・タイミングの話




「昨日1日で俺、幾ら使ったと思う?」

「千円くらい?」

「甘いわ、甘すぎるわ、その発想。びっくりする準備しといて。
言うよ?」

「うん」

「準備してる?」

「してるよ、早く言ってや」

「ホンマに準備してる?」

「してるっつーの」

「じゃあ訊くけど、どのようなじゅん」
「うるさいわ!はよ言え!!!」

「そんなに怒らんでもええやん」

「なかなか言わなんお前が悪いわ!」

「それにしても、そんな悪魔の末裔みたいな顔されたらこっちも恐いやんか」

「鬼瓦みたいな顔やった?」

「鬼瓦2みたいな顔やったわ」

「うそーん、2まで行った?」

「そりゃ行くよ。セカンドシーズンやんか」

「アレやろ?秋の銀杏並木バックに、やろ?」

「ぎゃはははは!!!」

「そんで颯爽と鬼瓦登場!!!」

「出てきていきなり眉間に皺千本くらい入ってるもんな」

「ありゃあ恐かったわー」

「そうなんやけど、これはどっちがどっちなの、今?」

「どっちがどっちて?」

「いや、アレやんか、昨日幾ら使ったと思う?って言ったほうやんか」

「そんなんどっちゃでもええわ、それより鬼瓦2って、君、おもろいなあ」

「いやいいやいや、読んでる人おるんよ?」

「数えさしたったらええわ、そんなもん、それよりもやなあ、鬼瓦の相棒の鯉登次課長もたいがいに怖かったなあ」

「鯉登さんはこわいよー、夜でもグラサンですから。ポマードべった~でオールバックですから」

「声ひっくいひっくいやったなあ、その声はどんな声帯の揺れ方をして出てきたんですか?って訊きたかったもん」


「いやあ、鯉登さんはこわかったわ」

「で、幾ら使ったの?」

「え?俺でええの?」

「そうや、君が最初に質問したほうや」

「ホンマ?」

「うん」

「いやもう、ええわ、その話は」

「ええやんか、ここまで言うたんやから」

「ええって」

「軽くでええよ、軽くで。」

「だって鬼瓦さん出されたらもう、どうしようもないやんか、こっちは」

「そんなことないよ、勝ち負けじゃないから」

「いやいや、君はナメるもん、俺のこと。俺が100円やていうも」

「100円!?」

「ああ!さいっあくや!!!!言うてしまった!!!墓まで持っていこう、って思ってたのに!」

「うそやろ?」

「いや、ホンマに100円やったんやって!」

「いやいや、今はそのウソじゃないよ。墓までもっていこう、いうとこやんか。実はそのタイミングで言いたかったんやろ?何気なく口から滑らせた感じで言いたかったんやろ?」

「なに言ってんの?ちがうちがう!!そんな小さっい悪と俺を同列にするな!と!!俺はかなりの悪なんやと!!」

「いやいや、もう、バレバレやったもん、間ぁが完璧やったもん、俺が100円、って言った後の返答の間が完璧やったもん。声の張り方も、顔の歪みも完璧やったもん。そんな完璧にやられたら、そりゃこっちもウソやろ?って言うしかないやんか」

「完璧やからこそ素ぅなんやって!俺の素をナメんなよ!!??もっそいボケ~っとしてるからな!!!」

「なおさらダメやないか!!ボケ~っとしてたらあんな間で入ってこれんわ」

「いや、ボケ~から臨戦態勢に入るまでの間がかなり俊敏なんですよ。スパーン……ですよ、ええ。」

「…?スパーン言われても分からんわ」

「速い、ゆうことやね、要するに。いや、とにかくもう、ホンマにワザとではないんやって!!」

「まあそれはええわ、でも、もっと言えば1日で100円しか使ってない、というのもウソやろ?」

「税込みで100円や」

「それはええよ、でもじゃあ、君は電気を使わなかったのかと。水を出さなかったのかと。ガスを使わなかったのかと」

「ああああ!!!!」

「ね?そういうことやね、俺が言いたいのは」

「うわわわわわあああ!!」
「うるさい!!」

「正直に言います、タイミングばっちし狙って100円言いました。すいませんでした」

「やっぱりか!」






ブログランキング
「えかったわ」と思ってくれたら押してください。

http://blog.with2.net/link.php?373700
ぶらぶらと書物を立ち読みしていたら、興味深い記事を見つけた。
その記事曰く、「目標のない人間は、成功しない」

