先日。Mに食事を口頭で伝えられなかった、と悲壮な雰囲気を包み隠せずに鬱々と書き散らしてしまったのですが、いつもでもジメジメと、ああ誘えば良かったなあ、なんて考えていても気が滅入るばかりなので、
本日!メールでですが実際にお誘いしてみました。

実際にメールを打つ時は、
「うーむ、この誘い方は強引やななあ」とか、
「これはキザすぎるでしかし」などと考えながら何度も推敲。
一時間ほどかけて文面を整え、後は送信ボタンを押すだけ!あと野となれ山となれ!という段階にきたのですが、ここは難なく突破。所詮、相手を眼前にしてなければ、判断なんて余裕ですわ、正味の話。


満足しきった顔で、「送信しました」の表示を眺める僕。
そう!送った事が大事!たとい断られたとしても、そんな事はたいした問題ではない!
なぜなら、僕の目的は、「食事に誘うことを成功させる」ことではなく!「食事にさそう」ことなのだから!

無論、誘いに乗ってくれれば最高さ!
だが、たとえ乗ってくれなくとも、少なくとも「誘えなかったウジウジとした僕」からは決別できる!これが重い!なぜならその「駄目オーラ」が僕を何よりも苛々させていたのだから!心にこびりついていた頑固な汚れ、これが今ではピッカピカ、そんな爽快感が、今の僕にはあるさ!

Mが誘いに乗ってくれたか否か、それはここでは言うまい。そんなことは書きたくない!どうだっていいだろう、そんなことは!いつまでもふざけた事言ってると、犬の糞ポストに入れてやるからな!









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11月7日(あらすじ)

ふと出た溜息は、恋の再燃を意味していた。
ぼくはMへの想いを再確認し、明日8日、食事に誘うことを決意した。固い、決意だ。





11月8日


今日は立冬らしい。暦の上では、今日から冬が始まるのだ。感覚とはズレた、冬の到来。誰しもがそう思うだろうが、僕は違う。


結論から言おう。
僕はMを食事に誘うことができなかった。臆病風、無駄な自意識が言うべき言葉を胃の中に、ひっこませた。
Mを目の前にし、その言葉を発そうとした瞬間、まるでこうなると決まっていたかのように、僕の中は諦念で満ち溢れていた。




Mと別れる時、確かに思った。

『これでいいんだ。俺には、これが、よく似合う。』

正午過ぎの眩しい日差しに眼を細め、ぼくはすたすたとひとりで定食屋に歩を進めた。
知人や友人と二人で会話していて、その人がトイレに行くなり茶を沸かしに行くなりしてその場を去り、ぽつんと一人になった時。

ふと『自分に帰る感覚』これを感じたことありません?ありますよね、当然。

本日のことですが、友人の女の子(美しく、教養のある、素晴らしい女性です)と日常会話(音楽の話だったり、結婚の条件の話だったり、文学の話だったり、池袋の様子の話しだったりと、さまざまです)を楽しんでいたのですが、彼女がちょっとした用事で一時その部屋から退出しました。彼女が部屋を離れている時間は、そうですね5分ほどでした。

話し相手を失った僕は、ぶらぶらと窓の方へ足を運び、途中なぜか「ふうぅ」と溜息をついてしまったのです!これは決して『退屈』の溜息ではありません。何か『素の自分に戻った』といった風情の溜息!なんと、安心して出たような、そんな溜息なのです!

僕は驚きました。
彼女との時間は僕にとって、とても有意義で、かつ美しいものでした。しかしだからと言って、自分としても決して気取るわけでもなく、また道化を演じるでもなく、いつも通り、あるがままの自分で接していたはずであります。
なのに、なぜ、自分は結果としていつもの自分ではなく、(彼女がいなくなって溜息が出てしまうほど)違う自分を演出していたのでしょうか…。

いや、自分を演出していた、というのは少し結論を急ぎすぎたかもしれません。単に彼女の魅力にドギマギし、解放された瞬間、緊張の糸が切れただけかもしれません。

ただ、彼女との付き合いはもう2年半になります。それほど緊張する相手でもありませんし(とは言っても多少のそれは感じていましたが)、僕としても本当にいつも通りのテンションでお話をしていたはずです。

無意識。
無意識の道化なのかも、しれません。
僕は本当に心を許した相手にしか、なかなか本音や本性は表出させません。それ以外の初対面の人やそれほど親しくない人、或いは親しくとも一線を引いている相手には、曖昧な自分を演出します。この『曖昧』というのは、季節で喩えるなら春。非常に心地よく、危機感を感じさせないが、半面で何かがぼやけている。夏や冬のような、(人間らしい)迫って来る「何かがない」。曖昧とはそういった意味です。しかし勿論これは誰だってそうでしょうし、僕だけの特異なケースではないと信じています。

ただ、ある程度の自分を見せていることは疑いようのない、紛れもない事実であり、決して嘘の自分ではありません。

しかし僕の場合、その「春の顔をすべき相手」に対して、無意識的に道化の顔を演出することが、しばしばあります。

それほど親しくない人と話すことは、恐ろしい事です。
彼・彼女が何を考えているのかわかりませんし、後でどんな仕打ちを向けてくるか、さっぱり分かりません。ニコニコと敵意の無い顔を僕に向けているがしかし!腹の底は軽蔑と憎悪と倦怠に満ち溢れている!そんなことも、十二分に、考えられます!

僕は、人にそのように思われるのが酷く怖ろしく、事実、時に人と話をしていて何が重罪を起こしてしまっているような、そんな恐怖感すらも感じます。

それに対抗するのは、道化を演じる(笑い)しかないと思っています。
自分は決して敵ではなくあなたの味方だよ、という意思を伝えるには笑い、これが最善手であると、考えるからです。このことはどういうわけか今では無意識的に「春の顔をすべき相手」を前にすると、演じる事ができます。(演じる、というよりは、表出してしまっている)最近は手馴れたもので、ちょっとしたジョークならサラリと口に出せるようになり、人をクスリとさせるのも難しくなくなってきました。

その自分、つまり曖昧な自分を、僕は冒頭の彼女に向けていた!
もうすっかり心を開いて話していたはずなのに…?
なにか、違和感めいたものを覚える。この…胸騒ぎは何?

恋?

愕然としました。なにしろその娘は大学に入って一番初めに恋をした娘で(一方的な、片思いでした。通称Mちゃん)今では、そんな、恋だなんて、ずうずうしい!いまさら、その娘に恋心を抱いているだなんて、未練がましい!ふざけるのも、いい加減にしくされこの馬鹿野郎!激しい感情が雷鳴のように僕の頭を打ちました。

そうです!僕はなんでもない、と思っていた娘に対し、なんと無意識的に恋心を蘇らせてしまったのです!あの溜息は道化からの解放と恋心の再燃、これを示していました。なんということだろう、あのコに僕への気は無い、ということが分かっているのに、なんでこうヤキモキとしなければならんのだろう!酷い仕打ちだ!


しかし僕はもう悟りました。過去には生きない、と。先日の日記に記した通りでございます。過去の忌まわしい記憶を捨て、そして色鮮やかな今日を描く!
よし、決めたぞ!
実は明日も彼女と会う(といっても事務的なものです)約束があるのですが、そのとき私は彼女を食事に誘う!

もう一度言う!

明日彼女を食事に誘う!

実際に食事をする日は明日は無理だから、いつになるかは相手次第。だが、兎にも角にも彼女を食事に誘う!

結果は明日、必ず日記に書き込む!素晴らしい明日に栄光あれ!








