煙草の銘柄でわかる!その人の人となり
2007年1月30日 エッセイ コメント (3)「ある人物について知りたいのならば、彼の友人を知る事が最もてっとりばやい。」
という旨の事はよく言われる。
この文言の意味を簡明に説明すると、
人を知るには彼の周りの環境を知れば良い、
ということである。
何も安直に友人=人と固定してしまうのではなくて、
服装や職業や出身地、好む体位などからもその人となりというのは判断できる材料となるのである。
例えばちゃらちゃらした渋谷系ファッションをしている人を見たら、なんとなく、こいつ遊び人くせえな、と思うように。
無論それが絶対的に正しいとは言わないが、
少なくとも判断の材料になる事は確かであろう。
そういったことを念頭に置きつつ、
ここでは煙草の銘柄によって人となりを判断したいと思う。主に独断と偏見で。
●セブンスター
ヤンキー的な人がよく吸っている。
ぼさぼさの頭の人もよく吸っている。
セッタを愛煙する人の大きくはアウトローを好み、結果破滅する。
●マイルドセブン
人と違っていたくない。
みんな同じでみんないい。
そんな伝統的日本人的マインドを現代に脈々と受け継ぐ文化人に愛煙される。
●マールボロ
自分ちょっと煙草にはこだわってますねん、
的なマインドを持った人がよく吸う。
実際には味もよく分からないが、
「煙草でうまいといったらマールボロ」
という珍妙な思い込みを持ち、それを妄信している。
●マールボロメンソール
メンソールの煙草が好きだが、
何を吸っていいか分からないので、
とりあえずマルメンにしてます、
って感じの人が多い。
●ケント
広告がカッコいいので、
なんとなく買ってみました、という主体性がない人がよく吸う。
●クール(KOOL)
メンソールと言えば、クールしかない。
と妄信しているひとがよく吸う。
マルメンは邪道だと勝手に決め打ちしている。
若い人間に愛煙される。
●キャビン
オッサンが愛煙する。
若い人間でこの煙草を吸っている人を見かけたら、
なかなかの通であると見てよい。
なぜなら「キャビン=おっさん煙草」
という固定概念が日本ではどういうわけか出来上がっており、
それを平然と無視してキャビンをふかす若人は
世間など無視した、自分をもっているとみてもよいからである。
だが、煙はうんこ臭い。だから個人的にはキャビンは嫌い。
●LARK
かつて(1960〜80)はこだわりの一品という感があったが今となっては大衆煙草になってしまった。
だがその風格は未だ衰えておらず、
もつ者に渋みと気品を与える。
渋い男は赤ラークを好む。
そしてそのプライドはダイヤモンド同様、砕けない。
●ハイライト
「男は黙ってハイライト」
さくらヒロシの残した威厳漂う名言。
ちなみにアカギもハイライトを愛煙している。
●ハイライト ラム メンソール(hi-lite rum menthol)
他を寄せ付けない圧倒的な個性を遺憾なく発揮する至極の一品。
ほのかに香るラムと喉を滑らかに駆ける薄荷のコラボが吸うものを虜にする。
通の中の通だけに好まれる嗜好品である。
一つ、ハイライトラムメンソールに似合う情景をあげよう。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
夜の街の薄汚いライブハウス。
ギターをかき鳴らし、
大声でロックンロールを歌う一人の男の姿がそこに。
彼は圧倒的な歓声と共に迎えられ、
そして圧倒的に名残惜しそうにアンコールを要求される。
アンコールにもきっちり応え、
「セリュー、グッナイ!」
と感謝の言葉を述べ、その場から身を消す。
ライブの幕は熱気とは裏腹に静かにおりる。
楽屋に戻った彼は、
自らの生命の律動を、音として遺憾なく表現できたことに満足していた。
会場全体の温度がカッと上がる、そんな瞬間を彼は今日幾度となく体感した。
その感覚は、シンクロニシティに近い。
人と人とは本来相容れない、全く違った固体である事に、異論の余地は存在しない。
しかし彼はそれを否定するかのように、
大勢の観客から極限のテンションを引き出し、
その極限の熱狂を共有させた。
無論彼もその熱狂の共有に参加しており確かに感じたのだ。
「いま、俺たちは一体化している。」と。
そこに他者はいなかった。
漲る充実感と、反動としての疲労。
彼はポケットからくしゃったハイライトラムメンソールを取り出し、気だるくそれに火を灯す。
先端の赤い炎が、彼を静かに笑わせた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
厨くさいという指摘にはこの際無視します。聞きたくない、そんな罵声は!
●ピース
ピース缶を持ってる人は、
分かる人だと思っていい。
●ホープ
村上龍が愛煙しているだけあって、
なかなかどうして立派な感じがする。
●よくわからんけど、細長い煙草
女の子むけの煙草。
個人的に女性の喫煙者は嫌いではないが、
どういうわけか我が朝では女性の喫煙者は異端的な目でみられる。
以上、
勝手な思い込みでした。
http://blog.with2.net/link.php?373700
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納得した人もしなかった人も、
煙草なんて大嫌いだ!とジブリっぽく思った人も押せばいいと思うよ。
という旨の事はよく言われる。
この文言の意味を簡明に説明すると、
人を知るには彼の周りの環境を知れば良い、
ということである。
何も安直に友人=人と固定してしまうのではなくて、
服装や職業や出身地、好む体位などからもその人となりというのは判断できる材料となるのである。
例えばちゃらちゃらした渋谷系ファッションをしている人を見たら、なんとなく、こいつ遊び人くせえな、と思うように。
無論それが絶対的に正しいとは言わないが、
少なくとも判断の材料になる事は確かであろう。
そういったことを念頭に置きつつ、
ここでは煙草の銘柄によって人となりを判断したいと思う。主に独断と偏見で。
●セブンスター
ヤンキー的な人がよく吸っている。
ぼさぼさの頭の人もよく吸っている。
セッタを愛煙する人の大きくはアウトローを好み、結果破滅する。
●マイルドセブン
人と違っていたくない。
みんな同じでみんないい。
そんな伝統的日本人的マインドを現代に脈々と受け継ぐ文化人に愛煙される。
●マールボロ
自分ちょっと煙草にはこだわってますねん、
的なマインドを持った人がよく吸う。
実際には味もよく分からないが、
「煙草でうまいといったらマールボロ」
という珍妙な思い込みを持ち、それを妄信している。
●マールボロメンソール
メンソールの煙草が好きだが、
何を吸っていいか分からないので、
とりあえずマルメンにしてます、
って感じの人が多い。
●ケント
広告がカッコいいので、
なんとなく買ってみました、という主体性がない人がよく吸う。
●クール(KOOL)
メンソールと言えば、クールしかない。
と妄信しているひとがよく吸う。
マルメンは邪道だと勝手に決め打ちしている。
若い人間に愛煙される。
●キャビン
オッサンが愛煙する。
若い人間でこの煙草を吸っている人を見かけたら、
なかなかの通であると見てよい。
なぜなら「キャビン=おっさん煙草」
という固定概念が日本ではどういうわけか出来上がっており、
それを平然と無視してキャビンをふかす若人は
世間など無視した、自分をもっているとみてもよいからである。
だが、煙はうんこ臭い。だから個人的にはキャビンは嫌い。
●LARK
かつて(1960〜80)はこだわりの一品という感があったが今となっては大衆煙草になってしまった。
だがその風格は未だ衰えておらず、
もつ者に渋みと気品を与える。
渋い男は赤ラークを好む。
そしてそのプライドはダイヤモンド同様、砕けない。
●ハイライト
「男は黙ってハイライト」
さくらヒロシの残した威厳漂う名言。
ちなみにアカギもハイライトを愛煙している。
●ハイライト ラム メンソール(hi-lite rum menthol)
他を寄せ付けない圧倒的な個性を遺憾なく発揮する至極の一品。
ほのかに香るラムと喉を滑らかに駆ける薄荷のコラボが吸うものを虜にする。
通の中の通だけに好まれる嗜好品である。
一つ、ハイライトラムメンソールに似合う情景をあげよう。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
夜の街の薄汚いライブハウス。
ギターをかき鳴らし、
大声でロックンロールを歌う一人の男の姿がそこに。
彼は圧倒的な歓声と共に迎えられ、
そして圧倒的に名残惜しそうにアンコールを要求される。
アンコールにもきっちり応え、
「セリュー、グッナイ!」
と感謝の言葉を述べ、その場から身を消す。
ライブの幕は熱気とは裏腹に静かにおりる。
楽屋に戻った彼は、
自らの生命の律動を、音として遺憾なく表現できたことに満足していた。
会場全体の温度がカッと上がる、そんな瞬間を彼は今日幾度となく体感した。
その感覚は、シンクロニシティに近い。
人と人とは本来相容れない、全く違った固体である事に、異論の余地は存在しない。
しかし彼はそれを否定するかのように、
大勢の観客から極限のテンションを引き出し、
その極限の熱狂を共有させた。
無論彼もその熱狂の共有に参加しており確かに感じたのだ。
「いま、俺たちは一体化している。」と。
そこに他者はいなかった。
漲る充実感と、反動としての疲労。
彼はポケットからくしゃったハイライトラムメンソールを取り出し、気だるくそれに火を灯す。
先端の赤い炎が、彼を静かに笑わせた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
厨くさいという指摘にはこの際無視します。聞きたくない、そんな罵声は!
●ピース
ピース缶を持ってる人は、
分かる人だと思っていい。
●ホープ
村上龍が愛煙しているだけあって、
なかなかどうして立派な感じがする。
●よくわからんけど、細長い煙草
女の子むけの煙草。
個人的に女性の喫煙者は嫌いではないが、
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以上、
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納得した人もしなかった人も、
煙草なんて大嫌いだ!とジブリっぽく思った人も押せばいいと思うよ。
●情報に踊らされる現代人の肖像
2007年1月28日 エッセイ昨今の情報技術の発達たるや目を見張るものがある。
我々は多種多様なメディアから多種多様な情報を入手できるようになったのである。
確かに、情報は人生を有意義に過ごすためには不可欠なものだといってもよいであろう。
時に己の身を守る鎧となり、
時に敵を刺す槍となる情報。
しかし21世紀となった今、我々現代人は大きな問題に直面している。
情報という鎧を身に纏うのはいいが、
逆にその重さに耐えかね、鎧それ自体に押しつぶされる人々が近年急増しているのである。
すなわち、情報に過敏になりすぎ、知らず知らずの内に自己の行動・思考を制限されてしまい、どうしようもこうしようもなくなってしまっている人々が急増しているのだ。
具体的にどのように情報に囚われてしまっているのか?
MNN(盛男のネタ帖)が独自ルートを最大限に活用し、
情報弊害に関する投稿を秘密裡に募ったところ、
驚くべきレポートが多数寄せられたので、それを以下に転載したい。
●鳥インフルエンザが怖くて飼っていたインコを泣く泣く惨殺した(愛知県名古屋市・桑本留美子さん・12歳からの投稿)
私の家では自分が幼少の頃からインコを飼っていました。
彼女は私の唯一の親友でした。
兄弟も居ませんし、親も共働きです。
音のしない家に帰って、
迎えてくれるのはインコのろんちゃんだけでした(ええ、インコの名前はろんだったのです)
毎日、私はその日あったことをろんちゃんに話しかけました。
返事はありませんでしたが、なんだか心と心で繋がってる…、
そんな幻想を確かに実感として感じました。
実際に繋がってなくたって良いです。
私はいずれにしろろんちゃんの事を、
心のそこから好きだったし、ろんちゃんも私によくなつきました。
籠の網にひと指し指を通すと、ろんちゃんはつんつんと突いてくれました。
心地よい感触でした。幸せでした。
その幸せは今思えばガラス細工のように脆く儚い幸せでした。
悪夢は私のすぐ傍までにじりよってきていたのです。
幸せを謳歌していた私は、けっしてその陰に気付く事はありませんでした。
ある朝のことです。
両親とニュース番組をみていると、
「鳥インフルエンザが猛威を揮い、街はドえらいことになってる。」といった報道がなされました。
私は不安になりました。
インコのろんちゃんは言わずもがな、鳥類にカテゴライズされます。
すなわち、霊長類である人類に鳥インフルエンザの影響を及ぼす恐れがあるかもしれません。
背中に戦慄がズバと駆け抜けました。
自分や両親が鳥インフルエンザにかかって、
死ぬかもしれないと思ったからです
実際にテレビの中のキャスターも口にしていたように記憶しています。
「鳥インフルエンザで、83歳のご老人が大往生」と
殺される…。
私は我慢できませんでした。
カッターナイフを緑のお道具箱から取り出し、
チキチキと音を立てて刃を4センチほど上げます。
鳥籠へ向って真っ直ぐ、一歩一歩脚を運びます。
動揺などしていませんでした。
死にたくない。ならばろんちゃんを殺めるしかない。
それ以外の思考など私には全く思い浮かびませんでした。
ろんちゃんは木の枝にとまって、毛づくろいをしていました。
幸いにして彼女の位置は籠の網そぐ傍。
頭を狙った、と思った瞬間にはもうカッターナイフの刃は彼女の脳天に突き刺さっていました。
そのままぐじゅぐじゅとカッターナイフを回転させました。
どぷどぷと垂れ流される緑色の液体と血液。
私はそのままろんちゃんを一刀両断しようと勃然と思い、
満身の力を込めて縦に刃を振り下ろしました。
縦に割れたろんちゃんの残骸から、ひくひくと痙攣する内臓が見えました。
鳥籠をあけ、内臓をメッタ刺しにしました。
狂気。
確かに私は気が触れていたのかもしれません。
母が「やめなさい!」と叫んでも私は決して内臓を切り刻むのをやめませんでしたし、後ろから押さえつけられてもじたばたと抵抗し、死骸の内臓を刺しに刺していました。
結局私が死骸への冒涜をやめたのは、
父が拳骨で力の限りに私の頭部を殴りつけ、気を失ったからです。
今思えば、馬鹿げた行動だと思います。
しかし、鳥インフルエンザのニュースを聴いた時、
確かに思ったんです。
「ろんちゃんは、敵だ。」と。
報告は以上です。
情報が全て。
現代社会に生きる我々にとってそれは一面の真理であります。
しかし人の生き方・信念までをも情報に委ねてしまうようでは、
人間らしさの欠如と言われても仕方がないでしょう。
正しい人間と情報との付き合い方とは?
今、まさにそれが問われている。
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言わずもがな、
報告は捏造です。悪しからず。
我々は多種多様なメディアから多種多様な情報を入手できるようになったのである。
確かに、情報は人生を有意義に過ごすためには不可欠なものだといってもよいであろう。
時に己の身を守る鎧となり、
時に敵を刺す槍となる情報。
しかし21世紀となった今、我々現代人は大きな問題に直面している。
情報という鎧を身に纏うのはいいが、
逆にその重さに耐えかね、鎧それ自体に押しつぶされる人々が近年急増しているのである。
すなわち、情報に過敏になりすぎ、知らず知らずの内に自己の行動・思考を制限されてしまい、どうしようもこうしようもなくなってしまっている人々が急増しているのだ。
具体的にどのように情報に囚われてしまっているのか?
MNN(盛男のネタ帖)が独自ルートを最大限に活用し、
情報弊害に関する投稿を秘密裡に募ったところ、
驚くべきレポートが多数寄せられたので、それを以下に転載したい。
●鳥インフルエンザが怖くて飼っていたインコを泣く泣く惨殺した(愛知県名古屋市・桑本留美子さん・12歳からの投稿)
私の家では自分が幼少の頃からインコを飼っていました。
彼女は私の唯一の親友でした。
兄弟も居ませんし、親も共働きです。
音のしない家に帰って、
迎えてくれるのはインコのろんちゃんだけでした(ええ、インコの名前はろんだったのです)
毎日、私はその日あったことをろんちゃんに話しかけました。
返事はありませんでしたが、なんだか心と心で繋がってる…、
そんな幻想を確かに実感として感じました。
実際に繋がってなくたって良いです。
私はいずれにしろろんちゃんの事を、
心のそこから好きだったし、ろんちゃんも私によくなつきました。
籠の網にひと指し指を通すと、ろんちゃんはつんつんと突いてくれました。
心地よい感触でした。幸せでした。
その幸せは今思えばガラス細工のように脆く儚い幸せでした。
悪夢は私のすぐ傍までにじりよってきていたのです。
幸せを謳歌していた私は、けっしてその陰に気付く事はありませんでした。
ある朝のことです。
両親とニュース番組をみていると、
「鳥インフルエンザが猛威を揮い、街はドえらいことになってる。」といった報道がなされました。
私は不安になりました。
インコのろんちゃんは言わずもがな、鳥類にカテゴライズされます。
すなわち、霊長類である人類に鳥インフルエンザの影響を及ぼす恐れがあるかもしれません。
背中に戦慄がズバと駆け抜けました。
自分や両親が鳥インフルエンザにかかって、
死ぬかもしれないと思ったからです
実際にテレビの中のキャスターも口にしていたように記憶しています。
「鳥インフルエンザで、83歳のご老人が大往生」と
殺される…。
私は我慢できませんでした。
カッターナイフを緑のお道具箱から取り出し、
チキチキと音を立てて刃を4センチほど上げます。
鳥籠へ向って真っ直ぐ、一歩一歩脚を運びます。
動揺などしていませんでした。
死にたくない。ならばろんちゃんを殺めるしかない。
それ以外の思考など私には全く思い浮かびませんでした。
ろんちゃんは木の枝にとまって、毛づくろいをしていました。
幸いにして彼女の位置は籠の網そぐ傍。
頭を狙った、と思った瞬間にはもうカッターナイフの刃は彼女の脳天に突き刺さっていました。
そのままぐじゅぐじゅとカッターナイフを回転させました。
どぷどぷと垂れ流される緑色の液体と血液。
私はそのままろんちゃんを一刀両断しようと勃然と思い、
満身の力を込めて縦に刃を振り下ろしました。
縦に割れたろんちゃんの残骸から、ひくひくと痙攣する内臓が見えました。
鳥籠をあけ、内臓をメッタ刺しにしました。
狂気。
確かに私は気が触れていたのかもしれません。
母が「やめなさい!」と叫んでも私は決して内臓を切り刻むのをやめませんでしたし、後ろから押さえつけられてもじたばたと抵抗し、死骸の内臓を刺しに刺していました。
結局私が死骸への冒涜をやめたのは、
父が拳骨で力の限りに私の頭部を殴りつけ、気を失ったからです。
今思えば、馬鹿げた行動だと思います。
しかし、鳥インフルエンザのニュースを聴いた時、
確かに思ったんです。
「ろんちゃんは、敵だ。」と。
報告は以上です。
情報が全て。
現代社会に生きる我々にとってそれは一面の真理であります。
しかし人の生き方・信念までをも情報に委ねてしまうようでは、
人間らしさの欠如と言われても仕方がないでしょう。
正しい人間と情報との付き合い方とは?