なーるほど、俺がさっぱり成功しないのは目標がないからなんだ、と得心した。


でもさあ、なに?目標って?一日一回挙手するよか、あーいうやつのこと?

そんなことを考えながら山田の家にぷらぷら遊びに行くと、彼はぷりぷりと屁をこきながらマリカー(スーファミの)を楽しんでいた。

盛男「山田氏よ」

山田「なに?」

盛男「休日の昼間、ごろごろと屁をこきながらマリカーをする自分についてどう思う?ねえ、どう思う?」

山田「休日くらいマリカーさせろよ」

盛男「クッパでレインボーコースを全速力で駆け抜けられる君の腕前には舌を巻くよ。ただね、僕は君が逃げている、って思うんだ」

山田「な、なにを言い出すんだ!確かに俺はバナナを避けた、でも逃げた、って言われるのは心外だな!最速ゴールを目指したまでさ!」

盛男「いやいやそこはジャンプで…、って違うわ!そういうことじゃなくて、こう、なんというか、向上心溢れる、野心溢れるギラギラと滾った姿勢、これが君にはない、と言ってるんだよ!」

山田「なるほど、俺のその溢れんばかりの情熱をゲームになんか使わずに、もっと有意義で価値あるものに注ぐべきだ、と?」

盛男「君は知ってるはずさ。君の成すべき事を…」

山田「ああ、俺は知ってる」

盛男「行こうか…」

山田「ああ…」


俺たちはそうして意気揚々とナンパに繰り出したのだった…。
そう、初セックスを成すという途方もない大目標を掲げ…。





一時間後…

盛男「こわいよ…ギャルがこわいよ…」

山田「ああ、一時間も立ってるのに、まだお婆ちゃんを道案内をしただけだもんな

盛男「……カーしようぜ」

山田「え?」

盛男「帰ってマリカーしようぜ」

山田「これもまた青春だな」
あるくそ生意気な大学生どもの会話
(言うでもなくフィクションです。サークル繋がりの友人がとある無知なお方に「現代思想の基礎からやりなおせ」と発言したことから、この物語が生まれました)

A「以前やっていたブログで、少し堅めの文書を書いて、鉄拳ばりの「対戦者歓迎」(反論してくえたまへ)をぶちかましたの。」

B「ああ、あのブログでね。まだやめてなかったんだ」

A「うん。折角だから使おうと思って。
で、その挑発記事に予想以上のレスがついて面白いwwww」

B「へえ、君も思い切った事をやるね」

A「うん、それでもっと傑作なのが、相対主義すらろくに知らないくせに「道徳は、大事なんだよー!」とか大真面目に語ってるところwww」

B「ぎゃははww現代思想の基礎からやりなおせww」

A「あんたの底、見え見えwwwww浅いねんwwぺらっぺらやねんwwww恥ずかしwww
それで「道徳君」のブログ覗いてみたらこれまた恥ずかしい発言を連発してんのwww」

B「なになにwwwww?」

A「『ES細胞の問題は、われわれがあらためて倫理と対峙しなければならない時期へ来たことを、如実示しているのであろう』
だっておwwwww」

B「わwwかwwりwwまwwwせwwwんwwww
彼が何を言ってるのか、わかりませんwwww
ってかあれでしょ、単におめえが勉強不足なだけでしょwww」


A「現代思想を少しでも齧れば、(ニーチェ、フーコー、カント、、ウィトゲンシュタインあたりを読めば)どれだけそこらの人間が何も学ばずに、気分だけで発言しているかが分かるよね。」