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煙雨にけぶる夜をいかがお過ごしですか?こんばんは、恋のスカトロ嬢こと盛男でございます。

前回は二次元の女性を口説きたおす方法を解説いたしました。しかしどうやら二次元の女性を本気で口説きたおすほどの気概を持った益荒男は日本にはあまりいないらしく、もう少し現実世界で役に立ちそうな情報を提供してほしい、との報告が速達で届きましたので、今回はもっと現実的な口説き方、これを解説していきたいと思うよ。



【case3.コンビニ店員を口説く】




コンドーム一箱だけレジに持っていく男。

女店員
「お会計でよろしいですか?」


「もちろん。でも会計をしちゃったら、君は今すぐ仕事をきりあげなきゃいけなくなるけど、それでもいいのかい?」

女店員
「は…はい?仰る事が分かりかねますが…」


「端的に言おう。君がいて始めて、コンドームに意味が生まれる…つまりはこういうことさ」

女店員
「やだ!避妊のことまでしっかり考えてくれるの!?」


「当たり前さ、大切な君の体を傷つけるようなマネは絶対にしない。では改めて伺わせていただこう。お会計してくれるのか、してくれないのか、どっちなんだい?」

女店員(エプロンを脱ぎながら)
「300円になります(ポッ)」

店長
「こら鈴木くん!仕事中だぞ、どこに行くんだね!」

女店員
「わたし、避妊してくれない人ってやっぱり耐えられないの…ごめんなさい!」


「とういうわけさ、店長。ゴム売りがゴムに泣かされるとは、皮肉なもんだな」








【解説】


避妊は大事。









【もっこりした石】
〜盛男と白石のちょっとお洒落なトークライブショウ〜


盛男「みなさんのクリッコのおかげで順位がメキメキ急上昇中です。ほんと、ありがとうございます」

白石さん「盛男くん、今日もごきげんだね」

盛男「やっぱり順位が上がるってのは気持ちエエもんですよ」

白石さん「そうですか、いや僕なんて常に一番だから、よく分からないなあ、順位が上がって嬉しい、って感覚」

盛男「強烈な皮肉としか感じられませんが」

白石さん「あ、ごめんなさい、そんなつもりで言ったんじゃないんで…」

盛男「…」

白石さん「…」

盛男「(白石むかつくわぁ…)」

白石さん「(帰ってエロゲしてぇ…)」



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日記

眼科いった。
点眼液もらったけど痛みは治まらず。逆に目脂がどろどろでてきた。ヤブ医者め!
因みにレポートはなんとか間に合った。
篠突く雨にハリケーンの予感を隠せません。こんばんは、恋の尺八嬢こと男でございます。

前回は海での口説き方、これを論理的・綿密的・体系的にまとめてみましたが今回は

「海?んなとこ行くわきゃねーだろ!」

と叫び倒す今年の夏も引き篭もる気マンマンのニート予備軍及びリアルニートに向けて、「家に居ながら口説く」という魔法のような方法を伝授したいと思います。きちんと鼻クソほじり終わってから聴いてくれると幸い。




【case2.二次元のナオンを口説きたおす】



薄暗い一室。そこには一人のニートが棲む。
死んだ魚の目をした彼。
PCのディスプレイが彼の顔を白く照らす。


「うへへ、チュンリーかわいいよチュンリー」

チュンリー
「スピニングバードキック!」


「ふとももふともも」

チュンリー
「スピニングバードキック!」


「ふとももかわいいよ。ふとももかわいいよ。」

チュンリー
「スピニングバードキック!」


(チュンリに蹴られたいっ!チュンリのカカトで顎を思いっきり蹴られたいっ!むしろ踏まれたい!いやいやむしろ舐めてもいい!チュンリの履いてるブーツについた汚れ(血)を舐めてもいい!うそ舐めさせてください!)

チュンリ
「アハハ!ヤッター!」






彼は死んだ。

参照『チュンリは俺の嫁』(モリ・モリオ著・民明書房)






ニートの対面する生物はオカンとゴキブリくらいのもので、
若いナオンとの出会いというものは全くありません。従って恋のトキメキを求めるようになると、どうしても二次元に逃避する傾向があるようです。
その善し悪しは今回はおいておいて、今日試みたのは二次元と三次元との間に架け橋をつくろう、ということ。

一般に二次元と三次元の世界は全くの別ものと考えられていますが、それは全く正しい。
しかし彼らにとっちゃそれではあまりにも哀しい、泣ける。

であるから脳内補完。二次元とか三次元とかいった小賢しい概念を超越し、そのキャラクタと心と心で繋がりあう。
人間、信じ込んだものはすべて真実ですからね、例えば科学も、信じられるから正しいのであって。

そういう考えを進めて行けば「二次元と三次元、そんなものを
区別する必要はない!」と妄信できれば、これはもう最強中の最強。もう敵無しスターマリオ状態ですよ、こんなものは。

チュンリーがホンマモンのナオン、そう信じ込めれば彼にとってはチュンリーが恋人で、たとえ「スピニングバードキック!」しか言わない彼女であっても必殺の「チュンリとあっしは心と心で繋がってる」が全てを解決します。それでいいんです。水をさすような野暮な真似をしてはいけません。

そして、もうぶっちゃけた話、彼の頭の中では(つまり妄想の中では)二次元の彼女とうまくいくことは絶対のため、口説きのテクニックなんてもんは必要ありません。ですから今回私がニートの方に言いたかったのは、本気で二次元を愛し尽くしてほしい!ということですね。心と心で通じ合ってるのを実感できるくらいに、激しく!熱く!恋の花を咲かせてもらいたいものです。





以上でcase2の解説を終わります。いかがでしたでしょうか?
ニート予備軍及びリアルニート諸君にとってはまさに目から鱗のお役立ち情報を提供できた筈である、という強い確信を抱かずにはいられません。

さて、次回もこの口説き方講座を行いたいと思います。
今日のケースは少し特殊すぎる趣もございましたので次回はもう少し実行できる層を拡大したいと思います。きっと、今日とは違って役に立つはずでありますので、是非ご覧下さい。





【もっこりした石】
〜盛男と白石のちょっとお洒落なトークライブショウ〜



盛男
「いやー最近ランキングがうなぎ上りやねん、いやマジで!びっくらこいたね、びっくりしすぎて死ぬかぁ思うたわ、正味な話。いやあ応援して下さるみなさん、ホンマありがとうございます。嬉しいですわ。」

白石さん
「ほお、何番目くらいになったんですか?」

盛男
「いやいや、常に一位の白石さんには言えないような順位ですわ!まだまだボクなんて下層民ですわ」

白石さん
「えー気になるなあ、その喜びようはハンパではないからね、もしかして10位以内とか!?(笑)」

盛男
「なんぼなんでも昨日今日で10位以内は厳しいですわ白石さん、そんな甘いもんちゃいまっせー(ベタなツッコミしながら)」

白石さん
「まあ、そうですよね(爆)」

盛男
「白石、外、いこか」


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7・13ふつーの日記

なんかもんすごい左眼の奥が痛い。眼をぎゅっとつむるとジンとした痛みがする。ついでに常に涙眼。左目だけうるうるしてる。ついでに頭痛もする。頭の頭痛が痛いって書きたくなるくらい、頭が痛い。
更に悪い事に明日の夕刻までにレポートまとめなきゃならん。2000字と字数こそ少ないものの読むべき文献量が尋常じゃない。この偏頭痛と眼のバッドコンディションを考えればもう絶望的に無茶。
じゃあなんで今日までレポートやらなかったのか、と問われればそれは僕の怠慢に他ならないのだけれども、今更そんなこと言っても仕方ないのでこのへんで。レポートやらずに寝ます。明日になったら嘘みたいに全快している事を願いつつ。
霧雨煙る夜をいかがお過ごしですか?
どうもこんばんは。恋のホテトル嬢こと盛男でございます。

梅雨の過ぎない小暑ではありますが、
道行く婦人の格好はどこか開放的でありまして、僕のような人間は欲情、すなわちチンコゾクゾクして仕方がない季節となって参りました。

夏。
それは恋の季節です。
着衣からの解放と陽気な日差しは我々人類の冷え切った心を溶かし、本能の活動を活発にさせます。
この論には科学的なデータの裏づけもありまして常夏の国、例えばフィリピン、タイ、シンガポアなどは極寒の地、ロシアやブルネイ等に比して出生率に明らかな優勢を発見できます。
このデータが示す事実は明快で、暖かな気候は人の性欲を旺盛にさせる、ということであります。(うそ)