今、まさにそれが問われている。
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言わずもがな、
報告は捏造です。悪しからず。
品格ってなんやの?と愚考。
2007年1月21日 エッセイ コメント (3)ほぼ毎回この日記には下品な表現
具体的に言えば
まんことかチンコとか陰茎とかクリトリスとか菊門だとか、アナルとか牛乳浣腸とかオナニー・手淫・自涜、
まあそういった単語が出てくるのですが、
今思えば狂気とでもいいましょうか、
気の触れた行動だとしか思えません。
というのも昨日。
ピンピンとDNのブログをランダムジャンプしつつ、
人様のお書きになられた日記をテロテロと拝見させていただいたのですが、
どのブログにも上述したような卑猥・邪淫なワードなど存在せず
何と言いますか、
読んでいて安心できたのであります。
というのも、
淫猥な表現はやはり何と言いますか、
下衆ですし、品がないですし、そういうのって人間としてどうなん?大丈夫なん?という所に直結しますよね、常識的に考えて。
僕はそういった品の欠けた表現が好きで、
まあ、認めたくはないけどたぶん品のない人間なのだと思う。
実際に、人前でオナニーをぶちかましたこともある。
むろん、きちんと射精まで達した。
そんな人間に品がある、とは流石に言えないだろう。
でもここまでズズンと愚考してきてふと思ったのは、
品ってなんやの?ということ。
最近では国家の品格だとか派遣の品格だとか、
とにかく巷では「品(格)」ッチュー言葉が蔓延している。
品が何ナノかすら分かっておらず、
一人歩きしている感が否めない。
辞書によれば
その物から感じられるおごそかさ。品位。
という意味らしい。わけわからん。
とは言うものの、具体的には分からないが、
直感的には分かる。
直感的に分かるが、具体的に解らないという点で似たようなものに、「世間」という単語がある。
世間というのは決して具体的には分からないが、
人間が、特に日本人が住んでいる共同体においては確実に機能している。
良い面としてはそこに反抗心を持たず従属的になっていれば決して爪弾きにされず、生ぬるく浸かっている事ができることなど、まあ簡潔に言えば安心できるっちゅーことですかね。
反対によろしくない面としては、
世間を気にしなければならない。
という点ですかね。
宝くじとかいい例だと思う。
米国では宝くじの一等賞が当たれば、新聞に出て「やったよ!サイコーだよ!」と喜びを露わにするのがナチュラルであるそうだが、日本ではそんな事なく、
一等賞があたっても、コソコソ換金所に向い、
当たった事をおおっぴらにしようとしないであろう。
それは世間が五月蝿い、喧しいからだ。
具体的にどう喧騒が激しいかは、みなさんの想像にゆだねる。
だが問題はそこでなく、「こそこそしなければならないこと・大っぴらにしようとしても出来ない事。」だと思う。
品格から話しがずれたが、
とにかく実態が無い言葉なので、
どう解釈したらいいのか解らない、と僕は考えている。
だからちょっと具体的な側面から考えてみたい。
例えば人前でブンブン放屁するやつや、ゲップをゲーゲーするやつ、こういう人は品がないだろう。
他に高圧的ない人、食事のマナーが守れない人。
こう言う人たちにも、品はないと直感的に分かる。
そういう風に考えると、簡潔に品格を定義するならば
「人に不快感をあたえない、美しい作法をさす」
のではないか、と考える。
帰納的に考えてみるには具体例が少なすぎる、という私的もご尤もだが、まあ感覚的な定義なので許してほしい。(まあ帰納的推理自体が蓋然的な正確さしか持ち合わせていないのだけれども。)
僕の感覚的な品格の定義に従えば、
このブログは確かに、
「ちんこ・うんこ・マンコー!」」
と三段活用したりしているので、
品がないな、うん。
だって人に不快感を与える事もあるだろうし、
更に言うならば美しくない。
そりゃあ何を美しいかと思うかなんて、人それぞれ。みんな違ってみんないいのだけれども、ウンコを美しいと思う人はそういないのではないだろうか。
とはいうものの、
まあ、ここは選択した人しか来れないわけで、
まあ偶然に検索などできたって人も少なくないだろうけど、
それにしても検索の履歴をみてみると、
「綾瀬はるか 乳首 色」
「男性 肉棒 写真」
「ガチホモ」
「篠原涼子 おっぱい」
「オワタ!」
「人前で射精」
だとかまあそういう旨のゲスワードが並んでいるわけで、
そんなに問題ないかな、と思います!
これからも品のない下衆ブログですが、
どうぞ、よろしくお願いしゃーす!!
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具体的に言えば
まんことかチンコとか陰茎とかクリトリスとか菊門だとか、アナルとか牛乳浣腸とかオナニー・手淫・自涜、
まあそういった単語が出てくるのですが、
今思えば狂気とでもいいましょうか、
気の触れた行動だとしか思えません。
というのも昨日。
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どのブログにも上述したような卑猥・邪淫なワードなど存在せず
何と言いますか、
読んでいて安心できたのであります。
というのも、
淫猥な表現はやはり何と言いますか、
下衆ですし、品がないですし、そういうのって人間としてどうなん?大丈夫なん?という所に直結しますよね、常識的に考えて。
僕はそういった品の欠けた表現が好きで、
まあ、認めたくはないけどたぶん品のない人間なのだと思う。
実際に、人前でオナニーをぶちかましたこともある。
むろん、きちんと射精まで達した。
そんな人間に品がある、とは流石に言えないだろう。
でもここまでズズンと愚考してきてふと思ったのは、
品ってなんやの?ということ。
最近では国家の品格だとか派遣の品格だとか、
とにかく巷では「品(格)」ッチュー言葉が蔓延している。
品が何ナノかすら分かっておらず、
一人歩きしている感が否めない。
辞書によれば
その物から感じられるおごそかさ。品位。
という意味らしい。わけわからん。
とは言うものの、具体的には分からないが、
直感的には分かる。
直感的に分かるが、具体的に解らないという点で似たようなものに、「世間」という単語がある。
世間というのは決して具体的には分からないが、
人間が、特に日本人が住んでいる共同体においては確実に機能している。
良い面としてはそこに反抗心を持たず従属的になっていれば決して爪弾きにされず、生ぬるく浸かっている事ができることなど、まあ簡潔に言えば安心できるっちゅーことですかね。
反対によろしくない面としては、
世間を気にしなければならない。
という点ですかね。
宝くじとかいい例だと思う。
米国では宝くじの一等賞が当たれば、新聞に出て「やったよ!サイコーだよ!」と喜びを露わにするのがナチュラルであるそうだが、日本ではそんな事なく、
一等賞があたっても、コソコソ換金所に向い、
当たった事をおおっぴらにしようとしないであろう。
それは世間が五月蝿い、喧しいからだ。
具体的にどう喧騒が激しいかは、みなさんの想像にゆだねる。
だが問題はそこでなく、「こそこそしなければならないこと・大っぴらにしようとしても出来ない事。」だと思う。
品格から話しがずれたが、
とにかく実態が無い言葉なので、
どう解釈したらいいのか解らない、と僕は考えている。
だからちょっと具体的な側面から考えてみたい。
例えば人前でブンブン放屁するやつや、ゲップをゲーゲーするやつ、こういう人は品がないだろう。
他に高圧的ない人、食事のマナーが守れない人。
こう言う人たちにも、品はないと直感的に分かる。
そういう風に考えると、簡潔に品格を定義するならば
「人に不快感をあたえない、美しい作法をさす」
のではないか、と考える。
帰納的に考えてみるには具体例が少なすぎる、という私的もご尤もだが、まあ感覚的な定義なので許してほしい。(まあ帰納的推理自体が蓋然的な正確さしか持ち合わせていないのだけれども。)
僕の感覚的な品格の定義に従えば、
このブログは確かに、
「ちんこ・うんこ・マンコー!」」
と三段活用したりしているので、
品がないな、うん。
だって人に不快感を与える事もあるだろうし、
更に言うならば美しくない。
そりゃあ何を美しいかと思うかなんて、人それぞれ。みんな違ってみんないいのだけれども、ウンコを美しいと思う人はそういないのではないだろうか。
とはいうものの、
まあ、ここは選択した人しか来れないわけで、
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「男性 肉棒 写真」
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ポーズだけの飲み物。
2007年1月18日 エッセイ珈琲というのは胃に悪い飲み物で、
一度、UCCの冷珈琲を喫煙しながら1リットル程がぶ飲みしたことがあるのだが、
翌日、胃がキリキリして、冷や汗が出ほどに苦しんだ経験がある。
それ以来珈琲を飲むと胃にキリリとした痛みが走るようになってしまい、今や珈琲を飲めない体質になってしまった。
だが。
季節は木枯らし巻き起こる厳寒。
温かい飲料が恋しくなる。
かつての僕ならばHOT珈琲を自販機等で購入し、
それをグイと飲み身体を温める、ということを行っていたのであるが、
今の自分にそれは実行不能のため、
はてさて如何にしてバディーをホットにしようかな、
と考えたところ、
やはり飲み物がいいよね、肉マンに喰らい付くのも見栄えが悪いし。と考え、じゃあ、何を飲んでこましたろ、と思案した所、
ここはいっちょ紅茶でも飲んでみようかな、なんか上品やし、うん。とひとり納得し、
早速に自販機に駆け付けて牛乳紅茶を購入。
グビと飲んでみて、
予想に反して
「こいつあ、ウマイ!」
とひとり事を零してしまった。
今まで僕にとって
紅茶はカッコつけた軟弱者の、ポーズだけの飲みものだと信じており、
自分は決して上品な西洋人ぶりたくたくなかったので、
おっさんが好きな珈琲だとか、心落ち着く日本茶などを自分の生涯においては多飲するだとう、と半ば確信に似た予測があったのだが、
その予測は完全にハズれ
今では紅茶のティーバッグを買うほどの紅茶好きになってしまったのは、
なんと因果なことかなあ、と思わずにはいられない。
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一度、UCCの冷珈琲を喫煙しながら1リットル程がぶ飲みしたことがあるのだが、
翌日、胃がキリキリして、冷や汗が出ほどに苦しんだ経験がある。
それ以来珈琲を飲むと胃にキリリとした痛みが走るようになってしまい、今や珈琲を飲めない体質になってしまった。
だが。
季節は木枯らし巻き起こる厳寒。
温かい飲料が恋しくなる。
かつての僕ならばHOT珈琲を自販機等で購入し、
それをグイと飲み身体を温める、ということを行っていたのであるが、
今の自分にそれは実行不能のため、
はてさて如何にしてバディーをホットにしようかな、
と考えたところ、
やはり飲み物がいいよね、肉マンに喰らい付くのも見栄えが悪いし。と考え、じゃあ、何を飲んでこましたろ、と思案した所、
ここはいっちょ紅茶でも飲んでみようかな、なんか上品やし、うん。とひとり納得し、
早速に自販機に駆け付けて牛乳紅茶を購入。
グビと飲んでみて、
予想に反して
「こいつあ、ウマイ!」
とひとり事を零してしまった。
今まで僕にとって
紅茶はカッコつけた軟弱者の、ポーズだけの飲みものだと信じており、
自分は決して上品な西洋人ぶりたくたくなかったので、
おっさんが好きな珈琲だとか、心落ち着く日本茶などを自分の生涯においては多飲するだとう、と半ば確信に似た予測があったのだが、
その予測は完全にハズれ
今では紅茶のティーバッグを買うほどの紅茶好きになってしまったのは、
なんと因果なことかなあ、と思わずにはいられない。
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やあ、元気?
おはようございます!
雨がひどいね。
うんうん分かる分かる。
唇が、喋っている。
実感のない、実体のない、言葉たち。
デクノボウが、いっぱい。
なーんてね、えーえー、
そんなこと言ってもしゃあないですわ!
俺ってば陰気な性格だからよく上述したようなことを思ったりするんだけど、
はっきり言って、しょうもないことですよ、そんなこと。
というのも、
意味がないとか理屈が合わないとか考えたところで、
結局、社会に薄っぺらい挨拶とか、慰めの言葉は必要不可欠で、
というのも例えば
長年あってなかった旧友に道端で偶然に出会い、
挨拶もなくいきなりに唐突に
「俺、離婚…したんだ…。」
と神妙極まる顔で言われると、
当然の如く、
(いきなり!なんだね、君は!
前置き!そう、例えば挨拶、世間話等をして、その場をまずは和ませ、二人の心的距離を縮め、
次に、ちょっと、重い話しになるけどいいかな?
なんて釘を刺し、相手に心の準備をさせ、
そのあとにズバンと本題を切り出す、
というふうにしてくれないと、
こっちもいきなりそんなこと言われて、
当惑、周章狼狽しちまうじゃねえか、このトンチンキが!)
と内心に狂ったような文句を並べなければならんことになる。
そういうのは人々の精神衛生上よろしくないから、
やっぱり口もとだけの挨拶や慰め、世間話もあながちなかなかどうして無駄じゃないんじゃないかなあ、それ自体に、意味はないけど、と最近では思うようにしている。
ですから、最近心持はすこぶるええ調子。
どんな会話でもかかってこいや!
アザース!
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俺ってば陰気な性格だからよく上述したようなことを思ったりするんだけど、
はっきり言って、しょうもないことですよ、そんなこと。
というのも、
意味がないとか理屈が合わないとか考えたところで、
結局、社会に薄っぺらい挨拶とか、慰めの言葉は必要不可欠で、
というのも例えば
長年あってなかった旧友に道端で偶然に出会い、
挨拶もなくいきなりに唐突に
「俺、離婚…したんだ…。」
と神妙極まる顔で言われると、
当然の如く、
(いきなり!なんだね、君は!
前置き!そう、例えば挨拶、世間話等をして、その場をまずは和ませ、二人の心的距離を縮め、
次に、ちょっと、重い話しになるけどいいかな?
なんて釘を刺し、相手に心の準備をさせ、
そのあとにズバンと本題を切り出す、
というふうにしてくれないと、
こっちもいきなりそんなこと言われて、
当惑、周章狼狽しちまうじゃねえか、このトンチンキが!)