B「うん、僕も、もちろん君もまだまだ概念を纏めて、それを文章化するほどまで整理は出来てないけど、そんじゃそこらの方々との理解の差は、否応なしに感じてしまう。」

A「少しの知的興味を持って本を読むだけでこれほどまでに見方が変わるって言うのが、思想の面白いところなのにね」

B「まあ、若干の敷居の高さもあるのかもしれないけど、それにしたって、ええ年こいたおっさんが今更道徳の意味だなんて言ってるのはwwwww」

A「あと、あれね、気分だけで何のロジックもないくせに『道徳は信じられない』とか『命は決して大事でない』などと言う輩」

B「根拠をきくとwwwww」

A「『いや、常識的に考えてそうだろうよ』とか言っちゃうのwwwww漫画の受け売りだろwwwwどーせwww」

B「なまじ響きのいい文句だから、ついつい盲目的に信じるw」

A「同類だよね。信じるものも、信じないものも。共通しているのは、盲目的、ということだ。根拠を探ろうとしない。結果のみで満足してしまう。それが決定的に拙いことだと知らずに」

B「沈黙できないんだよね、彼らは。黙っていればなかなかバレないのに」

A「気付かないんだろう、如何ともしがたい、欠如に」

B「だから、得々とおったまげた発言をぶちかまし続けるww」

A「こわいね」

B「こわいわぁ」


あとがき

「現代思想の基礎からやりなおせ」と発言した友人と会話することは楽しいが、上のつくり話のように黒くはならない。

もっと建設的な議論をしている。ただ、時折見せる彼の黒い文言を集めていったら、上のような文章がうまれた、というだけのはなしだ。
A「これはもう、僕は毎年毎年言ってることなんですが、
新年になると、必ずと言っていいほど「抱負」を高々と掲げるお方がいらっしゃいますよね。」

B「因みにぼくちんの今年の抱負は『出さない』。これに決まったよ!」

A「何を!?」

B「まあ、あれだよ、『ち』から始まって『んこ』で終わるアレだよ」

A「…」

B「去年は出しすぎだもん。君が思っている5倍は出したと思っていいよ」

A「まあ、それはいいんですけれども、君は毎年抱負を掲げているの?」

B「まあね!えっへん!」

A「因みに去年の抱負は何でした?つい数日まで掲げていた抱負は、何でしたか?」

B「…!?」

A「僕が言いたいのはそういうことです。」

B「ちんこを出したことだけは覚えてる!」

A「もちろん、あるベクトルに向かって日々を過ごすことは素晴らしいことで、そのために「決意の表明」を行うことは大事だとは思います。思うのですが、「抱負」の嘘くさだけはいただけない。」

B「どういうことかね!?どういういことかね!?」

A「決意だけなんですよ。浮かれた新年気分に乗って、ひょひょっと大言壮語を吐いて気持ちよくなる。肝要な行動は面倒だから、全くやらない。要するに、言ってみたいだけなんですよ」

B「うるせー!チンコ出すぞ!」(ボロン!)

A「きたねー!」









■福袋にはガラクタだけではなく、夢も詰まってる。





以下は福袋という奇怪な商品に対して思うことを少々書く。

福袋に値段以上の物を期待する態度は「宝くじ」が当たることを願う態度と似ている。
統計学的に見れば宝くじを買うことは愚の骨頂でしかありえないのだが、人々はこぞって宝くじを購入し続ける。なぜか。
夢を買っているからである。

彼らは涎を垂らさんばかりに夢想する。途方もない金額を射止めた後の、途方もない豪遊を。途方もない現状の変化を。
目も眩む金額が「限りなくゼロに近い確率だが、手に入るかもしれない」という夢想は、ある人にとっては尊いものであろう。