ここまで読まれた方はもう分かりますね。この夏、あなたにドキドキフラグ(フラグ…後に特定の展開・状況を引き出す事柄を指す慣用的用法。伏線と同義,wikiより抜粋)がニョキニョキと出現するであろう可能性が極めて高い事を。しかし読者の中にはこう思う方もいらっしゃるかもしれない。

「何らかのイベントが発生するやもしれない可能性が高いことは認識しました。しかし僕には何の心の準備もできていません。突然にフラグが立ったとして、僕はそれをバキバキにする情けない自信に満ち溢れています。」

焦る必要は全くありません。折りしも季節はまだ向暑であり、本格的な夏ではないのですから。
しかし、もしあなたが今の状態のまま眼前に悠然と聳える夏の海へとダイブした場合、幸運にも仮にフラグが立ったとして、あなたは何も知らない内にフラグをバキバキ、粉微塵すら残さずバキバキにすることは明日太陽が東から登り西へと沈むことと同じようにまず間違いありません。

そこで僭越ではありますが恋のデリヘル嬢こと盛男がそんな悩める子羊たるあなたを助けるためにお手伝いをさせて頂きたく思います。

さて問題となるのはどのようにして恋のお手伝いをするのか、というところなのですが今回は「口説き方」ここにスポットライトを当ててみたいと思います。

全ての恋は口説きから始まります。
さり気ない恋の呪文や情緒溢れる恋文に女性は恋の始まりを予感するのです。そこを素通りしていつまでも冗談を言いあっている内は仲のいい友人止まりであって、恋へと発展する事は殆どないと言って差し支えないでしょう。なぜならそこにはトキメキが存在しないからです。女性は唇を濡らすトキメキを求めています。妖しく光る唇は欲情のしるし。彼女の口紅を溶かすのは、あなたの甘い囁きに他なりません。

では具体的にどうやって口説くか。
ここでは具体例を用いて解説していきたいと思います。

【CASE1.偶然遊びに行った海で、偶然魅力的な女性に遭遇。】


「僕の嫌いな慣用表現がある。『砂漠で宝石を探すようなもの』ってやつさ。知っての通り、どう考えても実現不可能な行為を嘲笑する意味で使われる。僕は残りの1%にも全力で賭けたいタイプだからね。そのネガティブな響きは大嫌いなんだ。そして今日、幸運なことにようやくその慣用表現を笑いとばせるようになったよ。」


「あらどうして?」


「砂浜ではあるけれど、君という宝石を見つけたからさ。」


「やんキザね、ちょっとそのスイマーパンツ脱ぎなさい。恥ずかしがってないで、ほーら、あらら、もうこんなにおっ勃ててるの?仕方ないわね。ン、ジュルジュルコリコリチュパチャプス」

あなたの口説きが上の例の様にうまく女性の心を捉えればその場でチュパチャプス(答え,尺八)していただけることも充分にありえます。

それはいいのですがともすればこの若干キザな例文を読んだ方の中に、こう思う方がいらっしゃるやもしれません。

「口説き、つうかギャグだろコレ…」

当たり前だろうが
女性というのはキザな男が必ずしも好きなわけではありませんが、しかしその半面でキザっぽい台詞を言われてみたい!という欲望もあるものなのです。

その証拠としてテニスの王子様という婦(腐)女子に極めて高い人気を誇っているSF漫画があるのですが、その理由の多くは「登場するキャラクターがとてもキザ、濡れる!」に集約されます。実例として主人公の属す青春中学のライバル氷帝学園の部長、跡部というキザ中のキザ、キングオブキザなキャラクタがいるのですが、どういうわけか主人公を押しのけて人気投票では一位を獲得するというわけのわからない状態になっています。彼の人気は絶大で、一度キザキングの彼がなんと坊主になる、という婦(腐)女子にとっては考えがたい惨事が起こり、一部腐女子などは跡部サマ応援HPを閉鎖、また一部2ch801板では跡部と心中スレが乱立するなど彼の影響力の大きさには底知れぬものを感じずにはいられません。

話が脱線しましたが、つまり私が言いたいのはキザ、というのは意外とモテる、ということであります。(男前限定)

長くなりましたので
続きはまた次回にします。

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※今日の日記には25歳以上の童貞の方にとって不快に思われるやもしれない記述がありますので、気分を害されたくない方はすみやかに戻るボタンを叩き押すことを強く推奨します。

僕はまだ若干二十歳ということで、笑いながら「おれ童貞やねん!」と言えるのだが、そのうち笑えなくなりそうで、すごくこわい。

考えてみてほしい。25歳の童貞を。
ホンマ、笑えんから。お前はこの25年間、なにしとんねん、と。何のために生きてきたのかと。オナニーばっかりやっとったんちゃうんかと。そんな罵詈雑言が四方八方から飛んできそうでホンマこわい。

でも読者の中には

「まあ25歳ならまだセーフ…なんじゃいかな?」

とも思ってる人もいるかもしれない。

ホラ、25歳って漠然としたイメージでしかないんだけど、

「まだまだコレから!俺、現役やで!」

ってな気概が伝わってきそうなもんですからね。
精(子)力も衰えるには早すぎる年齢ですし、血気盛んな20代、仕事も恋も全力投球!てな感じで受け取る人もいるだろう。

だけどこれは本当だろうか?

僕は思うのだが、たぶん25歳まで童貞だったら恋愛するのが滅茶苦茶に難しい。

それは今までモテなかったのだから当たり前といったシンプルな理由から来るものではない。

25歳まで童貞である自分が恥ずかしいから、だ

おそらく25ともなれば8〜9割がたの男は性交渉の一回くらい経験しているであろう。ソースはないけど、たぶんそんな気がする。
つまり、25で童貞というのは世間一般では考えられないような激レアプレミア品で、恋愛対象としての存在が「ありえなーい!」のである。(語弊はあるが)

それはおそらく本人も重々承知しているはずで、というのも友人知人がどんどん「脱童貞をはかった」という聴きたくもないレポートを寄せてくるからである。

二十歳までは多少の祝福を持ってその報告を聞けるのだが、それを超えると、だんだん危機感を覚え始める。
おそろしいのは、25年以上の長い長い期間「童貞連盟」を固く締結していた戦友に裏切られたその時だ。

「お前だけは!お前だけは俺と運命共同体やと思ってたのに…!」

悔し涙は行き場のない怒りと化し、その夜白い粘液となりチリ紙に溶ける。


話をもどそう。
25以上の童貞がどう恋愛の妨げになるのかと言うと、
童貞というのは当たり前だがセックスをしたことがないので、
セックスがうまくできない。
そこで思うわけだ。

「セックスするのにあたふたする姿を彼女にみられたら…とても恥ずかしい!」

男っちゅ−もんはこういう要らんプライドが強いからね。やっぱり何だかんだいって男は女の前では堂々としていたいし、かっこよくありたい。それが彼女なら尚更だ。

しかも25歳以上の童貞である。この歳にもなってセックスのひとつも上手くできず、彼女に手とリ足とりセックスの手ほどきを受けるなんて考えただけでも情けなさ過ぎて泣きたくなる。

今までの話をまとめよう。

25歳の童貞(あっくんと略す)がいる。

あっくんに好きな人が出来る

あっくんは思う
「アッー、あのコめちゃタイプ!今すぐ付き合いたい!(性的な意味で)

更に思う
「でも、俺童貞やしな…。この歳で童貞って、セックスの時笑われそうや…、なんか鬱になってきた。」

更に思う
「マンドクセ。帰ってエロゲしよ

どうでしょう、このロジック。いやー自分でもホレボレするくらいの完璧なロジックだと思いますよ!これは!

そんな手前味噌はいいのだけど、この日記を書いていたらいまさらながらだけど北方謙三の名言である、
ソープに行け!」
の意味が分かってきた。

要するにとっととセックスを経験して、童貞のコンプレックスを取り除け、ということなんですね。

その先に恋愛に対する自信が待っている、と。たぶん北方センセはこういうことを言いたかったのではないでしょうか。よく分かりませんけど。

と、こういう日記を書いたはいいのですが、僕もこの調子で日々を送れば順調に25歳の童貞となり、そしてそのまま妖精となってお花畑を飛び回る事となりそうです。僕の予測だと軽く見積もって5ダースパーセントは妖精になってそうです。イエイ!