と内心に狂ったような文句を並べなければならんことになる。
そういうのは人々の精神衛生上よろしくないから、
やっぱり口もとだけの挨拶や慰め、世間話もあながちなかなかどうして無駄じゃないんじゃないかなあ、それ自体に、意味はないけど、と最近では思うようにしている。
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下ネタで思う事あれこれ。
2007年1月7日 エッセイ コメント (2)下品な表現が好きです。
特に卑猥な表現を、好みます。
私には一風変わった悪癖がありまして、
唐突に、所かまわず
「ちんこー」「まんこー」
などといった性器の名称を叫びたくなる衝動に駆られる事が、
恥ずかしながら、間々あります。
そして悪い事に、
その衝動を抑える事が出来ず、
食事中であろうが、道端であろうが、電車の中であろうが、
その単語をポンと口にしてしまう事が、あります。
無論、それは友人と共にいるときの、
おふざけとしての行動で、
一人でいる時には、そういったことは(殆ど)いたしません。
大晦日の夜のことでした。
私は地元の友人たちと鍋を囲い、
近況を報告しあったり、昔話に花を咲かせていました。
その談笑の途中、
私のいつもの発作が起こり、
「ちんこー」と絶叫したい衝動に駆られました。
その時はお酒も入っており、
テンションも常ならぬ高さになっており、
男性器の名称を口にしても許される、と思いました。
そして私は何の罪の意識も感じず、
「ちんこー」
と叫びました。
すると、何人かの友人たちはけらけらと笑いましたが(今思えば、苦笑だったのかもしれませんが。)ひとりの男が真顔で、
「食事中やけん、そういうことは言うなや。」
と私の眼をジッと見据えて、言いました。
その時の私の心境を正直に吐露しますと、
(こいつ、何をマジになっとんじゃ。)
という、全くもって邪な考えでした。
しかし、ちょっと考えてみると、その男の言い分は尤もで、
誰しもが下ネタや下品な表現を好むわけではありません。
「ちんこー」
ときき、生ナマしいペニスを思い起こせば、
なるほど気持ちも悪くなろうものです。
しかも、その時は丁度食事中で、
おいしい鍋を食べている途中に、
小汚い男性器なぞ想起したら、食欲も減退し、
不快になろうものです。
想像力が、欠如していました。
私は猛省し、金輪際、食事中に卑猥な単語は口が裂けても発しないようにしようと、心に固く誓いました。
そして、更に考えたのは、何故私は卑猥な単語や表現が好きなのか、ということです。
下ネタは便利です。
誰でも下の話しは内容を直感的に解する事ができるため、
つまり知識の下地があるため、分かりやすいのです。
しかし分かりやすいだけでは、笑いは起こりません。
不思議なのは、なぜかちんこやまんこやアナルといった単語には独特の面白味が含まれており、その単語を効果的に活用すれば、笑いが発生してしまうのです。
性器の神秘性、禁断性、そういった雰囲気を大っぴらにしてしまうことに面白さがあるのかもしれませんが、
私には分かりません。
ただ、分かるのはちんこやまんこやアナルといった単語には面白味があるという事実だけです。
私はズルイ人間なので、
そういった単語を有効に活用したりしなかったりして、
これまで笑いをかっさらってきました。
多分。
安心していたのだと思います。
ちんことかまんことか言っておけば、
相手は自ずと笑うであろう、と安心していたのだと思います。
卑怯な男です。
そして人を笑わせようとする意識の底には、
自分を認めてもらいたい、換言するならば、自分のユニークさを分かってもらいたい、という浅ましい考えがあります。
何も人を笑わせて場の雰囲気を良くしようといった考えが全く無いわけではありませんが、
安易に下ネタに走るあたり、
考えの薄さが垣間見えます。
そしてその笑いのベクトルは相手の方に向いている、というよりも自己に向いているのではないかと考えられます。
というのも当たり前ですが、
卑猥な表現と言うのは
基本的に人を選ぶものですが、
私の場合発作的に誰にでも
「ちんこー」「まんこー」「アヌスー」
といった単語を投げかける悪癖があり、
それは相手の事を第一に考えてはいないという証左に他ならないからです。
私が卑猥な表現を好むのは、
自己満足的な、独りよがりな笑いを欲していた為でした。
そこに意味を付け加える事も出来ます。
他人も喜んでいるのだから、それでいいではないか、とか、
人を気にするな。君は、君ではないか、とか、
まぁ理屈はどうにでもつけられます。
私は、意味など求めません。
ただ、独りよがりな笑いは、よろしくないなあ、と思うだけです。
だからと言って、身についてしまった悪癖が治るわけではないのでしょうが、せめてキチンと他人の事を考えて発言をしていきたいと思います。
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私には一風変わった悪癖がありまして、
唐突に、所かまわず
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などといった性器の名称を叫びたくなる衝動に駆られる事が、
恥ずかしながら、間々あります。
そして悪い事に、
その衝動を抑える事が出来ず、
食事中であろうが、道端であろうが、電車の中であろうが、
その単語をポンと口にしてしまう事が、あります。
無論、それは友人と共にいるときの、
おふざけとしての行動で、
一人でいる時には、そういったことは(殆ど)いたしません。
大晦日の夜のことでした。
私は地元の友人たちと鍋を囲い、
近況を報告しあったり、昔話に花を咲かせていました。
その談笑の途中、
私のいつもの発作が起こり、
「ちんこー」と絶叫したい衝動に駆られました。
その時はお酒も入っており、
テンションも常ならぬ高さになっており、
男性器の名称を口にしても許される、と思いました。
そして私は何の罪の意識も感じず、
「ちんこー」
と叫びました。
すると、何人かの友人たちはけらけらと笑いましたが(今思えば、苦笑だったのかもしれませんが。)ひとりの男が真顔で、
「食事中やけん、そういうことは言うなや。」
と私の眼をジッと見据えて、言いました。
その時の私の心境を正直に吐露しますと、
(こいつ、何をマジになっとんじゃ。)
という、全くもって邪な考えでした。
しかし、ちょっと考えてみると、その男の言い分は尤もで、
誰しもが下ネタや下品な表現を好むわけではありません。
「ちんこー」
ときき、生ナマしいペニスを思い起こせば、
なるほど気持ちも悪くなろうものです。
しかも、その時は丁度食事中で、
おいしい鍋を食べている途中に、
小汚い男性器なぞ想起したら、食欲も減退し、
不快になろうものです。
想像力が、欠如していました。
私は猛省し、金輪際、食事中に卑猥な単語は口が裂けても発しないようにしようと、心に固く誓いました。
そして、更に考えたのは、何故私は卑猥な単語や表現が好きなのか、ということです。
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つまり知識の下地があるため、分かりやすいのです。
しかし分かりやすいだけでは、笑いは起こりません。
不思議なのは、なぜかちんこやまんこやアナルといった単語には独特の面白味が含まれており、その単語を効果的に活用すれば、笑いが発生してしまうのです。
性器の神秘性、禁断性、そういった雰囲気を大っぴらにしてしまうことに面白さがあるのかもしれませんが、
私には分かりません。
ただ、分かるのはちんこやまんこやアナルといった単語には面白味があるという事実だけです。
私はズルイ人間なので、
そういった単語を有効に活用したりしなかったりして、
これまで笑いをかっさらってきました。
多分。
安心していたのだと思います。
ちんことかまんことか言っておけば、
相手は自ずと笑うであろう、と安心していたのだと思います。
卑怯な男です。
そして人を笑わせようとする意識の底には、
自分を認めてもらいたい、換言するならば、自分のユニークさを分かってもらいたい、という浅ましい考えがあります。
何も人を笑わせて場の雰囲気を良くしようといった考えが全く無いわけではありませんが、
安易に下ネタに走るあたり、
考えの薄さが垣間見えます。
そしてその笑いのベクトルは相手の方に向いている、というよりも自己に向いているのではないかと考えられます。
というのも当たり前ですが、
卑猥な表現と言うのは
基本的に人を選ぶものですが、
私の場合発作的に誰にでも
「ちんこー」「まんこー」「アヌスー」
といった単語を投げかける悪癖があり、
それは相手の事を第一に考えてはいないという証左に他ならないからです。
私が卑猥な表現を好むのは、
自己満足的な、独りよがりな笑いを欲していた為でした。
そこに意味を付け加える事も出来ます。
他人も喜んでいるのだから、それでいいではないか、とか、
人を気にするな。君は、君ではないか、とか、
まぁ理屈はどうにでもつけられます。
私は、意味など求めません。
ただ、独りよがりな笑いは、よろしくないなあ、と思うだけです。
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みなさんおいすー
タイトルにあるように、
本日はクリスマスレポちゅーのをやってみようかな、
と思います。
まぁ、色々ありすぎて、
何を書こうか迷っているのですが、
丁度私の友人のAKI氏が
その日(イブ)にあったことをサラリと書いてくださっているので、興味がある方はこちらからどうぞ↓
http://diarynote.jp/d/80721/20061227.html
さて、まぁ、このブログの読者はおそらくみなドのつく変態であると推測されますので、
今から書かれる驚異的な下ネタにもきっと眉一つ動かさず、
「それくらい、当然やんけ。」
と思われる事必至だと確信していますが、
万が一、
下ネタが駄目だとか、
下品なのは受け付けない、生理的に受け付けないの、とか
そういう綺麗事をぬかす人間は、
さっさとこのページを閉じ、
ヤフーキッズのページでもみてたらいいよ。
で本題ですが、
イブの夜、僕は二人の友人と家で酒を飲みながら、
べちゃべちゃ駄弁っていました。
主に良く出てきたフレーズとしましては、
「おちんちんビローン!!!」
「あびゃびゃびゃびゃ〜!!!」
「うっほっほーい!!!」
といった、極めて頭のよろしいものでした。
そんな頭のいい僕たちでしたが、
下半身は下等なソレなので、
私の「暇やから、AVでもみるか。」
という意見に満場一致。
おちんちんとか、おまんことか、
そういう高尚な単語を連呼していた僕たちにも、
休息は必要。
そんな気持ちを皆から感じながら、
DVDをセットし、鑑賞を始めた。
そのDVDは一年くらい観ていなかったものなので、
随分と新鮮に感じた。女優名は神谷沙織というらしい。
なかなかの美人である。
その神谷嬢が男と、KISSを始めた。
いい忘れていましたが、既に私の下半身は露わになっており、
陰茎丸出し。
そしてKISSが、
パイズリよりもフェラよりも本番のドセックスよりも昂奮する私は、不覚にも
男二人の前で勃起した。
そしてあろう事か、
手淫を始めた。
クリスマスイブの夜、
男二人の前で、AVを視して黙々と手淫する私。
二人も時折コソコソ話をするだけで、
ごくごく静かにしている。
多分彼らは、AVなんか観てなくて、
私のオナニーを観ていたのではないか。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
抜きたい。抜きたくりたい。
そんな衝動が体中から沸き起こり、
そしてそのエネルギーは私の左手の上下運動となり、
性器を刺激した。
刺激は確実に快感へと変換され、
それに伴って熱いものがこみ上げて来る。
神谷嬢が男優に脚をペロペロ舐められている。
いやらしい舌使いだ。
美しいほどに白い脚が、唾液でテロテロに汚されてゆく。
エロスとは、汚れなのか?
そう思った瞬間、全身が曖昧な快感に包まれ、
すぐさまそれは、陰茎へのそれとなった。
「ああ、イクゥゥゥ!!」
生暖かい粘液が、チッシュの中に放出される。
「ああああああ!!!」
イッた直後。
私は叫んでいた。
そう、叫んでいた。
なぜならイッた直後、私をいいようのない羞恥が襲い、
それを誤魔化したかったから。
なぜ、友達の前で、オナニーして、挙句の果てに、イってるんだ?
アホか!オレは!死にたい!
絶望した僕はDVDを音速で消し、すぐさま精液を包んだチッシュとズボンを持ってトイレに駆け込み、まずチッシュを便器に捨てて流し、
そのあと、ズボンを穿いた。
なんてことを…
なんてことを…
言葉にならない羞恥心。
人前で射精?
どう考えてもありえないだろ…。
という考えとは裏腹に、
「さすがオレ、別格の変態だ。」
という考えもあった。
そして、その肯定的な考えにに深く納得し、
自分を鼓舞した。
「射精一つでなにを恥ずかしがっとる。
今夜はクリスマスイブ!
みんな射精くらいしとるだろ!ガハハハハ!」
そう考えた私は、羞恥の鎖から解放された。
トイレから出た私は、
友人たちの好奇の目にも怯まず、
「ガハハハハ!トランプやろうぜ!トランプ!」
と積極的に遊びの提案…、
することなく、
膝を抱えて、「今は反省している。」
と言った。
皆も優しいので、
「ええよ、おもろかったし。」
「ぎゃはははは、イッた瞬間の顔がサイコーやったわ!」
とかいう言葉をかけてくれた。
普通の人間だったら確実に引く行動である、と確信していたので、
そのことばはありがたかったのだ。
ああ、こんな素晴らしい友人が私にはいるんだ、
まんざら、私の人生も悪いものではないな。
そんなクサイことを考えながら、
酒を飲んだり、トランプをしているうちに、
イブの夜は更けていった。
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暇ならワンクリックしていけばいいと思うYO。
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万が一、
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イブの夜、僕は二人の友人と家で酒を飲みながら、
べちゃべちゃ駄弁っていました。
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「あびゃびゃびゃびゃ〜!!!」
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そんな頭のいい僕たちでしたが、
下半身は下等なソレなので、
私の「暇やから、AVでもみるか。」
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おちんちんとか、おまんことか、
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休息は必要。
そんな気持ちを皆から感じながら、
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そのDVDは一年くらい観ていなかったものなので、
随分と新鮮に感じた。女優名は神谷沙織というらしい。
なかなかの美人である。
その神谷嬢が男と、KISSを始めた。
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そしてKISSが、
パイズリよりもフェラよりも本番のドセックスよりも昂奮する私は、不覚にも
男二人の前で勃起した。
そしてあろう事か、
手淫を始めた。
クリスマスイブの夜、
男二人の前で、AVを視して黙々と手淫する私。
二人も時折コソコソ話をするだけで、
ごくごく静かにしている。
多分彼らは、AVなんか観てなくて、
私のオナニーを観ていたのではないか。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
抜きたい。抜きたくりたい。
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美しいほどに白い脚が、唾液でテロテロに汚されてゆく。
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私は叫んでいた。
そう、叫んでいた。
なぜならイッた直後、私をいいようのない羞恥が襲い、
それを誤魔化したかったから。
なぜ、友達の前で、オナニーして、挙句の果てに、イってるんだ?
アホか!オレは!死にたい!
絶望した僕はDVDを音速で消し、すぐさま精液を包んだチッシュとズボンを持ってトイレに駆け込み、まずチッシュを便器に捨てて流し、
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なんてことを…
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人前で射精?
どう考えてもありえないだろ…。
という考えとは裏腹に、
「さすがオレ、別格の変態だ。」
という考えもあった。
そして、その肯定的な考えにに深く納得し、
自分を鼓舞した。
「射精一つでなにを恥ずかしがっとる。
今夜はクリスマスイブ!
みんな射精くらいしとるだろ!ガハハハハ!」
そう考えた私は、羞恥の鎖から解放された。
トイレから出た私は、
友人たちの好奇の目にも怯まず、
「ガハハハハ!トランプやろうぜ!トランプ!」
と積極的に遊びの提案…、
することなく、
膝を抱えて、「今は反省している。」
と言った。
皆も優しいので、
「ええよ、おもろかったし。」
「ぎゃはははは、イッた瞬間の顔がサイコーやったわ!」
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普通の人間だったら確実に引く行動である、と確信していたので、
そのことばはありがたかったのだ。
ああ、こんな素晴らしい友人が私にはいるんだ、
まんざら、私の人生も悪いものではないな。
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イブの夜は更けていった。
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これっくらいの♪お弁当箱に♪
2006年12月23日 エッセイ コメント (2)これっくらいの!
おべんっと箱に!
おにぎりおにぎり、ちょいと詰めてぇ!
この歌が頭からはなれない。
どうでもいいですね。
さて今日はクリスマスイブイブです。
世間のブログでは日本人がクリスマスを祝うのはちゃんちゃらおかしいとか、まぁそういった呪詛を臆面もなく撒き散らしているわけですが、
僕はそういった次元は超越し、
いつもとなんら変わる事のない一日、
自分の人生における、大事な一日であり、
全ての日々はそれ以上の意味を持たない、という考えの持ち主なので、恋人がいないクリスマスだって全然平気。
起床し、オナニーをして、昼ごはんを食べて、ウンコして、
2chを楽しんで、ブログ書いて、オナニーして、
晩ご飯食べて、2chで釣りをして、屁をこいて、
最終的にまたオナニーして、床につく。
といった日々の雑務をこなし、クリスマスイブであろうが元旦であろうが心穏やかに過ごしたい。今の僕はそういう気概です!
そういう気概だったのですが、
突如として友人から、
本日の夜から明日の明朝にかけ、
楽しみに満ちた時を共に過ごそうという
ありがたいお言葉をいただき、
更に明日は夕方からも、
これは先ほどお誘いを頂いた友人の方々とは無関係の友人からですが、
鍋でも囲みながら、
孤独を分け合おうじゃあないか、
という話になり、拙宅で鍋パーチーという若者らしい催しが開催される事となりました。
僕という陰気で偏屈でド変態の人間と共に同じ時を過ごしてくださる友人たちに感謝の念を隠しきれません。
そしてたぶん、
陰茎やアヌスも隠しきれません。
酩酊した挙句、
自らの汚いケツを友人の顔に突き付け、
「刮目せんかい!わしのアナルに刮目せんかい!!」
といった暴言を吐く自分の姿がありありと想起できます。
そんなクリスマスイブも悪くない。決して悪くない…。
そう思いながら、本日の日記を終えたいと思います。
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押して下さったら、主に僕のやる気が出ます。
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僕はそういった次元は超越し、
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全ての日々はそれ以上の意味を持たない、という考えの持ち主なので、恋人がいないクリスマスだって全然平気。
起床し、オナニーをして、昼ごはんを食べて、ウンコして、
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最終的にまたオナニーして、床につく。
といった日々の雑務をこなし、クリスマスイブであろうが元旦であろうが心穏やかに過ごしたい。今の僕はそういう気概です!