同様の構図が福袋にも見られる。当たり前だが、福袋に「自分がほしいモノが入っている事」や「期待を上回るものが入っている事」は、福袋がどういう意図で販売されているかを知ってさえいれば、値段相応などととは「本気」では信じ難いものである。一種のギャグやお遊びとしての商品としての認識が正しい福袋への視線であると私は信じる。故に、宝くじ同様、運のみを頼りとした夢想にこそ、福袋購入の真髄があるのである。
余談ではあるが、福袋の方が宝くじに比べ圧倒的にリターンで勝っている事実だけは記しておかねばならないだろう。袋を開けた結果要らないものだと分かり、そこから「捨てる」しか選択肢が浮かばない人はどうかしている。福袋を購入した値段より、その中の物をネットオークションで売って得た金額の方が大きかった、という実話も聞いたことがある。福袋のリスクはそれほど大きなものではないばかりか、時に金銭的ベネフィット足り得るのだ。

まあいずれにせよ、私は福袋は決して買わない。
ああいうのは、小金持ち(金持ちはどうだろう)の道楽であり、私のような貧乏学生とは無縁の代物である。欲しいモノでもなく、夢でもなく、必要のあるモノしか買う金はないのだから。

(以上の福袋についての文章はこの日記のコメント欄からの転載です。埋まっているもの惜しいと思ったのでageました。)
満腹まで食べようかなぁ、どうしようかなぁ、と思っている人の話

A「どうしようかなあ、悩むなあ。実に悩むなあ」

B「どうしたんだい、A君」

A「これはこれはB君。いやね、俺はいま、腹8分目、いやどうだろうな、7.5分目、いやともすれば6分目かもしらん…。
ともかく、なんというか、満腹じゃないんだよ。なんか、もっと食べてもええんちゃうん?みたいなマインドがあるんよ。」

B「そういう時は確かにあるね、微妙なかんじだよね。でもイザお腹一杯まで食べると後悔する。気分は悪くなるし、動けなくなるし、何もする気が起きなくなる」

A「そうなんだよ、最近注目されているメタボリック症候群を筆頭に、肥満や三高(高血糖・高脂血症・高血圧)といったとんでもない疾病が、食べ過ぎのリスクとして付きまとう。
満腹前でぐっと我慢。あとは気ままにスクワットでもして体脂肪を燃やす方が余程賢明というもの…」

B「でも、それがなかなかできないんだよね…。僕もついつい夜中の2時くらいに、カップ麺を買いにコンビニに走ってしまうことがある。最近はしっかり我慢してるけど」

A「ただね、さっき俺は食べ過ぎないことが賢明、って言ったけど、あれ、ホントに賢明だと思う?」

B「当たり前じゃないか!食べ過ぎていいことなんて、何もないに決まってるじゃないか!」

A「君は少々感情をなおざりにしているようだね…!」

B「感情だって?つまり君はこう言いたいんだね?感情にながされないことが必ずしも賢明だとは言い切れないと!
やめないか!そんな戯言は!目先のことしか考えない、短絡的な考えに、賢明さなど介在するわけないだろう!」

A「むろん、俺だってそう思う。目先の満腹に目を奪われ、翌日には手酷い胸焼け、むかつき、胃もたれに苛まれ、挙句数年後、醜いどてっ腹を身につけることになる…。
一方の腹八分目は病気とは無縁の、いたってパーフェクトな状態。言う事無し。人生順風満帆といったところだ。」

B「わかってるじゃないか。そう、長期的に見れば、答えは明らかなんだよ」

A「人間が恋をするのはなぜだと思う?」

B「な、なんだい突然?」

A「失恋することが分かっているのに、なぜ人間は恋をする?
結婚しても死別が待っていることが分かっているのに、なぜ人間は結婚をする?」

B「それが君の言う『感情』かい!?なるほど、言いたいことは分かるよ。つまり、人間は一時性を激しく望む、ということだろう?その場その場の欲求はどう抗っても、どう理性的に考えても、容易にはねのけることは出来ない。それを超越したところに『本能』が存在する、そう言いたいんだろう?」