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参加してるやつらリア充ばっかで腹立つ
松紳がニコニコに挙がっていたので観てみた。
テーマはうろ覚えだが、確か「恋を成就させる方法」だった。

紳介は語る。
「男なんて冷蔵庫を売るセールスマンみたいなもんや。だいたい、冷蔵庫なんて一家に一台あるやろ、この時代?つまりその気がない相手を口説いて口説いてもう一台買うてもらわなあかんねん。メチャ大変やで。そんでも、足しげく家に訪問してなんとか買うてもらわなあかんねん。そんなもんやねん、男の恋愛っちゅーのは」

こんな内容だったと思うが、僕はこの話を聞いた時ものすごく共感した。
「さすが紳介!だてに熊田と不倫してないな!」と闊達に叫んだほどだ。

それはいいのだが、
だいたい、自分が好きになった女が自分の事を好きな可能性なんてメチャメチャに低いに決まってる。

そんな砂漠で宝石を見つけるがごとき偶然に期待するよりは、自分を相手に好まれるようプロデュースして、好きにさせる方が明らかに合理的だ。

そしてその自分プロデュースには物凄く手間がかかるし、時として面倒だ。
何しろ、相手は最早「一台の冷蔵庫」を持ってるのだから。

それでも燃える様な想いがあるなら、然るべきストラテジーに基づき、綿密に、日本が世界に誇る伝統的秘密部隊「忍者」のように計画を遂行せねばならない。

そしてそのストラテジーには往々にして虚偽の自分を演じることが記されているだろう。
というのも、素の自分をそのまま相手の前でさらけ出すよりも、
まず相手の好みを把握しそれに基づいた行動をした方が明らかに相手のウケは良いに決まっているのだから。

例えば僕がよくやるのは、飲み会の席で意中のコと会話している男をよく観察する。そしてそのコがウけている話題や男の仕草などをよく頭に叩き込む。
そして、僕が今度彼女とからむ時には、その時覚えたことをあたかも自分の素のキャラであるかのように演じる。
そうするとアラ不思議!相手の目には僕の事がまるで「とてもタイプ」に見えちゃうんだ!でも当たり前だよね、好かれるであろう話題や雰囲気を出してるんだから!(でも付き合った後、「最初と印象が変わった!」なんて言われる事もある。僕は言われた)


そういった面倒なことをやりつつ(誰でもやってるかもしれないけど)僕は好きなコとの距離を詰めて行っているが、それにしても本当にそのプロセスたるや不安でたまらない。

人間の心なんて僕には殆ど分からないから、仮に自分の話で相手が笑っていても、それはもしかして愛想笑いかもしれないし、もしかして呆れて笑っているのかもしれない。特に初対面に近い女性の場合、その傾向は強い。

そんな曖昧で不確実な感覚は正直嫌いだが、それでも、返って来た時のメリット(うまく恋が成就したとき)の大きさを考えたら、そうでもしなきゃならんのである。

この文章を読んでいる人の中には、恋愛なんて面倒なだけだよ…と思っている人もいると思う。それは半分正しいと思う。面倒なのは間違いない。誰に聞いても、面倒だと答える。
だがもう半分は正しくなく、面倒な「だけではない」のだ。
当たり前だが、面倒なだけなら誰も恋愛なんかするわけない。

面倒な分を補って余りある「幸福」があるからこそ、人類は恋愛をするわけだ。

僕は今特別に好きな人はいないが、本日うち行われた宴会でそういった色恋の話を聞いてるうちに恋愛、したいなあ、なんて思ったので、こんな気持ちの悪い日記をしたためました。おわり



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今現在において僕は特別に好意を抱いている女性というのはいないのだけれど、いた時期はもちろんあった。

「このコめちゃタイプ!いますぐ付き合いたい!」

しかしそんなホットな思いとは裏腹に、彼女の僕に対する応対は氷のようにクール。

「ああ、あかんわー、今日もこのコとイチャイチャする妄想しながら寝るか…」

夜の真っ暗なベッドで毛布に包まり、
僕は夜な夜な好きなあのコの事を考えていた。

★   以下、濃厚な妄想が始まります!!   ★

空は雲ひとつない快晴で、あたりは緑溢れる大自然。
澄んだ空気が心地いい川辺で水をかけあいながらキャッキャ騒ぐ僕とあのコ。長い髪が濡れて、とてもセクシー。

遊び疲れた頃に頬を赤らめて茶色のバスケットを差し出す彼女。「サンドウィッチ、作ってきたの。」
卵サンド、ハムサンド等バラエティ豊かなサンドウィッチがそこに鎮座。フライドチキンまである。しかも手が汚れないように柄を銀紙で包み、その上にピンクと白のストライプ模様のリボンまでしてある。僕はこういうところに惚れたんだよな、と思いながら一口手作りサンドウィッチをほお張る。

不安げに僕の眼を覗き込む彼女。
「どう?おいし?」
「ま…!」
「えっ?」
「まことにうまい!これは本当にうまいよ!間違いなく店に出せるレベルだよ!」
などとお決まりを楽しみながら、食事は緩やかに和やかに進行。

お腹いっぱいに愛情を詰め込み、ちょっと眠くなったところで彼女は言うんだ。
「膝枕、してあげよっか」
僕は素直に彼女の太ももの上に頭を乗っける。
「これほど安心できる枕は、世界中どこを探しても見つからないだろうね」

そうこうしている内に、夕日が景色を染め始める。
無数の小さな橙の粒が川の水面に踊り、僕らは一日の終わりを感じつつ、帰路へつく準備を始める。

帰りの電車は別方向。
改札の前に立って、一時の別れを惜しむ。

「今日は、楽しかったよ」
「うん、わたしも。また、連れてってね?」
「もちろん。約束するよ」
「うれしい」
「じゃあ、また」
「うん、またね」

fin



みたいなね?いやー気持ちいいなー、こうやって文字にしてみるとすごく気持ちいい!なんか1週間分のアレをしたみたい、と言えばこの感情を多少は理解してもらえるかもしれない。

あ、あと女性はこの妄言を聞いて、僕がすごく妄想家で、気持ち悪い輩だと思ったかもしれない。
でもそれはまったくの誤解で、ハッキリ言うけど世に生きる男子全員がこれと同じような妄想をしてるからね。いやこれマジで!ソースはないけど。きっと、間違いない!(そしてなぜが好きなコだと、エッチな妄想ができない。これは全員ではないが、少なくとも僕はそうだ。意外にもこういう人は多い)

えーと、ちょっと話しがズレましたね。
話しは「好きなコがいるが、思いを諦め、妄想をし始める」というところまできていた。

妄想をするのは別にいいのだけれども、やはり告白!これをせんければ話しは進まない。

しかし僕はとんだチキン野郎で、この告白と言うのを安全確実(だとされる)な一度しか行った事がない。その一回はやはり安全でなんとか成功したのだけれども、それ以外のケース、即ち「成功失敗どっちゃねん、微妙やわー!」という場合。

僕は常に告白なんて末恐ろしい事は実行せず、それとなくご飯に誘ったりして反応を窺ってきた。しかし女性というのはやはり魔性で、誘いには乗るが、別に付き合うつもりはない、というわけのわからないロジックを持っている、ということを友人や先輩に聞いて「メシ一緒に食べに行く=付き合える!」という盛男ロジックを完膚なきまでに叩き壊され、僕は茫然自失。オンナっちゅーもんはホンマ、分からん生き物でっせー、と狂った頭で考えたものだ。

結局その考えはやはり今でも根強く僕の頭に住みついていて、「僕に対する態度はなんかエエ、けど、告白は怖いわー」
となってしまう。

しかし、想いを告げる。
これはメチャ大事な事かもしれない、今はそう思う。

自分が心から好きになった人に、素直にそれを告白する。
確かに、実際にそれを断行するとなると顔から火が出るほど恥ずかしいのだけれども、別に行為それ自体は全く恥ずかしいことではないのではないか。
つまり、自分の想いを正直に、相手に伝えるというのは、自分がする分には「恥ずかしい」けれど、
「告白それ自体」は決して恥ずべき事ではないのではないか、と言いたいのだ。
ただ、自分の想いを正当に相手に伝える、その行為のどこに恥ずべき要素があろうか。