そういう気概だったのですが、
突如として友人から、
本日の夜から明日の明朝にかけ、
楽しみに満ちた時を共に過ごそうという
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これは先ほどお誘いを頂いた友人の方々とは無関係の友人からですが、
鍋でも囲みながら、
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そしてたぶん、
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自らの汚いケツを友人の顔に突き付け、
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押して下さったら、主に僕のやる気が出ます。
自分という人間は極めて怠惰である。
例えば。
自炊するのも面倒だから、
危険だと分かっていてもコンビニエンスストーで弁当を購入したり、掃除もたまーにしかしないし、朝もだらだらと二度寝したりする。
そんな怠惰な僕だが、
今の所コレといって持ち前の怠惰のせいでトラブル・騒動の類は起こした事はなかった。
そんな平和でのんびりとした暮らしを慎ましく送っていた僕であるが、最近、どことなく不快な心持がしていた。
眼が、チックチックするのだ。
たまに、視界が悪くなったりもする。黒く細い線が眼前に垂れ下がり、前方がよく見えないのだ。
だが、僕は怠惰なので、まぁどうでもええや、と思って、
のんびりとした生活を送っていた。
だが昨日、これは本格的に危険だな、と認知してしまった。
夜の11時位だろうか。
僕は行く当てもなく、プラプラと屁をこきながら散歩していた。
もちろん、視界の調子は相変わらず悪い。よく前が見えない。
まぁええか、そんな小さな事。と思いながら散歩していたのだが、突如にしてプップー!!という音が聞こえた。
何事だ!一揆か!
この飽食の時代に、打ち壊しでも起こったのか!
と慄然したのだが、そんなことは勿論なく、
自動車が僕の眼の前まで迫ってきていた。
やばい、主に僕の命がやばい!
そう確信した僕は横側に、ひょいっと反復横飛びの要領で跳躍し、
自動車の突進から身を軽やかにかわした。
自動車の運転手は、
横に逸れた僕を通り過ぎるとき、
「ちゃんと前みて歩け!」
と罵倒して、そのままブロロローンと去って行った。
僕はその罵倒を真っ当な意見だ。と真摯に受け止め、
眼前の見通しを悪化させしめる髪の毛を、カットしてやろう。そうしよう。と決意した。
だが時すでに23時。
美容院もさすがに閉店しているだろう、
と推測し、その日はおとなしく帰路についた。
翌日。
勇躍。ドアを勢いよく開け放ち、
美容院へと向った。
時既に夕方の6時。
だらだら本読んだり音楽をリッスンしていたりしたら、
何故かはよく分からないけど、日は傾いていた。
だがそんなことはどうでもよろしい。
大事なのは目的地に向う意志。
間違いなく俺はあの時意志と体が同化していた。
そのくらい、俺は断髪への思いが強かった。
たのもー!
我はそう言い、美容室のこじゃれたドアーをオープンした。
いらっしゃいませー。
次々に店員が朕に挨拶をする。
やはり、目的意識を持った男は輝くもなのだな、
近頃挨拶などされた事もなかったが、
こうやって目的意識を持ち、それを躊躇なく実行している今の朕には皆がこぞって挨拶してくる。
これが、オーラってやつなんだね、そう深く得心していたら、
美容師に鏡台の前に導かれ、髪型に関しての質問を幾つかされた。
僕は「えーと、まぁ、なんというか、はい、一任します。」
とシドロモドロになりながら答えた。
美容師も心得たもので「わかりました。」と言い、
そのままジョックジョックと断髪を始め、
あっと言う間にカットは終了した。なんてことなく、
本当にあっという間だった。
鏡に映る自分の前髪の長さは、
20分ほど前の自分のそれに比して、なるほど、短くなっていた。
よかった。よかった。これでクラクションを鳴らされる必要もないぜ、と内心嬉々としていたのであるが、
美容師の話によればまだ作業は終わっておらず、髪をシャンプーしたりするらしい。
なるほど、どんどんやってくれ、どんどん洗髪して下され、一任する。そう思った僕は美容師にされるがまま髪と頭皮をゴシゴシと洗浄された。
洗髪が終わり、よし、ご苦労、我は帰宅するよ。
と言おうとしたのだが、美容師は僕がそう言うより早く、
「ドライヤーで髪を乾かしますね。」
と言った。
もっともな意見だ。
そういえば、髪の毛はヌレヌレまんこみたいになっている。
一刻も早く乾燥させたい、この髪の毛を。
というのもこのまま界隈に飛び出せば、きっと白い目で見られることは確実だからだ。
「雨も降ってないのに、なんであの人髪の毛グショ濡れなの?
もしかして不審者!?け、け、警察に110番よ!」と買い物帰りの主婦に邪推され、そんでそのまま補導される自分を思い浮かべながら、それはいやんいやん、と思った僕は、美容師にされるがまま乾燥させられていた。
乾燥工程も無事、怪我もなく終わり、
よし、帰ろう我が家へ。
と思ったのだが、美容師は何食わぬ顔で按摩(マッサージ)を始めた。
お、俺は家へ帰りたいんじゃー!引き篭もりたいんじゃー!
とも言えず、黙って按摩をしてもらっていた。
始めはなにやら怪しげなスプレーを頭皮に噴射された。
やけにスースーした。
禿げてるな、今…。
無念だったが、黙って唇を噛んで我慢した。
美容師に禿げスプレーを噴射するな、と抗議したところで、
逆ギレされて更に噴射させられたら終わりだ。
触らぬ神に祟りなし。
そう思っていたら、美容師は軽やかな指さばきで頭皮をマッサージし始めた。
スースーするのが、頭皮の奥へと伝わってゆく。
だめ、禿げ薬が浸透する!
そう懸念したが、男は我慢。
マッサージの心地よさにも負けて、
ボサッとマッサージを受けていた。
頭皮への刺激を終えた美容師は今度は肩を揉み始めた。
今度は禿げスプレーを噴きかけられることもなく、
ごくごく自然に揉まれた。チンコを揉む要領で揉まれた。
肩揉みも悪くないね、そう思ってリラックス・弛緩していたのだが、何を思ったか美容師は揉むのをやめ、肩をグーで殴打しはじめた。
殴打と言ってもソフトタッチの、丁度始めて女性のおっぱいに触れる男のようなソフトタッチの殴打であったが、
揉まれるのが好きな僕は少し納得がいかなかったが、
まぁ、文句を言うのも男らしくないよね、うん。と言い聞かせ、肩への殴打を受け続けた。
それまでよかったのだが、
イキナリにして、座っていた椅子が上下に動き始めた。
皆さんご存知でしょうが、
美容室の椅子は客の背に合わせられるよう、上下にスライドします。
で、スライドさせしめるその調節器は、
美容師が足で踏んづけて操作するんですね。
で、この美容師ときたら
肩叩きに興が乗ったのか、
まるでポップス音楽を聴く若者みたいに、
足元にある椅子の座高調節器をトントンと踏んづけながら
肩たたきをし始めた。
僕は上下にゆらゆら揺れ、
美容師はリズムに乗って肩叩き。
おわっ、おわっ、揺れてる!上下に揺れてる!
そう当惑した僕でしたが、
美容師があまりに気持ちよさそうに肩を叩いてらっしゃるので、
当惑を口に出す事もせず、黙って叩かれっぱなし。
そんなこんなで全工程が終わり、
僕は対価を支払い、街に出た。
先ほどの上下運動に少しばかり酔った自分。
道路の真ん中をへろへろ歩いていたら、
また自動車にクラクションを鳴らされた。
http://blog.with2.net/link.php?373700
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例えば。
自炊するのも面倒だから、
危険だと分かっていてもコンビニエンスストーで弁当を購入したり、掃除もたまーにしかしないし、朝もだらだらと二度寝したりする。
そんな怠惰な僕だが、
今の所コレといって持ち前の怠惰のせいでトラブル・騒動の類は起こした事はなかった。
そんな平和でのんびりとした暮らしを慎ましく送っていた僕であるが、最近、どことなく不快な心持がしていた。
眼が、チックチックするのだ。
たまに、視界が悪くなったりもする。黒く細い線が眼前に垂れ下がり、前方がよく見えないのだ。
だが、僕は怠惰なので、まぁどうでもええや、と思って、
のんびりとした生活を送っていた。
だが昨日、これは本格的に危険だな、と認知してしまった。
夜の11時位だろうか。
僕は行く当てもなく、プラプラと屁をこきながら散歩していた。
もちろん、視界の調子は相変わらず悪い。よく前が見えない。
まぁええか、そんな小さな事。と思いながら散歩していたのだが、突如にしてプップー!!という音が聞こえた。
何事だ!一揆か!
この飽食の時代に、打ち壊しでも起こったのか!
と慄然したのだが、そんなことは勿論なく、
自動車が僕の眼の前まで迫ってきていた。
やばい、主に僕の命がやばい!
そう確信した僕は横側に、ひょいっと反復横飛びの要領で跳躍し、
自動車の突進から身を軽やかにかわした。
自動車の運転手は、
横に逸れた僕を通り過ぎるとき、
「ちゃんと前みて歩け!」
と罵倒して、そのままブロロローンと去って行った。
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だが時すでに23時。
美容院もさすがに閉店しているだろう、
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翌日。
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美容院へと向った。
時既に夕方の6時。
だらだら本読んだり音楽をリッスンしていたりしたら、
何故かはよく分からないけど、日は傾いていた。
だがそんなことはどうでもよろしい。
大事なのは目的地に向う意志。
間違いなく俺はあの時意志と体が同化していた。
そのくらい、俺は断髪への思いが強かった。
たのもー!
我はそう言い、美容室のこじゃれたドアーをオープンした。
いらっしゃいませー。
次々に店員が朕に挨拶をする。
やはり、目的意識を持った男は輝くもなのだな、
近頃挨拶などされた事もなかったが、
こうやって目的意識を持ち、それを躊躇なく実行している今の朕には皆がこぞって挨拶してくる。
これが、オーラってやつなんだね、そう深く得心していたら、
美容師に鏡台の前に導かれ、髪型に関しての質問を幾つかされた。
僕は「えーと、まぁ、なんというか、はい、一任します。」
とシドロモドロになりながら答えた。
美容師も心得たもので「わかりました。」と言い、
そのままジョックジョックと断髪を始め、
あっと言う間にカットは終了した。なんてことなく、
本当にあっという間だった。
鏡に映る自分の前髪の長さは、
20分ほど前の自分のそれに比して、なるほど、短くなっていた。
よかった。よかった。これでクラクションを鳴らされる必要もないぜ、と内心嬉々としていたのであるが、
美容師の話によればまだ作業は終わっておらず、髪をシャンプーしたりするらしい。
なるほど、どんどんやってくれ、どんどん洗髪して下され、一任する。そう思った僕は美容師にされるがまま髪と頭皮をゴシゴシと洗浄された。
洗髪が終わり、よし、ご苦労、我は帰宅するよ。
と言おうとしたのだが、美容師は僕がそう言うより早く、
「ドライヤーで髪を乾かしますね。」
と言った。
もっともな意見だ。
そういえば、髪の毛はヌレヌレまんこみたいになっている。
一刻も早く乾燥させたい、この髪の毛を。
というのもこのまま界隈に飛び出せば、きっと白い目で見られることは確実だからだ。
「雨も降ってないのに、なんであの人髪の毛グショ濡れなの?
もしかして不審者!?け、け、警察に110番よ!」と買い物帰りの主婦に邪推され、そんでそのまま補導される自分を思い浮かべながら、それはいやんいやん、と思った僕は、美容師にされるがまま乾燥させられていた。
乾燥工程も無事、怪我もなく終わり、
よし、帰ろう我が家へ。
と思ったのだが、美容師は何食わぬ顔で按摩(マッサージ)を始めた。
お、俺は家へ帰りたいんじゃー!引き篭もりたいんじゃー!
とも言えず、黙って按摩をしてもらっていた。
始めはなにやら怪しげなスプレーを頭皮に噴射された。
やけにスースーした。
禿げてるな、今…。
無念だったが、黙って唇を噛んで我慢した。
美容師に禿げスプレーを噴射するな、と抗議したところで、
逆ギレされて更に噴射させられたら終わりだ。
触らぬ神に祟りなし。
そう思っていたら、美容師は軽やかな指さばきで頭皮をマッサージし始めた。
スースーするのが、頭皮の奥へと伝わってゆく。
だめ、禿げ薬が浸透する!
そう懸念したが、男は我慢。
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頭皮への刺激を終えた美容師は今度は肩を揉み始めた。
今度は禿げスプレーを噴きかけられることもなく、
ごくごく自然に揉まれた。チンコを揉む要領で揉まれた。
肩揉みも悪くないね、そう思ってリラックス・弛緩していたのだが、何を思ったか美容師は揉むのをやめ、肩をグーで殴打しはじめた。
殴打と言ってもソフトタッチの、丁度始めて女性のおっぱいに触れる男のようなソフトタッチの殴打であったが、
揉まれるのが好きな僕は少し納得がいかなかったが、
まぁ、文句を言うのも男らしくないよね、うん。と言い聞かせ、肩への殴打を受け続けた。
それまでよかったのだが、
イキナリにして、座っていた椅子が上下に動き始めた。
皆さんご存知でしょうが、
美容室の椅子は客の背に合わせられるよう、上下にスライドします。
で、スライドさせしめるその調節器は、
美容師が足で踏んづけて操作するんですね。
で、この美容師ときたら
肩叩きに興が乗ったのか、
まるでポップス音楽を聴く若者みたいに、
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肩たたきをし始めた。
僕は上下にゆらゆら揺れ、
美容師はリズムに乗って肩叩き。
おわっ、おわっ、揺れてる!上下に揺れてる!
そう当惑した僕でしたが、
美容師があまりに気持ちよさそうに肩を叩いてらっしゃるので、
当惑を口に出す事もせず、黙って叩かれっぱなし。
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読め・聴け・観ろのマインド
2006年12月21日 エッセイ コメント (3)実はわたし、こう見えてなかなかどうして読書が好きだったり、音楽をリッスンするのが好きだったり、映画を鑑賞するのが好きだったりするんですよね。オナニーも大好きですけど。
で、当然の如く感動する作品に出会ったりするわけです。
そんで、思うんですよね。
ああ、レビュー書きたい、そして世の中の皆様にこの作品の素晴らしさを教えたい!って。
でも、ふと思うんですよ。
「世の皆さんが、俺が興味を持っている作品に、必ずしも興味なんか抱くわけないよね…。」って。
当たり前の話で、例えば、僕はモーニング娘。ってグループには正味な話、興味がないんですね。それは別に嫌ってる、とかそういうう次元の話ではなくて、ただ純粋に、このグループの音楽を聴こう、って気になれないのです。そしてその思いは、例えブログやサイトなどでレビューを読もうが、変わる事はないなぁ、と確信に近い思いもあります。
そういう思い(誰もモーニング娘。を聴かない、っつー話ではないですよ。)は誰しも持っているはずです。
まぁ、興味を抱かせるように、面白おかしく書かれていれば読むよ、というのはご尤もな論理ではありますが、
それはある視点が抜けてるんですね。
それは、初心者にむけてのテキストか、熟練者に向けてのそれか、という視点です。
当たり前ですが、初心者ってーのは無知で、
右も左もわかりません。
翻って、熟練者ってーのは、
右も左も上も下も完璧で、眠たいこと書いてたらしばくぞ、って気概ですよね、往々にして。
ですから、面白く書こうにも、対象が定まらない場合、
まず、文を書こうにも、書きようがないんですね。
もちろん、初心者用のページ、熟練者用のページと、
まぁ雰囲気でわかるものなのですが、
このブログの在り方として、来て下さった人全員がサティスファクションを得ればいいなぁ、なぞと思っておりますので、
人を選ぶような事はしたくありません。
そういう風に徒然と考えていたのですが、やっぱりどうも気にかかる根本の思いは「エゴ」なのかな、と思います。
以下、少し過激な事を書きますが、
レビューってのは、必ずそうであるわけではありませんが、
往々にして「俺がいいと思ってるんだ!お前もそう思うだろ!な!」
みたいなマインドがあると思うんですよ。
繰り返しますが、全員がそうであるとは言いません。
ただ、押し付けの感情ってのはあってもゴク自然。 ナチュラル。と言いたい。
白状しますが、少なくとも僕はレビューを書く時、
押しつけマインドを持っています。
読めよ、聴けよ、観ろよ、のマインドを持って書いています。
だって、そう思うからこそ、レビューを書くわけで。
当然の話ですけど、他人に読んでもらいたいから、本のれびゅーを書くのって、一般的な動機ですよね。
それで、僕はその読めよ・聴けよ・観ろよ、というマインドを発する自分がどうもこう、浅ましくて嫌になるんですね。
まぁそりゃあわよくば興味を抱いてもらえればコレ幸い、別に興味を持ってもらわなくとも結構でございます、
と思わない事もないのですが、
どうしても他人は自分の素晴らしいと思ったものに無条件で素晴らしい、と思うに違いない、という馬鹿げた考えも在り、自分でもいやんいやんと思ってしまうのです。
自分はまだまだ未熟で餓鬼だなぁ、
と思わずにはいられない、昼下がりの午後。
http://blog.with2.net/link.php?373700
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押して下さったら、主に僕のやる気が出ます。
で、当然の如く感動する作品に出会ったりするわけです。
そんで、思うんですよね。
ああ、レビュー書きたい、そして世の中の皆様にこの作品の素晴らしさを教えたい!って。
でも、ふと思うんですよ。
「世の皆さんが、俺が興味を持っている作品に、必ずしも興味なんか抱くわけないよね…。」って。
当たり前の話で、例えば、僕はモーニング娘。ってグループには正味な話、興味がないんですね。それは別に嫌ってる、とかそういうう次元の話ではなくて、ただ純粋に、このグループの音楽を聴こう、って気になれないのです。そしてその思いは、例えブログやサイトなどでレビューを読もうが、変わる事はないなぁ、と確信に近い思いもあります。
そういう思い(誰もモーニング娘。を聴かない、っつー話ではないですよ。)は誰しも持っているはずです。
まぁ、興味を抱かせるように、面白おかしく書かれていれば読むよ、というのはご尤もな論理ではありますが、
それはある視点が抜けてるんですね。
それは、初心者にむけてのテキストか、熟練者に向けてのそれか、という視点です。
当たり前ですが、初心者ってーのは無知で、
右も左もわかりません。
翻って、熟練者ってーのは、
右も左も上も下も完璧で、眠たいこと書いてたらしばくぞ、って気概ですよね、往々にして。
ですから、面白く書こうにも、対象が定まらない場合、
まず、文を書こうにも、書きようがないんですね。
もちろん、初心者用のページ、熟練者用のページと、
まぁ雰囲気でわかるものなのですが、
このブログの在り方として、来て下さった人全員がサティスファクションを得ればいいなぁ、なぞと思っておりますので、
人を選ぶような事はしたくありません。
そういう風に徒然と考えていたのですが、やっぱりどうも気にかかる根本の思いは「エゴ」なのかな、と思います。
以下、少し過激な事を書きますが、
レビューってのは、必ずそうであるわけではありませんが、
往々にして「俺がいいと思ってるんだ!お前もそう思うだろ!な!」
みたいなマインドがあると思うんですよ。
繰り返しますが、全員がそうであるとは言いません。
ただ、押し付けの感情ってのはあってもゴク自然。 ナチュラル。と言いたい。
白状しますが、少なくとも僕はレビューを書く時、
押しつけマインドを持っています。
読めよ、聴けよ、観ろよ、のマインドを持って書いています。
だって、そう思うからこそ、レビューを書くわけで。
当然の話ですけど、他人に読んでもらいたいから、本のれびゅーを書くのって、一般的な動機ですよね。
それで、僕はその読めよ・聴けよ・観ろよ、というマインドを発する自分がどうもこう、浅ましくて嫌になるんですね。
まぁそりゃあわよくば興味を抱いてもらえればコレ幸い、別に興味を持ってもらわなくとも結構でございます、
と思わない事もないのですが、
どうしても他人は自分の素晴らしいと思ったものに無条件で素晴らしい、と思うに違いない、という馬鹿げた考えも在り、自分でもいやんいやんと思ってしまうのです。
自分はまだまだ未熟で餓鬼だなぁ、
と思わずにはいられない、昼下がりの午後。
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あなたのブログのタイトルを提案します。
2006年12月19日 エッセイ コメント (2)先日。
小生の悪友、AKI(20・ガチ童貞)から以下のような旨のコメントをいただいた。
「盛男へ。
いやぁ、なんかな、最近感じんのよ。激しいエモーションを。
まぁ、それだけやったら何ゆうとんか分からんと思うから説明するけれども、
ズバリ、ブログを始めたろ、っつーエモーション、コレね。
このエモーションをひしひしと感じんねん。
オナホより感じんねん。
で、俺も男や。
ここは一つブログの一つや二つ、バコバコ開設したろやないかい、と思いましてね。
思うたのはええのやけれども、わいは、はた、と困ったんやな、
タイトル、どないしてこましたろ?