A「まあ、概ねそんなところさ。人間、いや、生物は死からは絶対に逃れられない。今俺がこうやって話をしている間も、着実に俺は死に近づいている!そして恐るべきことに、俺たちは死がいつ訪れるか、さっぱり分からない!明日かもしれないし、4年後かもしれないし、60年後かもしれない!
ともかく、不確定要素なんだよ、そこは。
だとすれば、だ。明日死ぬかもしれないのに、なぜ今自分の幸福を最大化…、つまり満腹になるまで食べる喜びを捨てることが愚行になるんだい?なぜ満腹まで食べず、そこそこで済ませることを賢明だと言い切れるんだい?」

B「屁理屈だよ、そんなものは!
君は今21歳だよね。厚生労働省の作成した平均余命表によると、君はあと58.53年は生きるだろう、ということになっている。もちろん、絶対ではないけど、少なくとも、明日死ぬなんていう怖ろしく低い確率のことなんて考えず、ひとまず、将来、これについて考え、それに得を及ぼすような行動した方が賢明というものだろう?」

A「確率のおそろしいところは、絶対ではないところだ。
欲望の持つ圧倒的な魔力の前には、朧気で頼りない確率なんて、霞んで消える。遊戯にならまだしも、ライフスタイルに確率をもちこむなんて、どんだけ貧しい生き方なんだよ」

B「じゃあ訊いていいかい?貧しい生き方ってなんだい?」

A「窮屈ってことさ。自由がない、とも言えようか。
要するに、縛られているんだ、何者かに。
むろん、特権的な才能を持つ人間以外に『自分の頭で考えることは、ほとんど無駄』なことは知っているし、心から納得できる思想も持ち得ないことは知っている。俺も含め、本質的に人間は不自由だが、それに抵抗しないこと、つまり、確率や他人の考えに無批判にほいほいと追従すること、これが果たして自由な生き方といえようか?満ち足りた生き方と言えようか?
断ぜよう!こういう生き方は、持つ物から見れば、或いは持つ意思のある者から見れば、実に貧しいと!」

B「待ってほしい、そう考えるなら、本能に追従することも、これまた貧しい生き方とならないか?だって、そこに抵抗や批判は介在して無いんだから。盲目的に、窮屈に生きているのは満腹まで食べる人にも当てはまるんじゃないのい?」

A「もちろんそうさ!だが、それは長期的に見て得になることしかしない人にも言えるよね、つまりはこういうことさ。
僕は決して満腹まで食べることを必ずしも良しとはしないし、腹八分目まで食べることも必ずしもよしとしない。ただ、盲目的になることを、恐れているのさ」

B「なるほど…。僕は常々、バランスが大事だと思っていた。
けど今考えると、その思い込みに縛られていた気がする…。
自分の中に絶対に正しいという軸があって、それを疑おうとしなかった。無批判に、自分の信念に忠実になっていた…」

A「そこが人間の怖いところだよ。一度得た確信的な正しさを、なかな疑うことが出来ない。例えば、数学だ。ともすれば、数学とは永遠普遍の真実のように思える。実際に20世紀初頭まで、数学を基礎にして、あらゆる問題を体系的に解決できると信じられていた。そこで登場したのがゲーデルの不完全性定理だ。ゲーデルはそれまでの常識を180度覆す、歴史的な証明を行った。それは数学が決して完全ではなく、また完全には決してなり得ない、という恐るべき証明だ
俺含め、多くの人間はゲーデルのような慧眼は持ち合わせてはいないはずだ。だが、より効用(よろこび)を得ようと、選択肢は複数持つことは出来る。その選択肢の多さこそが豊かさであり、ともすれば知性なのだと思うよ」

B「そのためには、まずは自分の価値観を疑うこと、か」

A「そうだね、さっきも言ったように、俺含め多くの凡人の価値観なんて信用できるものじゃない。そんなものに無批判に拘るのは、賢明だとは言いがたいよね。ということで、ちょっくらファミチキ買ってくるおwwwwwwジューーシーーwwwww」