ここまで読んで、
「オッケー盛男、告白それ自体は恥ずかしい事はない、というところまでは理解したよ。でもわざわざ告白する必要はないよね。」
と言う人も居るかも知らん。
だが、僕は思うんだ。
告白、それを成功させる必要が果たしてあるのか?と
確かに告白が失敗すれば、その人との関係がギクシャクするかもしれないし、そのコが周りに告白された事実を言い放ち、自分はその組織内で居心地の悪さを感じるかもしれん。

しかし自分の愛した人にその想いを伝える、というのは自分を誤魔化さない、常に自己の正義に忠実に従って生きる我々にとってあまりに当たり前すぎる行為ではあるまいか。

己の心に背き、ネガティブな呪詛で横溢した精神を無視する…、それは僕を含めこのブログの読者のような精神に忠実に生きる者にとって明らかに恥ずべき行為である。

もちろん、組織内での関係が気まずくなることによって周りの人への迷惑ともなることも考えられるので、タイミングは重要だが、少なくともいつか、いいタイミングで「俺、君のこと好きなんだ」と伝えられれば、それは素晴らしい事だと、童貞(20)の僕は思うよ。


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※ベストオナニストのインタビュー(後半腺液)は後日改めて掲載します
CD-ROM アージュ













昨今、どういうわけか「二次元」の美少女に現を抜かし、
現実の女の子には見向きもしない、
それどころか
「三次元?勘弁してくださいよwwwサーセン!」
とまで豪語するいわゆる「二次元オタク」が急増していると言う。

実際に私の友人にも「二次元オタ」は実在し、
彼らは異口同音にして、

「時代はニ次元。webも2.0。僕はいま時代の最先端にいる。」

とか、

「二次元はウソつかない。」

などという二次元を大絶賛した発言を僕にぶちかまします.

そこで私が、
「じゃあさ、同年代の女の子に二次元の美少女好きって言える?」
と訊いたところ、
「いや…、それは…ちょっと…ねえ?」
とシドロモドロになる。

私がおかしいと思うのはまさにここで、
自分が好きなものに対して恥じらいを持つことです。

確かに、我々は「自分の理解不能なもの」に対して、
不快感や嫌悪感、時に憎悪感を抱きがちで、
実際。いきなりに仲の良い友人から、

「俺、最近美少女ゲームにはまってんだよねー。
 ハルカたん萌えー。」

などと真顔で言われたら、
確かに「こいつ…大丈夫か!?」
と思わずにはいられない部分は心のどこかに存在するやもしれません。

ですが、私のマインドの大部分は

「なるほどねーあ、そういやあハルカたんって、君望の方のハルカたんなのか、それとも今流行ってる方のハルカたんと、どっちなんだろうなあ。」

という比較的にマニアックな感想をいだくことになりそうです。

上の記述を読み、ある人は僕の事を
「ああ、やっぱりエロゲーしてたんだな、こいつ」
などと侮辱的な目でみる人ももしかしたらいるやもしれません。


やめてください。



いや、確かに僕はエロゲーなるものをプレイしたこともありますし、実際にスプラッシュ(ヒント;射精)した回数も軽く50ダースを超えます。

そして、君の望む永遠のヒロインである「涼宮遙」に萌えーとか言っちゃったのも事実。
そしてゲームだけじゃ飽き足らずアニメまで鑑賞しちゃったのも事実。


今ではそのような心持になる事はありませんが、
まあ僕も二次元の美少女に現を抜かした事があるのです。

話が相当ずれました。
「二次元の美少女が好きである自分が恥ずかしいと思うのはおかしい。もっと誇りを持って良いのではないか?」
という話でしたね。


やはり二次元の美少女に恋する・萌えるというのは確かに傍から見たら「異様」かもしれませんが、
実はこの「傍から見たら」という条件付けが良くないのではないかと小生、愚考いたします


というのも。
ハッキリ言って人間の好みなど人それぞれで、
例えば「太った人が好っきゃねん。」と言う人もいれば、
「いやいや、ガリガリで体重20キロ位のオナンが好っきゃ。」という人もあれば
「4歳から8歳までがストライクゾーン」
と豪語してやまない犯罪者が居る事も事実。

歴史を紐解き、
同性愛の性的嗜好を振り返ってみても、
例えば古典ギリシアでは、
男性のあいだの愛は称賛されるものであり、人間の性的成熟には、異性愛と同性愛の両方が必要であるとも考えられていました。

そのことは、近代以前の日本や中国、また他の非西欧社会でも似たような事情であり、
つまりはアッーなことも当時の彼らからすれば極めてナチュラルなのが実情でした。

なぜそのような多様な性的嗜好が発生するのかというと、
「脳の条件付け」が人によって違うからと言うほかないと思います。


例えば、ある民族は男女問わずみな上半身真っ裸であり、
そこに住む彼らは女性の乳房を見て性的興奮を覚える事はありません。


この例で言いたかったのは、
「人によって、何に興奮するかは違う。
だから別に何に興奮しようがしまいが、異様とか異端とか決め付けるのはすごくナンセンスなんじゃないのかな。」
ということです。


このロジックに従うのならば、
「美少女ゲーム」で、二次元の女の子相手に
「テラ萌えス」
などとわけの分からない事をいっている人も「正常」であり、
つまり別になんら恥じる事はありません。


↓(蛇足)

(異常である事を恥じるべきだ、と言いたいのではありません。異常だと思って恥じる事をやめるべきだ、と言っています。またくりかえしになりますが異常である事を恥じる事はないと、個人的には思います。ただ異常であると自認した場合、どうしても恥じる人がでてきます。
私は今回、上記の人を正常である、と主張しているに過ぎません。)蛇足終わり



であるから、
世の二次元オタのみなさん!

恥じる事はありません。
威風堂々と、声を大にして叫びましょう!



「俺は二次元が好っきゃー!」と。



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以下秘密で今まで僕がやったことのあるエロゲを語ります。
(ダイアリのユーザ以外の方は、コメントくだされば善処します^^お気軽に!)

エリーに告ぐ

2007年2月18日 恋愛
昨日日記を書かなかったのは、
中学時代の女友達と偶然横浜で会って、
そのまま二人暇だからちょっとメシでも食いに行くか、
という話しになりそのまま朝までメイクラブ的なことをしていたからに他なりません。


そのコのニックネームをエリーとします。
中学時代もずば抜けてかわいいこでしたが、
一ヶ月ほど前の成人式で久しぶりに会い、ますますその美しさに磨きがかかっておりました。
私などその麗しいお顔を見て一秒で勃起したほどです。



横浜の山下公園に彼女はいました。
散歩がてら、私はよく山下公園に行くのです。


「あれ、エリーやん!うわ!どうしたん、こんなところで!」

「え、盛男君?うわー。成人式以来やん!すごい偶然!」

「そやなー。で、どうしてこんなとこで一人座ってんの?
あ、デートか、そうかそうか。デートか。エリーのことだかんね、そりゃデートの一つや二つそりゃするわな。」

「ち、ちち違うよ!ただ…。ね…。」

暮れなずむ橙の太陽が、
俯いたエリーの横顔を哲学的に染めた。
海には煌めく光の粒が踊っている。
私は、完璧という概念をそれまで信じていなかった。
しかしこの時、その考えは完全なる過ちだったと気付かされた。
目の前にいるエリーとその光景との融合は、
完璧なる美の存在がこの世に実存する事を雄弁に語っていた。

「ただ、どうしたの?」

「んーん。なんでもない。盛男君こそ、どうしてここに?」

「ただの散歩さ。」




気付けば私たちは共に食事をし、頬がアルコールに染められたころ、その店を出ていた。




「時間、大丈夫?」
携帯電話の液晶時計が午後10時を告げていた。
「ん…。今日は…大丈夫。」
エリーは恥ずかしそうに、そういった。




眩いネオンが輝く街と彼女の存在は、
僕の理性を失わせるには充分すぎるほど充分だった。







………










「なあ、どうして山下公園にいたんだ?」

行為が終わった後、
私はホテルのベランダで煙草を吸いながらそう訊いた。
夜空にはあいかわらず星が見えない。
ほの暗い室内と、
完全な闇と成りきれていない冬の夜空の色は、妙に似ていた。

