と思うこの葛藤。
しかしこの盛男。
この二つのファクターをどちらも解決する策を、編み出しましたとも。
1・気まずさを拭う方法は、これは席を立つしかない。ひざの上に座ってもらう、という方法も考えたが、妊婦の場合は不倫に発展しかねないので却下。老人の場合はアリかもしれないが、老人特有の香り(私は嫌いではないが…)がだめな人もいるので却下。
2・自分の疲れを癒す方法について。今あなたは我慢できない気まずさに耐えかね、席を立った。疲れがとれない姿勢にある。
周りを見渡してみよう。ふと、気づくはずである。あなたがリラックスして過ごせる奇跡的な空間に。
そう、座席と天井の間に設置されてる、網棚である。
そこに横になればいいのではないだろうか。家のリビングでくつろぐように、のびのびと、安らかに。
これであなたの疲労は完全に回復し、また、気まずさとも無縁の豊かで快適な電車ライフが送れること請け合いである。
みなさんの実行に期待する。