        
B      ヽ(・ω・)/   ズコー
      \(.\ ノ  
    
それにしても…セックス、これがしたくてたまらない…っ!と思っている人の話

A「唐突で申し訳ないんやけど、聴いてくもらってもええかな?」

B「きくさ、耳の穴をかっぽじって聴くさ!」

A「セックスしたいんよ」

B「いつも言ってることじゃないか、どうしたんだい、そんなにあらたまって」

A「いや。俺はもんすごいやりたいんよ、君は分かってない。過去の俺の欲望と、今の欲望の度合いを一緒にしてほしくない!」

B「わかったよ、セックスがものすごくしたいんだね?」

A「いや、君は全然!分かってないわ。あのね、正味の話、君が想像している3倍はしたい、って思ってるからね、セックスを。僕のセックス欲をあまり軽く見ないでほしい、っていう思いはあるね、うん。」

B「…うん、それで、何でそんなにセックスを渇望してるの?そこが聴きたいところ」

A「なぜって、そりゃあ、おまえ、アレだろ、時期的なもんだろうよ…季節的なとでも言えるか…、いずれにせよ、一年の終わりを毎年ぶち壊しにする、核爆弾級のイベントである、アレだろうよ…常識的に考えて…」

B「クリスマスだね?」

A「言うな!やめろよ、呪いの言葉やぞ、それは!唱えた途端、理由もなく鬱になる、ほんまもんの呪詛やぞ!」

B「…、ちょっと迂闊だったよ、僕も」

A「言葉の選択には気をつけていただきたい!」

B「分かった、細心の注意を払うよ。それで、前の話題に戻ろうか。なんで君はこの時期になると、セックス欲が異常になるんだい?もしかして、周りのアベックがセックスしてるから、という理由かい?」

A「その発言は本気?」

B「いやいや、本気も何も、一般論と思われることを言っただけさ、忘れてくれて結構だよ」

A「ビックリしたわー、あぶな、あぶな、びっくしすぎて、あぶな!いや、こういうことよ、俺が言いたいのは。つまり、俺の高尚なる遺伝子伝達欲求の高まりの発生理由を、周りのアベックがどうとかいう、あまりに凡庸な・陳腐な理由で君が片付けようとした、と一瞬思ってしまったんよ。その時は本気で絶交も考慮したね。君が『アベック』って口走った時点で、俺はもう絶交の絶の字まであたまにくっきり浮かんでたからね、ああ、なめられてるな、って思ったもん。ごめんな、君はただの一般論を言ってしまっただけだというのに」

B「いいよいいよ、僕も君に誤解を与えるような発言をしたことをこの場を借りて陳謝したい気持ちで一杯だもん」

A「君の心配りにはまったく、いつも参らされるわ…
陳謝したい気持ちで一杯やなんて…、涙が出てくるじゃないか!
誤解したのは俺の方やっていうのに!悪いのは俺の方だって言うのに…!
まったく、君の心の広さときたら、まるで宇宙のよう!想像を絶するその広大さ、何者にも測れないその広大さ!そりゃ心も満タンになりますよ、コスモ石油じゃないけど。
ああ、どうか、どうかこんな陳腐な例でしか君のマインドのワイドさを語れない自分を赦してくれ。不甲斐なくて仕方がないけど、これは俺のほんまもんの思いですけん!」

B「照れるからやめてくれよ」

A「いや!俺は断固としてやめない!君が嫌がろうが照れようが、俺は語り継いでいく気概よ!末代まで語継がせる気概よ!」

B「わかった、じゃあ君の異常性欲についての理由をきかせてもらっていいかな」

A「お安い御用でおま!理由は簡単どえす、
部屋が寒くてオナニーできないから、性欲が高まるんでおま!部屋でチンコ出すと、霜焼けになるんでおま!」

B「…」

A「…」