シーツにくるまった彼女は、上目遣いで僕を眺める。

「聴きたいの…?」

「聴きたくなかったら、僕は訊かない。」

僕は静かにそう言った。

その言葉が消えて、
三本目の煙草に火がついたころ、エリーはポツリと言った。


「あそこね、別れた場所なの…。前の彼氏と。」


「……。」


「一ヶ月前、突然に呼び出されて、突然新しい彼女が出来た、って言われて、突然にふられたの…。」

「……。」

「で、私それから毎日あそこに行ってるの。
雨の日も、寒い日も。」


「……。」


「朝から、晩まで、ズッとそこにいるの。」


「……。」


「でね馬鹿みたいにね、会えるかなー、って、ずっと考えてるの。
会えるわけないって分かってるけどね、そうせずにはいられないの。
馬鹿みたいでしょ?」

「……。」

「ねえ、馬鹿みたいでしょ?私」


「……。」

「何か言ってよ!」

彼女は唐突にそう叫び、私の方へ枕を投げつけてきた。

「なんで黙ってるの!?ねえ、あなたが訊いたんでしょ!
だったら何か答えてよ!」

エリーが裸のままベランダに向ってきた。


「……。」

「ねえ、何!?何で黙ってるの!?ねえ!ねえってば!」

エリーの声は震えていた。震えた声を振り絞りながら僕の肩を揺すり、何度も叫んだ。

「何で!?何で!?」と…。

僕は分かっていた。
エリーは僕に告白していたのではなく、
エリー自身に告白していたのだと。

吐き出したかったのだと思う。
ぶちまけたかったのだと思う。

エリーの中の醜い憎悪を。
そしてその醜悪な塊を己の眼で見たかったのではないか。

自分の体内に寄生する極めてヘビーな雑言・憎しみ・辛み。
エリーはずっと耐えてきた。
毎日朝から晩まで誤魔化してきた。

「自分はまだ、用なしの女じゃない」と。

自分は捨てられた女だという厳しい現実から目を背け、行為によって自己を慰めてきた。

その鬱憤は消化できず、「なんで!?」という言葉と共にエリーの口から飛び出し、そして行き場をなくして目の前の僕にぶつかってきた。

エリーは賢いからそのことには気付いてたと思う。
だが、どうしようもない衝動は理性を沈めさせる。

僕は黙って彼女の衝動を受け止め続けた。

闇夜に悲痛な叫びがこだましていた。
















……









朝。エリーはベッドで眠っていた。
夜中散々泣き喚いたからであろう、泥のようにぐっすりと寝ている。
愛おしい顔だ。
そう思った瞬間、僕はエリーのおでこにキスをしていた。

頬が真っ赤に染まるのを感じる。
昨日さんざんセックスしたのにな…。僕はちょっぴり自分が情けなくなった。

そのあと僕は昨日着てきた服に着替え、水を飲んだあと、
彼女に一通のメモを残し、部屋を出た。




外の空気がやけに寒々しい。
ホテルの入り口付近で煙草を吸いながら、
僕はさっき殴り書きした置き書きの内容を思い出していた。





「もしも神様が偶然という名の悪戯が好きならば、僕たちはまた出会うかもしれない。

その時は神様の悪戯を祝福しよう。
そしてその運命の日までに、
エリーの中に居る悪魔が消滅している事を、僕は心から願う。」





街の雑踏が先ほどの甘い空間から現実へと僕を引き戻す。

流れるように、溶け込むように、僕は往来に紛れ込んだ。















……












あ、いっときますけど、これ全部妄想ですから!
サーセン!!!





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比較的よく聞く会話として、
「君はSとMどっちやの?」
というものがある。



私はこの会話に深い知的欠乏感を感じずにはいれれない。
ちょうど、血液型の話題と共通したものを感じる。


元来、SMというのは事実として肉体的なものである。
無論、肉体的な殴打・しばきのみのSMは極めて初歩的なレベルのそれであるが、
あくまで肉体的な苦痛・快感が「精神」への橋渡しとなるのであって、肉体を等閑にしてはいけない。

私たちはしばしば肉体を無視してSMの「精神的側面」のみをステレオタイプで認識しがちである。

●責めるのが好きだから私はSね。
●受身の性格ゆえ、あっしはMでごわす。

これは完全な思考停止状態の認識であり、
SMの世界はその様なシンプルなものではない。


我々はしばしば上記のような簡潔な猿でも分かる判断に基づき自他をSかMかに決定する。



彼らに欠如しているのは、
「SかMかとは選ばれた人間しか持ちえないものである」
という重大な認識である。



しばしば誰にでもS性やM性を持ち合わせているような議論が巷で繰り広げられるが、それは極めて低次元のそれだと言わざるを得ない。



SMとは我々の想像を超えてもっと特殊なものなのである。

例えば、一般的にスカトロジーやボンテージ(緊縛)、ペドフィリア(小児性愛)、老人性愛と聞けば嫌悪感を示す人も少なくないかもしれない。

だがSかMかという議論は別なのだ。
我々はSMも同じように「異常性を感じさせる性的嗜好」(性的嗜好の異常性についての議論は後日詳しくするのでお楽しみに☆)であることを知る必要がある。


ではどうSMが異常性を感じさせるか、
これについて書いていこう。



●プレイが極めて異常(であることがしばしば)


SMと聞いて何を連想するだろうか。
ある人は鞭、ある人は蝋燭、ある人は浣腸器、ある人は繩を想像するかもしれない。

問題は、そのようなモノを「本来の性交においては不要なものを(主に)異性をしばきまわすために、また痛めつけられるためわざわざ嬉々として使用する事である。」

あなたは自分の恋人を殴って勃起するであろうか?
あなたは自分の恋人に浣腸させられて濡れるであろうか?


これに首肯できる人はごくごく僅かであろう。

もし仮にみんながみんな上述した事に「イエス!」と頷くならば薬局にはオカモトコンドームと共に蝋燭や鞭や浣腸器が鎮座ましましておかねばならないが、事実はそうではないのだから、この「殴って・殴られて勃起する人は少数である」という説には多少の論理的裏づけがあると私は信ずる。



●「責める・責められる」の関係はSとMの関係ではない。



つまり、多くの人間はSMが何たるかさえ分かっていないのだ。
実際にしたことも無いのに、ただただ紋切り型の「責める・責められる」といった思考パターンに自他を投影させていただけに過ぎない。


「責める・責められる」の関係は表面的にSとMを見ればそれは正しく思えるかもしれない。
しかしここまで読み進めてきた読者の皆さんならば当然のように理解できると思われるが、
「それは決してSMではない。」

「責める・責められる」の関係は
ただの乱暴者と受動者の構図に自他を投影させているに過ぎず、そこに性的昂奮がないという点と支配感・恥辱感を好むという視点が抜け落ちている点において決してSMの関係と同じにはならない。


我々は安易にドSとかドMとか言いがちである。

しかしその様は高校数学しかできないくせに、
相対性理論を理解し切った顔をしているマセガキの滑稽さとよく似ている。








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バレンタインkiss

2007年2月14日 恋愛
ヒキオタニート他多数のみなさんこんばんは。
盛男です。





今日はヴァレンタイン(ここでも指摘しておこう。ヴァレンタインとヴァギナの響きには密接な共通点が見出されることを)でしたね。





ヒキオタニート他多数の皆さんのチョコ獲得数は当然の如く、







悪くても0個。良くて0個。





であると私、固く信じて降ります。



で、そんなエラそうなことをいってる僕は
当然のようにチョコ獲得数0。



いやあまあ、
ここまで貰えないと逆に清清しいよね、ホント。
この解放感は正月の朝に新しいパンツを穿いた時の爽快感に似てる。

という理由はですね、
仮にですね。
義理チョコをもらったとしますよ、女性から。


そうしたら我々はマズ何を考えなければならないか?