てな。
で、5時間くらい悩んだんや。
勿論、休息という名のオナニーでインターバルをおきながら。
で、そうやって集中力が低下せぬよう、効率的に頭を回転させていたんやけれども、
全く、そう、ひとつもアイデーアが思いつかへんのや。
あー困った。困った。どないしたろ。
で、そうやって困り果てて絨毯の上を開脚前転しながら絶叫していた時、ピーン閃きましたんや。
盛男のアホに訊いてこましたろ、てな。
あいつは、正真正銘のキチガイやから、渋谷のスクランブル交差点でチンコ出すようなキチガイやから、
なんか強烈な、インパクト感溢れるタイトルを思いつくはずや!
我ながらなかなかイケてる感のあるアイデーアやと思うね、これ。
で、そこでや盛男はん。
ホント悪いねんけど、タイトルの候補でも考えてくれませんかね?
ええのあったら採用させてもらうわ。
ほな、頼むでー。」
コメントは、以上のような依頼でありました。(多少脚色しておりますが、内容は相違ありません。)
そしてこの依頼を読み、小生は
ぶっちゃけ「自分で考えたらええんちゃうの。」
と思ったのですが、まぁ悪友の頼みを断れるはずもなく、
「しゃあない、ネタとして書いて、日記にしてこましたる。」
と思った次第であります。
さてAKIのブログタイトルなのですが、名は体を表す、という言葉があるように、
彼のやらんとするところと、ピッタリフィットしたタイトルにせねばなりません。
例えば、チンコとかまんことかアヌスとかバイブとか牛乳浣腸とか亀甲縛りとかっていう単語が使われている、卑猥なブログがあるとしますよね、ここみたいに。
で、仮にそのブログのタイトルが、
「遠藤周作に捧ぐ・罪の系譜」
でしたら、こりゃもうわけわからん、っつーことになりますよね。
純粋無垢な女子中学生が、Yahooで遠藤周作を検索し、
でてきたページをテロテロ眺めていると、
「遠藤周作に捧ぐ・罪の系譜」
というサイトを発見し、遠藤周作の「海と毒薬」が大好きな彼女は、何か惹かれるものを感じ、そのサイトにインします。
そこで見たものは、
「駄目!!そんな、生きた穴子をおまんこに入れるなんて!」
「ぐふふふふふふ、ええじゃないですの、お嬢さん。
ヌルヌルして気持ちエエのよ、これ。」
そう言って魚谷(50・魚屋)は暴れる穴子を彼女の膣に捻じ込んだ。
「アヒューーン!」ビクビクッ!
彼女はそう言って激しく身をよじった。
「感じてるんだろ、ケツまで粘液が垂れてるぜ。」
「違う、感じてなんかない!絶対、穴子なんかで感じるわけないわ!でも、何なのかしら、この腹のそこから熱い衝動が沸きあがってくるのォォォォォォォオ!!」
「それが、感じてるってことなんですばい!!」
「アアアアアッ!!いい、穴子の口がツンツン奥を刺激するの!
ああ、ああ、アフーーン!」
そう叫び、彼女は涙を流しながら、エクスタシーに到達した。
彼女の名を、細木かずこと言った。若干、16歳の時の出来事だった。
たぶん、このテキストを読んだ文学少女はすぐさま魚屋に行ってイキのいい穴子を購入し、自宅で自分の膣に生きたソレを挿入することだろう。
そして性的な快感の素晴らしさを覚え、文学などほっぽりだし、売春に明け暮れ、最終的に
「穴子娘。」としてAV女優として鮮烈なデビューを果たす事になるはずだ。
話が逸れました。
つまり小生が主張したいのは、
内容にあわせたタイトルが好ましい、ちゅーことですね。
akiは、
ウンコとかみそくそとか阿部さんとかハッテンとか、
そういう単語をよく使うので、ブログでもそういう傾向となると推測します。
ですから、僕からのタイトルの提案として、
・くそみそテクニック2
・くそみそだらけのオナホール
・くそみそバイブはアナル用
・くそみそテク。ありとあらゆるテクニック
・おばあちゃんの知恵袋 〜困った時のくそみそテクニック〜
がいいな、と思います。
著作権フリーなので、ドシドシご活用ください。
参考 くそみそテクニック(先頭のtの前にhをいれる。18禁)ttp://uraden.hp.infoseek.co.jp/kusomiso.html
http://blog.with2.net/link.php?373700
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いやぁ、なんかな、最近感じんのよ。激しいエモーションを。
まぁ、それだけやったら何ゆうとんか分からんと思うから説明するけれども、
ズバリ、ブログを始めたろ、っつーエモーション、コレね。
このエモーションをひしひしと感じんねん。
オナホより感じんねん。
で、俺も男や。
ここは一つブログの一つや二つ、バコバコ開設したろやないかい、と思いましてね。
思うたのはええのやけれども、わいは、はた、と困ったんやな、
タイトル、どないしてこましたろ?
てな。
で、5時間くらい悩んだんや。
勿論、休息という名のオナニーでインターバルをおきながら。
で、そうやって集中力が低下せぬよう、効率的に頭を回転させていたんやけれども、
全く、そう、ひとつもアイデーアが思いつかへんのや。
あー困った。困った。どないしたろ。
で、そうやって困り果てて絨毯の上を開脚前転しながら絶叫していた時、ピーン閃きましたんや。
盛男のアホに訊いてこましたろ、てな。
あいつは、正真正銘のキチガイやから、渋谷のスクランブル交差点でチンコ出すようなキチガイやから、
なんか強烈な、インパクト感溢れるタイトルを思いつくはずや!
我ながらなかなかイケてる感のあるアイデーアやと思うね、これ。
で、そこでや盛男はん。
ホント悪いねんけど、タイトルの候補でも考えてくれませんかね?
ええのあったら採用させてもらうわ。
ほな、頼むでー。」
コメントは、以上のような依頼でありました。(多少脚色しておりますが、内容は相違ありません。)
そしてこの依頼を読み、小生は
ぶっちゃけ「自分で考えたらええんちゃうの。」
と思ったのですが、まぁ悪友の頼みを断れるはずもなく、
「しゃあない、ネタとして書いて、日記にしてこましたる。」
と思った次第であります。
さてAKIのブログタイトルなのですが、名は体を表す、という言葉があるように、
彼のやらんとするところと、ピッタリフィットしたタイトルにせねばなりません。
例えば、チンコとかまんことかアヌスとかバイブとか牛乳浣腸とか亀甲縛りとかっていう単語が使われている、卑猥なブログがあるとしますよね、ここみたいに。
で、仮にそのブログのタイトルが、
「遠藤周作に捧ぐ・罪の系譜」
でしたら、こりゃもうわけわからん、っつーことになりますよね。
純粋無垢な女子中学生が、Yahooで遠藤周作を検索し、
でてきたページをテロテロ眺めていると、
「遠藤周作に捧ぐ・罪の系譜」
というサイトを発見し、遠藤周作の「海と毒薬」が大好きな彼女は、何か惹かれるものを感じ、そのサイトにインします。
そこで見たものは、
「駄目!!そんな、生きた穴子をおまんこに入れるなんて!」
「ぐふふふふふふ、ええじゃないですの、お嬢さん。
ヌルヌルして気持ちエエのよ、これ。」
そう言って魚谷(50・魚屋)は暴れる穴子を彼女の膣に捻じ込んだ。
「アヒューーン!」ビクビクッ!
彼女はそう言って激しく身をよじった。
「感じてるんだろ、ケツまで粘液が垂れてるぜ。」
「違う、感じてなんかない!絶対、穴子なんかで感じるわけないわ!でも、何なのかしら、この腹のそこから熱い衝動が沸きあがってくるのォォォォォォォオ!!」
「それが、感じてるってことなんですばい!!」
「アアアアアッ!!いい、穴子の口がツンツン奥を刺激するの!
ああ、ああ、アフーーン!」
そう叫び、彼女は涙を流しながら、エクスタシーに到達した。
彼女の名を、細木かずこと言った。若干、16歳の時の出来事だった。
たぶん、このテキストを読んだ文学少女はすぐさま魚屋に行ってイキのいい穴子を購入し、自宅で自分の膣に生きたソレを挿入することだろう。
そして性的な快感の素晴らしさを覚え、文学などほっぽりだし、売春に明け暮れ、最終的に
「穴子娘。」としてAV女優として鮮烈なデビューを果たす事になるはずだ。
話が逸れました。
つまり小生が主張したいのは、
内容にあわせたタイトルが好ましい、ちゅーことですね。
akiは、
ウンコとかみそくそとか阿部さんとかハッテンとか、
そういう単語をよく使うので、ブログでもそういう傾向となると推測します。
ですから、僕からのタイトルの提案として、
・くそみそテクニック2
・くそみそだらけのオナホール
・くそみそバイブはアナル用
・くそみそテク。ありとあらゆるテクニック
・おばあちゃんの知恵袋 〜困った時のくそみそテクニック〜
がいいな、と思います。
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参考 くそみそテクニック(先頭のtの前にhをいれる。18禁)ttp://uraden.hp.infoseek.co.jp/kusomiso.html
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横浜の界隈で、自己の大きさとは、
かくにも小さなものかと思い知った、20の冬。
俺がいくら大声で、権利だ尊厳だ希望だと叫んでも、
人ごみに掻き消され、仕舞いにゃ疎ましがられる。
犇めき合う人々。
みんな、それぞれの希望を持ち、
雑踏を潜り抜ける。
それは分かってはいるが、
多勢は「群集」とかし、
個性を無くす。
あまりに小さな個人。
それを実感できるのは、
自分だけだ。
莫大な人間の中の、
たった一人の、俺。
ナルシズムかもしれないが、
俺は、そんな自分が哀しかった。
何処にも頼るものがなく、
そして、頼られるものもいない。
俺は群衆の中の、
小さな、居なくてもいい、
むしろ、人の歩行の邪魔になる、という点で
居ない方が好ましい存在だった。
希望、それは人に与えられた、
根本の拠り所だ。
俺は一度その希望を根こそぎ引っこ抜かれた。
一度、当たり前のように在った希望が、
急に、何の前触れもなく無くなると、
心に無くなってしまった希望が占めていた割合と同じか、
それ以上の大きさの空洞が出現する。
その空洞は、実感できる、
いや、実感せざるを得ないからこそ、
本来の大きさよりも、幾分大きく感じられる。
底の見えない空洞に怯え、
人は自己の存在の意味を問う。
その問いには、自己否定の側面も、
当然の如くに含まれる。
そして、自己否定がそのまま行動に表れる事も、
当然にしてあるだろう。
憐れ。
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かくにも小さなものかと思い知った、20の冬。
俺がいくら大声で、権利だ尊厳だ希望だと叫んでも、
人ごみに掻き消され、仕舞いにゃ疎ましがられる。
犇めき合う人々。
みんな、それぞれの希望を持ち、
雑踏を潜り抜ける。
それは分かってはいるが、
多勢は「群集」とかし、
個性を無くす。
あまりに小さな個人。
それを実感できるのは、
自分だけだ。
莫大な人間の中の、
たった一人の、俺。
ナルシズムかもしれないが、
俺は、そんな自分が哀しかった。
何処にも頼るものがなく、
そして、頼られるものもいない。
俺は群衆の中の、
小さな、居なくてもいい、
むしろ、人の歩行の邪魔になる、という点で
居ない方が好ましい存在だった。
希望、それは人に与えられた、
根本の拠り所だ。
俺は一度その希望を根こそぎ引っこ抜かれた。
一度、当たり前のように在った希望が、
急に、何の前触れもなく無くなると、
心に無くなってしまった希望が占めていた割合と同じか、
それ以上の大きさの空洞が出現する。
その空洞は、実感できる、
いや、実感せざるを得ないからこそ、
本来の大きさよりも、幾分大きく感じられる。
底の見えない空洞に怯え、
人は自己の存在の意味を問う。
その問いには、自己否定の側面も、
当然の如くに含まれる。
そして、自己否定がそのまま行動に表れる事も、
当然にしてあるだろう。
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自分は、宴会というのが、
どうもこう、イマイチ好きになれない。
仲の良い数人の人間と近況を報告しあったり、
下ネタで盛り上がったりするのは大好きなのだけれども、
大人数で、それも、そんなに親しくも無い人と、更に♀などというマンコでしか物事を考えていない人種とともに、飲みかつ食らう、というのはこれはどう考えても自分にとっては拷問。
思わず口から呪詛が零れ出る。
なぜ、小生がそんなに宴会(若者チックに言いますと、コンパないし飲み会)を忌み嫌っているのかといえば、様々な理由があるのだけれども、
今日は、喧しい、という点を挙げる。
宴会の席というのはそれはそれは、ドやかましいものだ。
皆、酒を白痴の如くに「イッキ」という名の下に痛飲・鯨飲し、結果気分がアッパークラス(ハイ)になり、
そこいらで叫ぶ、喚く、踊る、放歌高吟する、手淫する、
といった暴挙をそれはそれは当たり前の如くやってこます。
そして、たいていの人間がそんな気の狂ったテンションになるのだから、あたりは戦のごとき喧騒に包まれる。
わー。
きゃー。
うひゃあ。
なんてこったい。
でたー。
などと四囲から人間性の欠片も感じられない喚き声があがるのだ。
小生はこれでも一応、人間であるので、
そのようなアニマルは何をしでかすか分からない、
という点で末恐ろしく、そして疎ましく感じる。
だが、いくら疎ましく、恐ろしく思ったところで、
「じゃっかあしゃい!黙りくされ!この畜生共がぁぁあ!」
と、忠告をしたところで、相手はアニマル。
畜生に言語を解する頭脳があるとはとても思えないので、
触らぬ神に祟り無し、ここは一つ烏龍茶でも飲んで落ち着いてこましたろ、
と部屋の片隅で静かに烏龍茶を飲みながら、
「ああ、アルコールってえのは、人の本性をあらわすなぁ。」
等と嘯きながら、孤独という名のロンリネスを感じながら、小生は呆然としている他無いのだ。うう、さみしい。
ちゅーことで、今日はその宴会に行ってきます。
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ここだけの話、俺、人気になりたい。
どうもこう、イマイチ好きになれない。
仲の良い数人の人間と近況を報告しあったり、
下ネタで盛り上がったりするのは大好きなのだけれども、
大人数で、それも、そんなに親しくも無い人と、更に♀などというマンコでしか物事を考えていない人種とともに、飲みかつ食らう、というのはこれはどう考えても自分にとっては拷問。
思わず口から呪詛が零れ出る。
なぜ、小生がそんなに宴会(若者チックに言いますと、コンパないし飲み会)を忌み嫌っているのかといえば、様々な理由があるのだけれども、
今日は、喧しい、という点を挙げる。
宴会の席というのはそれはそれは、ドやかましいものだ。
皆、酒を白痴の如くに「イッキ」という名の下に痛飲・鯨飲し、結果気分がアッパークラス(ハイ)になり、
そこいらで叫ぶ、喚く、踊る、放歌高吟する、手淫する、
といった暴挙をそれはそれは当たり前の如くやってこます。
そして、たいていの人間がそんな気の狂ったテンションになるのだから、あたりは戦のごとき喧騒に包まれる。
わー。
きゃー。
うひゃあ。
なんてこったい。
でたー。
などと四囲から人間性の欠片も感じられない喚き声があがるのだ。
小生はこれでも一応、人間であるので、
そのようなアニマルは何をしでかすか分からない、
という点で末恐ろしく、そして疎ましく感じる。
だが、いくら疎ましく、恐ろしく思ったところで、
「じゃっかあしゃい!黙りくされ!この畜生共がぁぁあ!」
と、忠告をしたところで、相手はアニマル。
畜生に言語を解する頭脳があるとはとても思えないので、
触らぬ神に祟り無し、ここは一つ烏龍茶でも飲んで落ち着いてこましたろ、
と部屋の片隅で静かに烏龍茶を飲みながら、
「ああ、アルコールってえのは、人の本性をあらわすなぁ。」
等と嘯きながら、孤独という名のロンリネスを感じながら、小生は呆然としている他無いのだ。うう、さみしい。
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ダセー心でブログ書く。
2006年12月15日 エッセイ コメント (4)常々思うのが、日記をウェブで公開する事の、意義である。
我々ブロガーは自分が思った事や、実行した事等をわざわざウェブで公開している。
なぜそんな事を恥ずかし気もなくやっているのか、
と考えたところ、やっぱり人に承認されたいから、
というのが大きい気がする。
人の事は分からないが、少なくとも自分ではそう。
だが、アクセス数に固執する人や、
コメントがつかないなぁ、と悩んでいる人や、
ブログランキングの順位に異様に拘る人を見ていると、
あながち僕だけが特別なわけではないのかもしれない、
とも思う。
まぁ、人がどういった動機でブログやウェブページを運営・管理していようが、実際の話どうでもいいのだけれども、
僕は個人的に、ブログを運営する意義、っつーのをよく考える。
話は少し回りくどくなるが、
自分の他人のブログに対する考え(偏見かも)を述べたい。
僕は正直な話、
人が何かをした、
という事に対して、てんで興味はない。
誰が何をしようが、僕にとってはどうでもいいお話で、
特別にテキストを読んでまで把握しておきたい、
などとは毛頭思わない。
だが、僕はブログを読む。
それは勿論、いやいやではなく、
喜んで、すすんで読む。
それは、そのブログで書かれている事が、面白いからだ。
面白いというのは、
一つに心情表現が面白いってーのがある。
例えば、同じカラオケに行くにも、
「今日はカラオケに行きました!