決まってますよね。
悪しき慣習・ホワイトデイについて思考をめぐらせねばならんのですよ。



だいたいにおいて女性というのは「物」が大好きで、
それ自体に大いなる価値を見出す生き物である、
ということは確か週刊SPA!に明記されていたので、
チョコを貰った哀れな男は薄っぺらい財布と相談しながら女性の物欲を最大限に満たすため、
できるだけ女性の喜びそうなものを購入しようと四苦八苦しなければならんのです。

はは、かわいそ。


同情するわ。チョコもらった男に。



ということで、チョコを貰った可哀想で不幸な男性はチョコなんか食べてないで、
来るべきホワイトデイに向けてひとつバイトでも増やして、汗水流して女に貢ぐための物を買う金を貯めるとイイヨ!


その間チョコゼロの僕は悠々と文化的な生活を送ってますから^^
サーセン!


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今日はお好み焼きを作って食べました。
とてもおいしかったです♪
「二月半ばの国民的行事と言えばなんでしょうか?」

と街行く人々に突撃インタビューをしたら、
きっと異口同音にしてこう発言するはずである。

「バレンタインだと思います。」

日本国民がチョコを貰うだあげるだ昂奮を隠し切れない日。
それが聖バレンタインデイ。(これは完全に余談なのだが、バレンタインという響きと、ヴァギナという響きは非常によく似ていることをここで指摘しておこう。)

今日はどう逆立ちしても親からしかチョコを貰う事が出来そうにない、哀しいなあ、と嘆きのルサンマチンを抱えている人にむけて、ちょっとしたバレンタイン攻略法を伝授する。

特に人との関わりのないニート、もしくは長期休暇中の大学生でバイトもしておらず、サークルにも入っていない、趣味はアニメ鑑賞とエロゲとオナニーといった所謂オタクの方も必見の内容である。

以下攻略法を明記する。









●可愛い店員のいる店でバレンタイン用のチョコを自ら購入する


チョコを貰えない、その悲しみは日本海の深さとよくにている。
完全な孤独。
誰からも愛の証を享受できない哀しさに耐えかね、
切なる慟哭をあげても、聞こえてくるのは自らの侘しい喚き声だけ。

肝心なのは、美しい女性からチョコを貰う事だ。
誰でもいい。だが母親は駄目だ。なぜならときめかないから。

ここで私は提案する。
ときめく相手からチョコを貰えば、それでいい。充分なのではないか…と。
無論、貰えないからこそ、君たちは嘆く。悲しむ。鬱になる。

発想を転換すればいい。

貰えないなら、強制的に貰っちゃえばいいのだ!
当然、タダでチョコをくれるお人よしなんてこの世知辛い世の中、いるはずがない。


だったら資本主義の原理原則に忠実に従い、金で貰っちゃえばいい!

その方法は簡単だ。
君にもよく行くコンビニ、もしくはスーパーがあるはずだ。
そこで可愛い店員を発見することも、しばしばあると思う。
聖戦の日、
つまりバレンタインデイに君は好みのコのレジへ並ぶといいのである。

(もし不幸な事にそのような可愛い店員が君の近くにいないのならば、勇気を出して電車に乗って三越とか東急ハンズとかそういった巨大な店に赴くことを勧める。
なぜなら大型店舗には基本的に店員が多く、つまり美しい女性がいる可能性が大なのである。)

君はそのコから貰いたいなあ、と心底思うようなチョコをレジにもって行けばいい。

そしてレジに並び、イザッ自分の支払いの時になったらこう言うといい。

「包装、お願いできますか。」

なぜこのような事を言うか?
話しは単純である。
その方が長くその女性店員との時を共有できるからである。

あたふたとチョコをカラフルな、例えばファンキーなピンク色の包装紙で包んでいる様子をみたら、きっと君はこう思うだろう。





「僕だけのためにチョコが包まれてる!嬉しい!すごく嬉しい!」




そして受け取りの時、
間違ってもビニール袋なんかに入れてもらっては駄目だ。
雰囲気がぶち壊しになる。

「ありがとうございます」と微笑を湛えながらしっかりと店員の目を眺めつつ発声し、
かつ両手でキレイに包装されたチョコを受けとれば、
バレンタイン気分は最高潮に満たされ、ウキウキは約束されたも同然。

君はバレンタインデイに好みのコからチョコを「受け取った」ことが確約されたわけだ。

どうだろう、とても素晴らしい事だとは思わないだろうか。

だがメリットはこれだけじゃあ終わらない。
店から自宅までの帰り道も楽しみである。

両手で胸に抱えたドキドキのバレンタインチョコ。
道行く人々の視線に優越感を感じながら、また店員の美しい顔立ちを思い出してホンワカした気分になりながら、
君は颯爽と歩道を闊歩するわけだ。
考えただけでも、わくわくしないだろうか。僕はする!

帰ってからも楽しみである。
包装紙(可愛い店員の指紋がベタベタついていることをきちんと認識しつつ)を丁寧に剥がし、
チョコを口に含む。
口溶けに甘えながら、
ほのかに感じるカカオに恋の苦さを噛み閉めて、
loveという名のパラダイスに溺れる。そんな一日もあっていい。








どうだろうか。

このプランを実行すれば、君の孤独も癒され、きっと人生の進行上、何の問題もないバレンタインとなるであろう。実行に期待する。









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押していただければ著者として望外の喜びである。

浮気について

2006年12月12日 恋愛
楽しいかえうた 大黒マキで「ららら」

懐かしい臭いがした

アナルの花時計

えー掴みは上々といったところでしょうかね。

過日。友人たちと飲んでいるときに、「どっからが浮気やねん?」という議論になった。
それに因んで今日は浮気は善か悪かを置いておいて、浮気について持論をぶちかましたい、そういう気概。

浮気の話になると、「浮気っていうのは、キッスからが浮気だよ。」などと行為によって浮気を規定しようとする輩がいるが、それはちょっとちゃうんじゃないの、と思わずにはいられない。

というのも浮気をどこから浮気かと論じるのは、そんなもん人によって違うやんけ!ってなことになりかねないからだ。

例えば、僕なんかはキスをしたらそりゃもうコレ、浮気に決まってる!と思ってしまうシャイボーヤ(boy)なんですが、、
ラテン系の方々にとってキッスは挨拶程度のもので、
僕が「ロクシーナ、キスってのは好きな人とするもんだから、他の男性とはしないようにしなさい。」と言ったところで
「えー、そんな無茶なこといわんでやー。キスなんて挨拶やって!」
と言われてしまえば、
こちとら彼女は別に「浮気」をしているわけではないので、殊更に咎めることは出来ない。

つまり価値観が違えば、行為一つとっても様々な解釈が生まれるわけですね。
だから中には恋人がいるのに、他の女のオマンヌというオマンヌに陰棒を突き刺し、出したり入れたりしている人が居たとして、それは必しも恋人とのファックに飽きたわけではなくて、そして恋人が嫌いになったわけでもなくて、むしろ好きなのかもしれないし、つまりは行為だけをとって、ここからが浮気だね、と断じるのは極めてアホらしい、ということだ。

そんなのはその人の心、ハートに直接訊いてみなければ分からない問題だから。

だから恋人がいて、恋人に、
「ここからが浮気だから、君は決してここから先(キスから先とか。)はしてはいけない」
と言うのはエゴである。人の心を自分の思うがままに支配しようとするその姿勢たるや、エゴ以外のなにものでもない、そう思いますよね、当然。

でも人間っつーのは哀しい生き物で、自分が浮気だな、コレは、と思ったことを恋人にしてほしくない。
だから醜いエゴで「ルール」をつくったりする。そのルールってのは例えば
「アタイ以外の異性とメールするのは仕事以外許されない。」とか、まぁそういうものだ。
互いにそれで安心、納得し
「よし、これでいやな思いをしなくていいぞ。一件落着。」と思えればそれに越したことはないが、実情はそんなことなくて、
「なんでやねん、メールするくらいええやんけ、むかつくわぁ。」
と納得しないことも多いのではないだろうか。