サイッコーに楽しかったです!」
っつーブログはまぁ、興味はござらん。
少なくとも僕は。
でも、
「自分というのはカラオケボックスというものが大の苦手で、
というのも、あんな狭苦しい空間で、
数人が犇めき合い、喧しいサウンドに任せ、
ズコズコ騒音に近い喚き声をあげている様、
また、それに付随する皆の、アゲアゲで行こうぜ!
行かないやつは死ね!っつーテンション?ノリ?
そういうのが反吐がでるほど嫌やねん、正味な話。」
といった感じで、
行為だけでなく、
その時感じた切実な感情、悩み、
というのを書いているブログは、あぁ面白いなぁ、
と思う。
その人の個性が出ていて、どんな事を考えているのか、
ということが分かるから。
で、欲をいえば、常人とズレている程面白い。
そんなねぇ、誰でも感じている事を書かれてもまぁ、さぁ?分かるでしょ?言いたい事。
まとめますと、何某をやりましたー、
って報告するようなブログってーのは少なくとも、
僕みたいな下衆には面白さが理解できず、
逆にどうしてその行為をやったのか、
またやってみて、どう感じたか、
っつーのを面白おかしく、独特な視点で綴られているブログ、
ってーのは、コレ、自分のような馬鹿者でも面白さが分かる、
ということですね。
で、自分は無い頭を使い、
なるべきそうなるように日記を書いているのだが、
それは取りも直さず、
人様に少しでも喜んでもらえればいいなぁ、
笑っていただければいいなぁ、と切実に思っているからである。
しょーもない場末のうんこのようなブログだけれども、
ちょっとでもみなさまの楽しみのひとつになれば幸い、
自分にも生きている意味があるのかもね、
ということに、ブログの意義を見つけたりしている。
そして哀しいが、この考えの根には「自分の為」がある。
人間誰しも無駄な事はやりたくないだろうし、
自分の存在を無視されたくないものだと思う。
で、ブログを運営する事により、
リンクしてくださる人が現れ、
コメントしてくださる人が現れ、
読んでくださる人が、
僕にもできた。
嬉しい。とても。
それは突き詰めると、
やっぱり他人に承認された・認められた、
という意識ゆえだろうと思う。
つまり、口では、
「読者の皆様に楽しんでもらえたら!
そう、思っておりますよ!」
と言っても結局心では、
「うん、読んでくれる人がいて良かった、良かった。嬉しいなぁ。」
と自分の事を、考えてる。
でも、それらの意見は決して相反しないものだ。
読者の皆様の楽しみになればいいなぁ、
と大袈裟な事を思っているのも、事実だし、
読んでくれて嬉しい。自分の存在が忘れられていなくて、嬉しい、と思っているのも事実。
そして簡単な自分の考えの構造といえば、
「読者の楽しみになればいい、という考えの根底に、承認される
喜びがある。」
といったものである。
だが、どちらかを優先させれば、どちらかが無くなる、っつーこともない。
であるから、そんなに気にかける事もないのだが、
やはり、根底にある「自分様」っつー考えが
浅ましくて嫌になる。
あぁ、俺って下衆だなぁ、としみじみ思う。
そう書くと、なんたらケツの穴の小さな男だ!
男はそんな小さな事考えず、
バァ!しとったらええんじゃ!バアッ!とな!
と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
確かに、イエス、その通りだと思う。
へなへなと「自分のためとか、ダセーよなぁ。」
なんて考えるのは、なんちゅーか女々しい。
うーん。自分を心底好きになるってーのも、難しいですなぁ。
そんな自分だけれども、
これからも一つ、これよろしくお願いします。
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押して下されば、正味、目茶目茶に嬉しいものこれまた事実。
我々ブロガーは自分が思った事や、実行した事等をわざわざウェブで公開している。
なぜそんな事を恥ずかし気もなくやっているのか、
と考えたところ、やっぱり人に承認されたいから、
というのが大きい気がする。
人の事は分からないが、少なくとも自分ではそう。
だが、アクセス数に固執する人や、
コメントがつかないなぁ、と悩んでいる人や、
ブログランキングの順位に異様に拘る人を見ていると、
あながち僕だけが特別なわけではないのかもしれない、
とも思う。
まぁ、人がどういった動機でブログやウェブページを運営・管理していようが、実際の話どうでもいいのだけれども、
僕は個人的に、ブログを運営する意義、っつーのをよく考える。
話は少し回りくどくなるが、
自分の他人のブログに対する考え(偏見かも)を述べたい。
僕は正直な話、
人が何かをした、
という事に対して、てんで興味はない。
誰が何をしようが、僕にとってはどうでもいいお話で、
特別にテキストを読んでまで把握しておきたい、
などとは毛頭思わない。
だが、僕はブログを読む。
それは勿論、いやいやではなく、
喜んで、すすんで読む。
それは、そのブログで書かれている事が、面白いからだ。
面白いというのは、
一つに心情表現が面白いってーのがある。
例えば、同じカラオケに行くにも、
「今日はカラオケに行きました!
サイッコーに楽しかったです!」
っつーブログはまぁ、興味はござらん。
少なくとも僕は。
でも、
「自分というのはカラオケボックスというものが大の苦手で、
というのも、あんな狭苦しい空間で、
数人が犇めき合い、喧しいサウンドに任せ、
ズコズコ騒音に近い喚き声をあげている様、
また、それに付随する皆の、アゲアゲで行こうぜ!
行かないやつは死ね!っつーテンション?ノリ?
そういうのが反吐がでるほど嫌やねん、正味な話。」
といった感じで、
行為だけでなく、
その時感じた切実な感情、悩み、
というのを書いているブログは、あぁ面白いなぁ、
と思う。
その人の個性が出ていて、どんな事を考えているのか、
ということが分かるから。
で、欲をいえば、常人とズレている程面白い。
そんなねぇ、誰でも感じている事を書かれてもまぁ、さぁ?分かるでしょ?言いたい事。
まとめますと、何某をやりましたー、
って報告するようなブログってーのは少なくとも、
僕みたいな下衆には面白さが理解できず、
逆にどうしてその行為をやったのか、
またやってみて、どう感じたか、
っつーのを面白おかしく、独特な視点で綴られているブログ、
ってーのは、コレ、自分のような馬鹿者でも面白さが分かる、
ということですね。
で、自分は無い頭を使い、
なるべきそうなるように日記を書いているのだが、
それは取りも直さず、
人様に少しでも喜んでもらえればいいなぁ、
笑っていただければいいなぁ、と切実に思っているからである。
しょーもない場末のうんこのようなブログだけれども、
ちょっとでもみなさまの楽しみのひとつになれば幸い、
自分にも生きている意味があるのかもね、
ということに、ブログの意義を見つけたりしている。
そして哀しいが、この考えの根には「自分の為」がある。
人間誰しも無駄な事はやりたくないだろうし、
自分の存在を無視されたくないものだと思う。
で、ブログを運営する事により、
リンクしてくださる人が現れ、
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読んでくださる人が、
僕にもできた。
嬉しい。とても。
それは突き詰めると、
やっぱり他人に承認された・認められた、
という意識ゆえだろうと思う。
つまり、口では、
「読者の皆様に楽しんでもらえたら!
そう、思っておりますよ!」
と言っても結局心では、
「うん、読んでくれる人がいて良かった、良かった。嬉しいなぁ。」
と自分の事を、考えてる。
でも、それらの意見は決して相反しないものだ。
読者の皆様の楽しみになればいいなぁ、
と大袈裟な事を思っているのも、事実だし、
読んでくれて嬉しい。自分の存在が忘れられていなくて、嬉しい、と思っているのも事実。
そして簡単な自分の考えの構造といえば、
「読者の楽しみになればいい、という考えの根底に、承認される
喜びがある。」
といったものである。
だが、どちらかを優先させれば、どちらかが無くなる、っつーこともない。
であるから、そんなに気にかける事もないのだが、
やはり、根底にある「自分様」っつー考えが
浅ましくて嫌になる。
あぁ、俺って下衆だなぁ、としみじみ思う。
そう書くと、なんたらケツの穴の小さな男だ!
男はそんな小さな事考えず、
バァ!しとったらええんじゃ!バアッ!とな!
と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
確かに、イエス、その通りだと思う。
へなへなと「自分のためとか、ダセーよなぁ。」
なんて考えるのは、なんちゅーか女々しい。
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押して下されば、正味、目茶目茶に嬉しいものこれまた事実。
おっぱい。
それは男にとって性的な興奮を促すもの。
実際、AVショップなどに行くとよく下記のようなタイトルのAVが置いてある。
「たまりません!こんな巨乳はたまりません!」
「わーお!これが噂のKカップ!」
「貧乳アイドルの憂鬱 〜真冬のデフレスパイラル〜 」
「巨乳炸裂!夢かうつつか6時間ぶっ通しでパイズリや!」
「緊急特番!クリスマスの水泳大会〜ポロリもあるよ〜」
これはほんの一例なのですが、乳を題材にした作品がもうそれこそ山のように、掃いて捨てる程ある。
実際、僕もなぜかは分からないが、巨乳が好きだ。
そして今までは、自分が巨乳好きなことに対して、全く違和感を感じなかった。
だが、先日、
だらだらと青木りんのAVを観賞しつつ手淫をしているとき、
ふと思った。
「乳の存在意義って、母乳を分泌して、乳児に飲ませる事だよね、なのになぜなぜ一体全体なんで俺は乳に興奮してるんだぜ?」
そう思ったら手淫どころではなく、隆々と勃起したペニスをブーメランパンツに収め、じっとそのことについて考えを巡らせた、
というのは嘘で、
妥協的に
「今はそんな事どうでもええ、とにかく抜く。抜ききる。」
と思い、実際にスペルマを大放出した。
そしてビデオの電源を切り、煙草を燻らせながら、
先ほどふと頭をもたげた疑問について考えを巡らせた。
まず思ったのは、乳房っつーのは神聖なものでございますなぁ、ということだ。
というのも我々哺乳類は乳児期、
ほぼ例外なく授乳のお蔭で栄養分を摂取できる。
もしその母乳がなければ、
歯も無い、筋肉も無い、頭も無いベイビーは
すぐさま死ぬことになり、
つまり種を後世に残すことができない、
ということになる。
っつーことは考えてみれば、
母乳のお蔭で我々は今、生きていられる。
つまり生命の源、そういう表現もできる。
んで、その母乳を出す、噴出する乳首、
及びそれを内包する乳房に対して、
それはもう多大な感謝の念を抱かねばならん、
ということになる。
とまぁそういう事を考え、
「おっぱいというのは神聖極まりないなぁ。」
と考えた次第である。
だが現実はどうだ?
生命の神秘で眩しく輝くおっぱいにたいして、
なにをしてこましている?
男の性欲のおもむくままに
揉みしだき!
時に汚い舌で舐めまわし!
時にローションでぐちゃぐちゃにし!
時に陰茎を乳首にあてがい!
挙句の果てに乳射するゥゥ!!
最悪ですよ、ぜんぜん敬意を払ってない。
神聖なるおっぱい様をまるで玩具のようにもてあそびやがって!
繰り返しますが、乳房とは人類、いや哺乳類の命の源、我々の遺伝子を繋ぐ神聖な部位なんです。
その神々しい部位に興奮するというのは、
例えるなら神に唾を吐きかけるが如き暴挙。そう思いますよね、当然。
まぁ、神々しいものに触れてみたい、その欲望はわからなくもない。
だが、我々はモラルを重んじる日本人。
悔しかもしれない、悲しいかもしれない、でもそこはじっと我慢。
揉みたい、揉みしだきたい。
できるなら乳首を思いっきり吸引したい!
そんな辛く厳しく時に切ない禁欲の果てで、
我々愚鈍な雄は始めて乳房ってーのは神聖なものなんですなぁ、
と心の底から詠嘆できるのではないでしょうか?
それは取りも直さず、生命の神秘への詠嘆、
我々が生きていることの奇跡の確認で、
その安らかな感情はきっとあなたの人生をより有意義なものにするでしょう。
ということで、
今日は蒼井そらのパイズリ動画でしこたま抜くつもりです。
ご清聴を感謝します。
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押して下されば、嬉しいです。
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実際、AVショップなどに行くとよく下記のようなタイトルのAVが置いてある。
「たまりません!こんな巨乳はたまりません!」
「わーお!これが噂のKカップ!」
「貧乳アイドルの憂鬱 〜真冬のデフレスパイラル〜 」
「巨乳炸裂!夢かうつつか6時間ぶっ通しでパイズリや!」
「緊急特番!クリスマスの水泳大会〜ポロリもあるよ〜」
これはほんの一例なのですが、乳を題材にした作品がもうそれこそ山のように、掃いて捨てる程ある。
実際、僕もなぜかは分からないが、巨乳が好きだ。
そして今までは、自分が巨乳好きなことに対して、全く違和感を感じなかった。
だが、先日、
だらだらと青木りんのAVを観賞しつつ手淫をしているとき、
ふと思った。
「乳の存在意義って、母乳を分泌して、乳児に飲ませる事だよね、なのになぜなぜ一体全体なんで俺は乳に興奮してるんだぜ?」
そう思ったら手淫どころではなく、隆々と勃起したペニスをブーメランパンツに収め、じっとそのことについて考えを巡らせた、
というのは嘘で、
妥協的に
「今はそんな事どうでもええ、とにかく抜く。抜ききる。」
と思い、実際にスペルマを大放出した。
そしてビデオの電源を切り、煙草を燻らせながら、
先ほどふと頭をもたげた疑問について考えを巡らせた。
まず思ったのは、乳房っつーのは神聖なものでございますなぁ、ということだ。
というのも我々哺乳類は乳児期、
ほぼ例外なく授乳のお蔭で栄養分を摂取できる。
もしその母乳がなければ、
歯も無い、筋肉も無い、頭も無いベイビーは
すぐさま死ぬことになり、
つまり種を後世に残すことができない、
ということになる。
っつーことは考えてみれば、
母乳のお蔭で我々は今、生きていられる。
つまり生命の源、そういう表現もできる。
んで、その母乳を出す、噴出する乳首、
及びそれを内包する乳房に対して、
それはもう多大な感謝の念を抱かねばならん、
ということになる。
とまぁそういう事を考え、
「おっぱいというのは神聖極まりないなぁ。」
と考えた次第である。
だが現実はどうだ?
生命の神秘で眩しく輝くおっぱいにたいして、
なにをしてこましている?
男の性欲のおもむくままに
揉みしだき!
時に汚い舌で舐めまわし!
時にローションでぐちゃぐちゃにし!
時に陰茎を乳首にあてがい!
挙句の果てに乳射するゥゥ!!
最悪ですよ、ぜんぜん敬意を払ってない。
神聖なるおっぱい様をまるで玩具のようにもてあそびやがって!
繰り返しますが、乳房とは人類、いや哺乳類の命の源、我々の遺伝子を繋ぐ神聖な部位なんです。
その神々しい部位に興奮するというのは、
例えるなら神に唾を吐きかけるが如き暴挙。そう思いますよね、当然。
まぁ、神々しいものに触れてみたい、その欲望はわからなくもない。
だが、我々はモラルを重んじる日本人。
悔しかもしれない、悲しいかもしれない、でもそこはじっと我慢。
揉みたい、揉みしだきたい。
できるなら乳首を思いっきり吸引したい!
そんな辛く厳しく時に切ない禁欲の果てで、
我々愚鈍な雄は始めて乳房ってーのは神聖なものなんですなぁ、
と心の底から詠嘆できるのではないでしょうか?
それは取りも直さず、生命の神秘への詠嘆、
我々が生きていることの奇跡の確認で、
その安らかな感情はきっとあなたの人生をより有意義なものにするでしょう。
ということで、
今日は蒼井そらのパイズリ動画でしこたま抜くつもりです。
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何だかんだ言って、オメェ、自分がかわいいだけだろ?
2006年12月8日 エッセイ刺激的なタイトルでこんばんは。
あと、今日は別段笑えるところはなく、
ひたすら暗いだけのテキストなので、
そーゆーのが嫌いな方はヌルーしてください。
最近(ここ二週間ほど)気が立っておさまらない。
何にイライライライラしているのか、自分でも分からない。
ただ気がついたら心此処に在らず。
いや、あるのかもしれないがいつもの平安な場所にないのだ。
だから有象無象の学生に対して、
「この屑どもが!」と一人ごちてみたり、
やかましい騒音を耳にするたび、
「じゃかあっしゃあ!!!」
と猛然と叫びたくなったり、
いちゃつくアベックを目撃すれば、
「問答無用でしばき倒す。」
とボソっと嘯いたり、
つり銭を渡すのにもたもたするコンビニエンス・ストーの店員にたいして、
「ドン臭い餓鬼が!はよせんかい!!!
お前がのろのろしよる時間は、誰の時間やと思っとんじゃあァァァ!!!」
と絶叫したくなったりする。
要するに。なんかむかつく。そーいうマインド。
なぜ、そういった穏やかではない心境に今の自分がいるのか、
と少し考えてみたところ、
それはまぁ、失恋っつー時代を超え、国を超え、性差を超えたまぁ普遍的な悲しみによるものなのだろうけれども、
だがそれは決して答えではなく、
ただの悲しみの発生要因でしかない。
失恋のどの要素によって自分のハートは痛めつけられたか、
まぁそういったことを考えなければ根本的な解決にはならんよね。
で、今の自分と言うのは馬鹿なもので、
そんなことはサッパリ分からず、
ただただ、失恋という事実のみに縛られ、本質、イギリス語でいうところのエッセンスを全く鑑みていないわけで、
それはたぶん、怖いからである。
何が怖いって、冷静に自分を分析、および省みるというのは、
いってみれば自分の欠点、短所、要するに駄目なところを探す、という作業を多分に含むため、
「できるだけ自分は誰にも責められたくなくない。傷つかず、楽して生きていきたいんだよね、僕ちんは。」
なぞと思っている自分にとって、
それはそれは恐ろしい行為なのである。
であるから、建設的な考えなんて全くせず、
「あーイラつく。」
といい、自己の世界の中に閉じこもり、外界のしゃらくさい人間どもを心の中で愚弄、罵倒していれば、前述したおぞましい行為(内省)をせずとも、
攻撃の作用でなんだかスッキリしたような、気持ちになれるのである。
だがそこには何の生産性もないし、
逆にウチへウチへ考えることにより、
他人という概念が希薄化し、
とんでもなく自己中心的な人間になってしまう、
という弊害を産むわけで、これはよろしくないよね。
ってんで、ちったあ人とふれあい、語らい、騒ぎ、楽しみのマインドになってみようかしら、と思い、友人と飲みかつ食らい、そして語らったりしても、
その楽しみのマインドは虹のように儚く、帰路ではすっかり
「あー誰かしばきてー。」
などと嘯く始末。
根本的な解決がのぞまれるね。
でも、前述したとおり、そのエッセンスっつーのは、
直視するのに躊躇われるようなおぞましいものだろうし、
そもそもとして、そのエッセンスっつーのが在るのか、無いのか、ということもよく分からん。
バイオリズムの関係で、今、自分の体はそういう時期なだけ、
という可能性もあるしね。
このような暗澹とした心持ちでは到底短い学生生活を、楽しく、明るく、快活に送ることは困難だと思われるので、
心機一転、久しぶりにミスチル(正式名称Mr.Children;和訳.ミスターチルドレン)でも聴くぞー!
思い立ったがなんたらっつんで早速中古屋に向い、一枚のアルバムを買ってきた。
「深海」である。
僕の心の奥深く
深海で君の影揺れる
あどけなかった日の僕は
夢中で君を追いかけて 追いかけて
シーラーカーンス
シーラーカーンス
シーラーカーンス
ああ、でも、今の気持ちだからこそ、
この歌詞、曲調の意味、意図、作成の企図が分かるのかもしらん。
僕なんかが分かった、っつっても浅いものだろーけど。
誰にでもある、
落胆、落ち込み。
時にはそれがなんらかのスパイスにもなりうる。
そう、少しポジティブに、前向きに考え心の平安を感じつつ、
今日の鬱日記を終わりにします。
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どうでもいいですけど、ミスチルっていいよね。
あと、今日は別段笑えるところはなく、
ひたすら暗いだけのテキストなので、
そーゆーのが嫌いな方はヌルーしてください。
最近(ここ二週間ほど)気が立っておさまらない。
何にイライライライラしているのか、自分でも分からない。
ただ気がついたら心此処に在らず。
いや、あるのかもしれないがいつもの平安な場所にないのだ。
だから有象無象の学生に対して、
「この屑どもが!」と一人ごちてみたり、
やかましい騒音を耳にするたび、
「じゃかあっしゃあ!!!」
と猛然と叫びたくなったり、
いちゃつくアベックを目撃すれば、
「問答無用でしばき倒す。」
とボソっと嘯いたり、
つり銭を渡すのにもたもたするコンビニエンス・ストーの店員にたいして、
「ドン臭い餓鬼が!はよせんかい!!!
お前がのろのろしよる時間は、誰の時間やと思っとんじゃあァァァ!!!」
と絶叫したくなったりする。
要するに。なんかむかつく。そーいうマインド。
なぜ、そういった穏やかではない心境に今の自分がいるのか、
と少し考えてみたところ、
それはまぁ、失恋っつー時代を超え、国を超え、性差を超えたまぁ普遍的な悲しみによるものなのだろうけれども、
だがそれは決して答えではなく、
ただの悲しみの発生要因でしかない。
失恋のどの要素によって自分のハートは痛めつけられたか、
まぁそういったことを考えなければ根本的な解決にはならんよね。
で、今の自分と言うのは馬鹿なもので、
そんなことはサッパリ分からず、
ただただ、失恋という事実のみに縛られ、本質、イギリス語でいうところのエッセンスを全く鑑みていないわけで、
それはたぶん、怖いからである。
何が怖いって、冷静に自分を分析、および省みるというのは、
いってみれば自分の欠点、短所、要するに駄目なところを探す、という作業を多分に含むため、
「できるだけ自分は誰にも責められたくなくない。傷つかず、楽して生きていきたいんだよね、僕ちんは。」
なぞと思っている自分にとって、
それはそれは恐ろしい行為なのである。
であるから、建設的な考えなんて全くせず、
「あーイラつく。」
といい、自己の世界の中に閉じこもり、外界のしゃらくさい人間どもを心の中で愚弄、罵倒していれば、前述したおぞましい行為(内省)をせずとも、
攻撃の作用でなんだかスッキリしたような、気持ちになれるのである。
だがそこには何の生産性もないし、
逆にウチへウチへ考えることにより、
他人という概念が希薄化し、
とんでもなく自己中心的な人間になってしまう、
という弊害を産むわけで、これはよろしくないよね。
ってんで、ちったあ人とふれあい、語らい、騒ぎ、楽しみのマインドになってみようかしら、と思い、友人と飲みかつ食らい、そして語らったりしても、
その楽しみのマインドは虹のように儚く、帰路ではすっかり
「あー誰かしばきてー。」
などと嘯く始末。
根本的な解決がのぞまれるね。
でも、前述したとおり、そのエッセンスっつーのは、
直視するのに躊躇われるようなおぞましいものだろうし、
そもそもとして、そのエッセンスっつーのが在るのか、無いのか、ということもよく分からん。
バイオリズムの関係で、今、自分の体はそういう時期なだけ、
という可能性もあるしね。
このような暗澹とした心持ちでは到底短い学生生活を、楽しく、明るく、快活に送ることは困難だと思われるので、
心機一転、久しぶりにミスチル(正式名称Mr.Children;和訳.ミスターチルドレン)でも聴くぞー!
思い立ったがなんたらっつんで早速中古屋に向い、一枚のアルバムを買ってきた。
「深海」である。
僕の心の奥深く
深海で君の影揺れる
あどけなかった日の僕は
夢中で君を追いかけて 追いかけて
シーラーカーンス
シーラーカーンス
シーラーカーンス
ああ、でも、今の気持ちだからこそ、
この歌詞、曲調の意味、意図、作成の企図が分かるのかもしらん。
僕なんかが分かった、っつっても浅いものだろーけど。
誰にでもある、
落胆、落ち込み。
時にはそれがなんらかのスパイスにもなりうる。
そう、少しポジティブに、前向きに考え心の平安を感じつつ、
今日の鬱日記を終わりにします。
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どうでもいいですけど、ミスチルっていいよね。
あー、人生と言うのはうまくいかないものですね。
それはいいとして、
今日は甘えについて。
僕は人間関係に甘えを極力持ち込みたくない、と思っている。
甘えとは、分かりきったことをわざわざ相手に質問して、安心感を得ようとする行為や、
自分自身の保身のためだけに発せられる言葉であったり、
相手の考えていることなどないと仮定し、相手が自分の思うような反応をしてくれると期待することであったりする。
例えば、恋人に向って何度も「あたしのこと好き?」と訊くのは甘えだ。
好きでないならつきあってないだろう。
仮にそういわれないと不安であっても、他人に強制的に言葉をいわせることは決して愛なんかじゃない。
出来ることと言えば、自分を磨くなりなんなりして、「好き」と思わせる、そのくらいじゃないのか、と思う。
そういう甘えたやつは、決して自分を省みず、人に何かを頼ろうとする。
根本には「自分様」の考えがあり、他人は自分の思う通りに動いてくれるものだと信じている。
だから、自己の主張は通って当然だと思うし、それを否定する人間が憎く感じる。
そういう人間は、一見至極フツーな人間に見えることもあるのだが、深く付き合えば確実にその片鱗を見せ始める。
というか、結構そういう人種は多い。
それは、そもそも日本社会が甘えと依存に立脚した社会を構成していることが根本的な起因要素になっていると、僕は感じる。
人間関係、特に上下関係を見ればよく分かるが、年下は無条件に年上に対して敬語を使わなければならない。
これは所謂「人間」をみているのではなくてあくまで「序列」を見ているに過ぎない証拠で、
年上だから威張れる、年下だから謙る(へりくだる)、そういったマインドがド餓鬼のころから叩きこまれ、
僕たちは育った。
人を見ず、ステータスで判断する社会に、個人という概念は発生しにくい。
個人主義とどうしても序列社会において異端的要素になってしまうからだ。
先輩は先輩だけど、俺は俺でやるから、ほっといてくれないかな、
というマインドは極めて日本で危険であることに説明の余地はないだろう。
つまり、この序列の例で言いたかったのは、まず年上だからと言って、妄信的に敬語を使い、それがもはや常識となっている社会において、個人と言う概念はとても発生しにくいし、発生しても阻害されやすい、ということだ。
この例をふまえ、次の例を提出したい。
日本は有史以来、殆ど他者を受け入れてこなかった。
他の多くの国家は何度も他者に侵略されたり、占領されたり、植民地化されたりした。
日本はそういう経験を持たない、極めて稀な国なのだが、それが日本人に悪影響を及ぼしたことも否定出来ない。
アメリカだと、さまざまな肌の色の人がいて、価値観も宗教も決して統一されておらず、まさにサラダボウルと呼ぶに相応しい国だと思う、。
そういう国には他者を受け入れるマインドが自然と育つ。
当たり前だが、自分たちの価値観等を押し付けるだけでは戦争になることを彼らは「痛み」とともにしっているのだ。
だからこそ彼らは受け入れる努力もするし、実際にいくつかの差別は残っているが、それでも立派なものだと思う。
翻って日本はどうだろう。
風土はかわりつつあるが、やはり村的な社会が根本的にあるのではないか。
村的とは僕の造語なのだが、要するにみんな仲間、価値観は同じ、変なやつはでていけ!
というマインドのこと。
そういう社会にドップリつかっていると、どうしても甘えは生じてしまう。
みんなと同じでないと排除されるのだから、みんなと合わせるしかない。
だから、合わせる。合わせるには何が必要かと言うと、のっぺりとした、平穏な関係だ。
そういった平穏な関係に、一歩ひいいた視点、立ち位置はやはり好まれず、
ベタベタした、気さく過ぎる関係が好まれる。
そこで人は他者は自分とそんなに変わらない人間なのかもしれないと勘違いし、(個人が見えにくくなるから)
依存し、最終的に甘える。
以上二つの例で言いたかったことは日本にはマズ個人と言う概念が発生しにくく、また村的共同体のマインドにより、甘えはとても起こりやすい、ということで、それすなわち日本人には甘えたがるやつがいっぱいいるんじゃないかなぁ、と思うことの証明である。
だが、僕は甘えが絶対的に悪だとは言わないし、言えない。
確かに、だらだら甘えて、ストレスを発散させるのも気持ちいい。
愚痴を訊いてもらう、というのも考えてみれば一種の甘えかもしれない。
相手が聴きたくないのに、自分のエゴだけで発散しているのだから。
また、付き合っているひとに別れを切り出され、その上もう絶対に関係は修復しないことは分かっていて、何度も引きとめようと説得することも、甘えなのかもしれない。
それは相手に対しての、というよりも主に自分に対しての、だが。
しかし、厳しい現実をうけりれるのはツライコトだ。
「甘え?くだらん!反吐が出る!」
というのは簡単だ。
だが、なぜ甘えが生じるのか、と考え、そしてその原因がどうしようもなく切実だった時、
甘えは心の平穏のため、時に必要となる。
まぁ基本的に甘えたり、依存する人間はうざいと思って、いままでそういった人間を徹底的に下に見ていたが、これからはもうちょっと大らかな視点を持とうと思う。
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それはいいとして、
今日は甘えについて。
僕は人間関係に甘えを極力持ち込みたくない、と思っている。
甘えとは、分かりきったことをわざわざ相手に質問して、安心感を得ようとする行為や、
自分自身の保身のためだけに発せられる言葉であったり、
相手の考えていることなどないと仮定し、相手が自分の思うような反応をしてくれると期待することであったりする。
例えば、恋人に向って何度も「あたしのこと好き?」と訊くのは甘えだ。
好きでないならつきあってないだろう。
仮にそういわれないと不安であっても、他人に強制的に言葉をいわせることは決して愛なんかじゃない。
出来ることと言えば、自分を磨くなりなんなりして、「好き」と思わせる、そのくらいじゃないのか、と思う。
そういう甘えたやつは、決して自分を省みず、人に何かを頼ろうとする。
根本には「自分様」の考えがあり、他人は自分の思う通りに動いてくれるものだと信じている。
だから、自己の主張は通って当然だと思うし、それを否定する人間が憎く感じる。
そういう人間は、一見至極フツーな人間に見えることもあるのだが、深く付き合えば確実にその片鱗を見せ始める。
というか、結構そういう人種は多い。
それは、そもそも日本社会が甘えと依存に立脚した社会を構成していることが根本的な起因要素になっていると、僕は感じる。
人間関係、特に上下関係を見ればよく分かるが、年下は無条件に年上に対して敬語を使わなければならない。
これは所謂「人間」をみているのではなくてあくまで「序列」を見ているに過ぎない証拠で、
年上だから威張れる、年下だから謙る(へりくだる)、そういったマインドがド餓鬼のころから叩きこまれ、
僕たちは育った。
人を見ず、ステータスで判断する社会に、個人という概念は発生しにくい。
個人主義とどうしても序列社会において異端的要素になってしまうからだ。
先輩は先輩だけど、俺は俺でやるから、ほっといてくれないかな、
というマインドは極めて日本で危険であることに説明の余地はないだろう。
つまり、この序列の例で言いたかったのは、まず年上だからと言って、妄信的に敬語を使い、それがもはや常識となっている社会において、個人と言う概念はとても発生しにくいし、発生しても阻害されやすい、ということだ。
この例をふまえ、次の例を提出したい。
日本は有史以来、殆ど他者を受け入れてこなかった。
他の多くの国家は何度も他者に侵略されたり、占領されたり、植民地化されたりした。
日本はそういう経験を持たない、極めて稀な国なのだが、それが日本人に悪影響を及ぼしたことも否定出来ない。
アメリカだと、さまざまな肌の色の人がいて、価値観も宗教も決して統一されておらず、まさにサラダボウルと呼ぶに相応しい国だと思う、。
そういう国には他者を受け入れるマインドが自然と育つ。
当たり前だが、自分たちの価値観等を押し付けるだけでは戦争になることを彼らは「痛み」とともにしっているのだ。
だからこそ彼らは受け入れる努力もするし、実際にいくつかの差別は残っているが、それでも立派なものだと思う。
翻って日本はどうだろう。
風土はかわりつつあるが、やはり村的な社会が根本的にあるのではないか。
村的とは僕の造語なのだが、要するにみんな仲間、価値観は同じ、変なやつはでていけ!