それもこれも互いにエゴを遺憾なく発揮し、自分のいやなことは全く持ってこの世から消えてなくなればいい、雲散霧消すればいい、と何の疑いも無く信じているからだ。
その信念の背景に、
「恋人なんだからそんくらいのことは我慢しろよ、恋人ってったらやっぱり自分をある程度捨てねばならんよね、相手のために。それによって互いにlovelove愛してるな関係になれるわけ、わかったら携帯みせろや、男からメールきてないかチェックしたる。」に代表される「恋人だから。」という概念がある。

この考え方の裏には前述したように、恋人だから、俺のために何かを犠牲にすべき、という考え方がある。
だがそれは全く持っておかしな考え方であって、恋人になろうがなんだろうが、自分は自分で変わることはなにもないからね。
だから僕は恋人が他の人とキッスしてたらイヤーンって思って注意はするが、決して他の男とキッスすんな!って叱ったり、ルールを作成する、なんてこともしない。そんなことしていやな思いをするのは結局相手で、自分の満足のために相手にいやな思いをさせるってーのはちょっと違うよね、と思うわけですね。

で、これが浮気とどう繋がるかってーと、くどいようですが自分の恋人が浮気している、ということを認識する手段として行為をみるのは間違ってるってことです。

浮気ってのは文字通り「気」の問題で、表面の体、肉体をみてそれを判断するのは困難・至極困難なんですね。

でも自分たち人間にその「気」の動きを見られるか、といえばそれはスタンド使いでもないかぎり無理で、まず凡人の僕にはできません。

でも、その行為を見たり聞いたりした後、

「昨日変な噂をきいたんだ。マキ。それはね、君は僕と交際しているにも関わらず、僕には決してさせてくれなかったアナルゼックスをA君と楽しんだ、という噂なんだ、懐かしい臭いがした、ということも聞いたのだけれども、これは事実なの?事実だとしたら、なぜ懐かしい臭いがしたの?もしくは僕に気がなくなったの?」

と恋人に尋ねることができる。その対応によってこいつはぁ気が浮いてるな、と判断できるなら浮気だと判断してもよいね。

そこで初めて浮気だと認識できるわけです。つまり、行為だけをみるのではなくて、その後尋ねた時の態度・アティチュード、それをきちんこと加味した上で浮気かどうか判断するのが賢明だ、と言えるわけですネ。

ちゅーことでおわり。






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人は誰しも狂気を持っていると思う。

これは確信を持って言える。

人は、唐突に人をしばきたくなったり、
罵倒したくなったりする。

ただ、その凶暴性は年をとるにつれて表に出すことは少なくなる。
ガキの頃はムカついたらその態度を顔に出したり、
行動に出したりして、
自分の思っている事をすぐさま体現できた。

だが、今となってはモラルや法規等の縛りにより、
凶暴性を思いのママ噴出することは難しい。
だから、心の奥に沸々と憎悪や狂気を沸騰させながら、
人は生きて行かなければない。

そう、凶暴性と共生しなければならないのだ。
だが無論それは快いものではない。

苦痛だ。

俺はなんで我慢しなきゃならんのだ。
我慢なんて腹が立つだけだ。
くそう。
今すぐ目の前にいるド阿呆をしばきたい。しばきまわしたい。

と心で思い、拳を石よりも固くする。
それでも顔面に薄ら笑いを浮かべ、
へーこら頭を下げて
生きていかなければいけない社会、
それは苦痛な社会だ。

いやな社会。
俺は甘えているのか。


…………………………………………………


昨日、同じ大学の友人たちと飲んだ。

魚類のオスは射精する時、快感を感じているのか?ということや、
浮気はどこから浮気なのか?とか、
セックスってどこからがセックスやねん?とか、
女子校生という表現は魔法の言葉だ、とか、
まぁそんなことを議論していた。
(興味があればコメントしてください。書きます。)

そのほか、男同士で集まった時には必ずなされる話である、
「最近、どーやの?」(女関係はどうやの?)
ということを話した。

自分はあまり語りたくなかったので、
友人の話を主に聴いていた。

彼(以下Aとする。)によると、先月あたり、部活の女友達から、女性の紹介を受けたそうだ。
僕や他の友人どもは
「ほー。こりゃ結構なことではありませんか。」
などと言い、まずは紹介を受けた、という事実を褒め称えた。

だがAによると、それは結構な事でもなんでもなく、
とても苦痛なのだ、というようなことを言った。

「それはなにゆえ?」

と僕が訊くに、彼は理由を話し始めた。
その内容とはどうも紹介された女性(以下ヨシコと呼ぶ)の顔面が岩より酷いゴツゴツっぷりでとても見るに耐えず、
一緒にいるのは気分がよろしくないらしい。
だがこれも天の悪戯か、
成り行きで12月24日にあうことになってしまった。
これが目下自分の頭痛のタネであり、
全くこう、楽しいという気分になれず、ただただ苦痛らしい。

A以外の僕を含め男3人は、「ふむふむ。」「ほー。」「こらまぁ。」
などと相槌を打ちながら彼の話を聴いていた。
彼の話が終わった後、僕はすぐさまこう言った。

「そんな苦痛なんやったら、そのデートの約束を反故にし、
ついでにもう君とは遊びたくない、ということをハッキリ明確に伝えれば良いよ。メールか電話で。それが優しさやと思う。」

だがAの話を聴いてた友人どもの一人のBは、
「いやいや、それはヨシコはんがあんまりに可哀想だ。
むしろ、会って、そこで交際のつもりはない、とハッキリ伝えればよい。会うことは約束したのだから、実行せねばならない。」
と僕の論にハッキリ反対する。

Aも困った様子で、「うーん。」と言い顔を顰めている。
で、残りの友人Cは
「じゃあAは一体全体、どうするつもりなの?
クリスマスイブにデートすんの?」と訊いた。

Aは相変わらず困った顔面を崩さず、
「うん。いくつもり。付き合う旨をしっかりと伝える。(ヨシコは相当Aにぞっこんなので、まず断れる事はないらしい。)
そんで、三ヶ月で別れる。
などという珍妙奇天烈な発言を皆にぶちかました。

「えーーーー!」
みな、一斉に驚愕。

「いやいや、その斜め上行く発想はなかったわー。」
「明らかに、その発想は、おかしい。人間として、おかしい。」
「誰がどう考えても、君は鬼畜だ。」

皆がそのようことを口々に発する。
読者のみなさん、どう考えても最善策として、この発想には行きつかないですよね?うん、って言ってー!

で、Cは「どうしてそんな結論を今の君は持っているの?」
と尋ねたところ、
「紹介してくれた女友達のメンツもあるしね。
ガツッ!と断るっちゅーのは出来ないもんなんだよ。
で、そのメンツを一番立て、そしてヨシコが一番楽しい結論、
これはやっぱり付き合うこと、これって思った次第。」

僕は感動した。
ここまで自分を捨て、人に尽くす人がいるなんて…、
と思い、感動した。

だが、決して納得はしていなかった。

結局付き合っても、Aは決してヨシコのことを好きなわけではなく、むしろ嫌いで、そんあ空気と言うのは自然と蔓延し、相手に伝わるもので、ヨシコも女なので、その空気を敏感に察知、そして「アタイ、嫌われてる?」と不安に駆られ、とてもじゃないが楽しい交際とはいかない。つまり、彼がしていることは結局誰のためでもなく、強いて言えば空回り以外の何物でもない。

その旨、丁重にAに僕は伝えた。
「うーむ。そうかもしれんねー。」
等と言って更に困った。

結局、何の結論も出ずまま夜が明けたのだが、
これからのAの挙動に、皆の視線が集中している。

ミスチルも唄っていたが、男女の問題はいつも面倒だ。
だが、これほど部外者にして見れば面白い問題も、
そんなにないよねー。とも思う。

結局本気で面倒なのはやってる当人たちだけ。
部外者は外から無責任にどうこういってるだけ。

まぁなんでもいいか。おもろかったら。

ちゅーことでこれからもちょくちょくAの挙動についてはこのブログで書いていきます。刮目して待て!

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