というマインドのこと。
そういう社会にドップリつかっていると、どうしても甘えは生じてしまう。
みんなと同じでないと排除されるのだから、みんなと合わせるしかない。
だから、合わせる。合わせるには何が必要かと言うと、のっぺりとした、平穏な関係だ。
そういった平穏な関係に、一歩ひいいた視点、立ち位置はやはり好まれず、
ベタベタした、気さく過ぎる関係が好まれる。
そこで人は他者は自分とそんなに変わらない人間なのかもしれないと勘違いし、(個人が見えにくくなるから)
依存し、最終的に甘える。
以上二つの例で言いたかったことは日本にはマズ個人と言う概念が発生しにくく、また村的共同体のマインドにより、甘えはとても起こりやすい、ということで、それすなわち日本人には甘えたがるやつがいっぱいいるんじゃないかなぁ、と思うことの証明である。
だが、僕は甘えが絶対的に悪だとは言わないし、言えない。
確かに、だらだら甘えて、ストレスを発散させるのも気持ちいい。
愚痴を訊いてもらう、というのも考えてみれば一種の甘えかもしれない。
相手が聴きたくないのに、自分のエゴだけで発散しているのだから。
また、付き合っているひとに別れを切り出され、その上もう絶対に関係は修復しないことは分かっていて、何度も引きとめようと説得することも、甘えなのかもしれない。
それは相手に対しての、というよりも主に自分に対しての、だが。
しかし、厳しい現実をうけりれるのはツライコトだ。
「甘え?くだらん!反吐が出る!」
というのは簡単だ。
だが、なぜ甘えが生じるのか、と考え、そしてその原因がどうしようもなく切実だった時、
甘えは心の平穏のため、時に必要となる。
まぁ基本的に甘えたり、依存する人間はうざいと思って、いままでそういった人間を徹底的に下に見ていたが、これからはもうちょっと大らかな視点を持とうと思う。
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別れのstoryは突然に。
2006年11月27日 エッセイ笑えよ、みんな、
今日俺彼女にふられたんだ…。
めっちゃ好きだった。心のそこから。
彼女と結婚だってしたかった。
彼女の笑顔が俺の心を和ませたし、
彼女を不幸にさせるものは全部殴り倒してきた。
でも、ふられた。
ハハハ、あー楽しいだろう?嬉しいだろう?
人の不幸は蜜の味。俺の周りには季節はずれの蟻がいっぱいいるよ☆
あー楽しい。
彼女にふられたというのに、友達と飲みにも行かず、
こうやって一人でブログにアップする記事を
バチバチ書き込む自分が楽しい。
彼女は俺が最初の彼氏だったらしく、
それに小中高とお嬢様系の女子高に通っていて、
男性との係わり合いが殆どなかったそうだ。
俺たちの通っている大学は共学なので、
一回生の彼女にとって、多くの男性と過ごす日々はこれが始めてで、とても緊張していたらしい。
今でもまだ慣れる事はないそうだ。
そのうえ、彼氏がいる、という事実だけで、
なぜかは分からないが、彼女にとって非常なプレッシャーになっていたらしい。
また、彼女は独りでいることが何よりも好きらしく、
例えば友達とつるむのも、群れからはじき出されないため、仲間はずれにされないため、という理由らしい。
心のどこかで、一人になりたい、と思ってしまうらしいのだ。
それはやはり彼女が一人でいること安心できる、というマインドからのものだ。
それで、男性である俺と付き合うことと、デート等で一人でいる時間の減少により、
彼女は俺といて「楽しい。」と感じることが出来にくくなったらしい。
まったくそう思わないのではなく、ただ心のどこかでそういったプレッシャーがあり、それが付き合うことへの躊躇いに繋がり、最終的に自己の平穏をチョイスし、俺に別れを告げた、ということなのだろう。
俺自身、世の中には沢山の人がいるし、そういう人もいていいと思う。
だが、そういう考えもしないケースが突如として現実となり、自分に対峙した時、やはり驚くし、信じたくないし、そういう特異な人なんかいなければいい、そうみんなフツーでいてくれよ!と思ってしまう。
分かれの直接的な原因を俺は作っていない。
例えば喧嘩もしていないし、浮気もしていない。
ただ、一方的に彼女が嫌になったらしい。
俺は、現実とはかくも自分の思い通りに行かないものなのか、と痛感した。
無論、情けないけれども何度も別れないで、もっと君といたい。
というようなことは言った。
どれほど自分が君を好きか。
好きになる事により、どういう気分になれたか。
その気分がそう実生活に影響したか、しなかったか。
それら全てがエゴに塗れ、品がなく、相手にとってはどうでもいい情報である、ということは承知していた。
だが、想いは伝えておきたかった。
君を愛した男は、これほどまでに君に熱中したのだと。
そして君には,少なくとも俺みたいなしがない学生を、虜にする魅力があるのだ、と。
そして、そういった発言をいくらしても、彼女の決意は決して揺らぎをみせなかった。
思い起こせば、知り合う前から彼女は筋の通った人で、一度決めたことは曲げようとしなかった。
今回も一貫して「別れる」というスタンスにのっとり話を進め、
決して「どうしようか、迷っている。」といった曖昧な態度、発言はしなかった。
それが哀しくもあり、また、彼女の魅力でもあるので、俺ときたらどんな気分になればいいのか分からなかったが、やっぱり哀しいものは哀しかった。
走馬灯のように、彼女といた時、彼女の笑顔、泣き顔、お気に入りの鞄、僕がプレゼントしたツボ押し棒、猫のキーホルダー、共に歩いた公園などなどがグルグル頭の中を駆け巡る。
俺が何をしたというのだろう?
こんなにも愛したのにどうして、というのは甘えなのだろうか。
うん、甘えだ。
世間、他人の考えていることなんて所詮分からないし、
自分の思い通りに物事が運ぶ人生なぞ、ありえない。
だが、その他人の考えに翻弄され、そして手厳しい仕打ちを受けた時、人は甘えを欲し、そして自分様を主張したくなる。
俺は今、哀しい。そして、俺をこんなに惨めな気持ちにした彼女が、どうしようもなく、愛おしい。
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今日俺彼女にふられたんだ…。
めっちゃ好きだった。心のそこから。
彼女と結婚だってしたかった。
彼女の笑顔が俺の心を和ませたし、
彼女を不幸にさせるものは全部殴り倒してきた。
でも、ふられた。
ハハハ、あー楽しいだろう?嬉しいだろう?
人の不幸は蜜の味。俺の周りには季節はずれの蟻がいっぱいいるよ☆
あー楽しい。
彼女にふられたというのに、友達と飲みにも行かず、
こうやって一人でブログにアップする記事を
バチバチ書き込む自分が楽しい。
彼女は俺が最初の彼氏だったらしく、
それに小中高とお嬢様系の女子高に通っていて、
男性との係わり合いが殆どなかったそうだ。
俺たちの通っている大学は共学なので、
一回生の彼女にとって、多くの男性と過ごす日々はこれが始めてで、とても緊張していたらしい。
今でもまだ慣れる事はないそうだ。
そのうえ、彼氏がいる、という事実だけで、
なぜかは分からないが、彼女にとって非常なプレッシャーになっていたらしい。
また、彼女は独りでいることが何よりも好きらしく、
例えば友達とつるむのも、群れからはじき出されないため、仲間はずれにされないため、という理由らしい。
心のどこかで、一人になりたい、と思ってしまうらしいのだ。
それはやはり彼女が一人でいること安心できる、というマインドからのものだ。
それで、男性である俺と付き合うことと、デート等で一人でいる時間の減少により、
彼女は俺といて「楽しい。」と感じることが出来にくくなったらしい。
まったくそう思わないのではなく、ただ心のどこかでそういったプレッシャーがあり、それが付き合うことへの躊躇いに繋がり、最終的に自己の平穏をチョイスし、俺に別れを告げた、ということなのだろう。
俺自身、世の中には沢山の人がいるし、そういう人もいていいと思う。
だが、そういう考えもしないケースが突如として現実となり、自分に対峙した時、やはり驚くし、信じたくないし、そういう特異な人なんかいなければいい、そうみんなフツーでいてくれよ!と思ってしまう。
分かれの直接的な原因を俺は作っていない。
例えば喧嘩もしていないし、浮気もしていない。
ただ、一方的に彼女が嫌になったらしい。
俺は、現実とはかくも自分の思い通りに行かないものなのか、と痛感した。
無論、情けないけれども何度も別れないで、もっと君といたい。
というようなことは言った。
どれほど自分が君を好きか。
好きになる事により、どういう気分になれたか。
その気分がそう実生活に影響したか、しなかったか。
それら全てがエゴに塗れ、品がなく、相手にとってはどうでもいい情報である、ということは承知していた。
だが、想いは伝えておきたかった。
君を愛した男は、これほどまでに君に熱中したのだと。
そして君には,少なくとも俺みたいなしがない学生を、虜にする魅力があるのだ、と。
そして、そういった発言をいくらしても、彼女の決意は決して揺らぎをみせなかった。
思い起こせば、知り合う前から彼女は筋の通った人で、一度決めたことは曲げようとしなかった。
今回も一貫して「別れる」というスタンスにのっとり話を進め、
決して「どうしようか、迷っている。」といった曖昧な態度、発言はしなかった。
それが哀しくもあり、また、彼女の魅力でもあるので、俺ときたらどんな気分になればいいのか分からなかったが、やっぱり哀しいものは哀しかった。
走馬灯のように、彼女といた時、彼女の笑顔、泣き顔、お気に入りの鞄、僕がプレゼントしたツボ押し棒、猫のキーホルダー、共に歩いた公園などなどがグルグル頭の中を駆け巡る。
俺が何をしたというのだろう?
こんなにも愛したのにどうして、というのは甘えなのだろうか。
うん、甘えだ。
世間、他人の考えていることなんて所詮分からないし、
自分の思い通りに物事が運ぶ人生なぞ、ありえない。
だが、その他人の考えに翻弄され、そして手厳しい仕打ちを受けた時、人は甘えを欲し、そして自分様を主張したくなる。
俺は今、哀しい。そして、俺をこんなに惨めな気持ちにした彼女が、どうしようもなく、愛おしい。
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相手を煙に巻く方法。
2006年11月21日 エッセイ
どうも、戦後まれに見る屑こと盛男です。
今日も今日とて相変わらず包茎です!
そんな屑の僕でも中学生のころは神童と呼ばれておりまして、
例えば普段の会話で、
「今年のウインターベイケイションはなにをしようか未だに予定が未定だよ。」
などと本格的なイギリス語を織り交ぜながら神童の片鱗をボンクラのド餓鬼に見せ付けておりました。
「ふつーに冬休みってゆうたらええやん!」
と言われても、
「僕も時世が国際社会だということは自認しているからね。
時代は英語。トレンドはガンガンとりこんでゆく。
これが僕のやり方さ。」
と国際化の意味もまったく分からず雰囲気だけで喋っていました。
ちなみにいまだに国際化の意味がよく分かりません。要するにアメリカマンセーなんでしょうか?
しかし田舎のド餓鬼はそういう意味の分かりづらい、それでいて高尚な雰囲気のあるオピーニオンに無条件に弱いので、
「さすが盛男や。やっぱり一味ちゃうわー。」
と何も考えず得心。僕もますますつけあがる。
「はは、でも決して日本の文化も忘れてはいけないと思うよ。
日本には素晴らしい文化がたくさんある。
それらへのリスペクトのマインドを 忘れてしまうと、
その瞬間、 我々は日本人ではなく、ただの模倣者に成り下がっ てしまう。
大事なのは、バラーンスさ。」
「でもそう考えると、日本語の中に英語を入れるのは間違ってる んやないの?
文化をリスペクトするなら、日本語はきちんと使わんとアカン やん。」
(グッ!痛いとこを!)と心の中では痛恨の叫び。
しかし神童と呼ばれる盛男。ここはそんな意見など全力で反駁。
「たしかに。だが今僕が試みているのは実験のようなものさ。
日本語とイギリス語のハーモニー。これの実験。
目的はいわずもがな日本文化と英語の融合。
今のところ結果は出てない。結果は乞うご期待。」
「なんかはぐらされたみたいでアレやけど、まぁ実験がんばりやー。」
「センキュー。」
とまぁこんなことが中学時代にあったのですが(神童はウソ。ホントはただのチン棒)、
実際は本で読んだ断片的な知識を適当に散りばめ、
相手を煙に巻いているだけであります。
この相手が知らないと思われることをベラベラっと喋り、相手を煙に巻く、という方法はなかなかどうして自分の主張を通すときに使えます。
人は自分が知らないことに関しては不安を感じるもので、その不安に対してプレッシャーをかけると、存外簡単にへこたれてしまうものです。
そしてなぜか、その自分が知らないことを知っている人がとても物知りで、立派な人に思えてしまいます。
本当は適当なことを喋っているかもしれないし、喋っている内容も薄いかもしれないというのに。
例えば教師が典型的な例かもしれませんね。大なり小なり人には教師に対する尊敬の気持ちはあると思うのですが、
そのマインドを構成する要素の一つに、その教科を教えてくれたから、というものがあると思います。
それは僕たちがその科目に対して殆ど無知で、その無知の前では教師の持っている知識量はどうしても膨大なものに見えてしまい、
「くそ、こいつはこの科目に関しては教師なだけあってスゲーな…。それに比べ俺ときたら…。」
と自分を卑下してしまうことになります。
そして教師はもとからある年上である、社会的にそこそこのポジションである、知識はある、ということで生徒を問答無用で抑圧しようとするのです。
また上述の「年上、社会的ステータス」も全ては知識がある、年下よりも経験がある、という暗黙の了解のもと尊敬に値するとされているのです。
つまりは得体知れない知識とやらが人間に権力を待たせるわけですね。
ということで、人を言い負かしたいとき、尊敬されたいときはとにかく情報、知識が重要になってくることは分かってもらえたと思います。もちろん、論理的にそれを並べる必要もありますが。
まぁ僕は特にこれといって誇れるような知識も経験もありません。
それゆえ屑なのですが、まぁただひとつ誇れるものといえば、
この年(20歳)まで童貞を守り通してきた、というところですかね。
素晴らしい学者、知識人でもなかなか童貞を貫徹して守りきっている人はいないのではないでしょうか?
彼らは一時の快楽におぼれた。
それはマン濡って何?っつーウブな心を失ってしまい、性交にたいする心踊るような期待感を忘れてしまった、
という点で大きな損失であることに疑いの余地はありませんよね?
ですから、これから僕が人に議論をふっかけるとき、ふっかけられたとき、
「君は童貞かい?」
と訊き、その上で相手が「違うよ。」
と答えたら、
「君は僕とは分かり合えない存在のようだ。
大切な童貞をおいそれと失った君と、
それを断固守り続けている僕とは、あまりに価値観が違いすぎるに決まってるからね。」
といい、かっこよく煙に巻いてやろうと思います!
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今日も今日とて相変わらず包茎です!
そんな屑の僕でも中学生のころは神童と呼ばれておりまして、
例えば普段の会話で、
「今年のウインターベイケイションはなにをしようか未だに予定が未定だよ。」
などと本格的なイギリス語を織り交ぜながら神童の片鱗をボンクラのド餓鬼に見せ付けておりました。
「ふつーに冬休みってゆうたらええやん!」
と言われても、
「僕も時世が国際社会だということは自認しているからね。
時代は英語。トレンドはガンガンとりこんでゆく。
これが僕のやり方さ。」
と国際化の意味もまったく分からず雰囲気だけで喋っていました。
ちなみにいまだに国際化の意味がよく分かりません。要するにアメリカマンセーなんでしょうか?
しかし田舎のド餓鬼はそういう意味の分かりづらい、それでいて高尚な雰囲気のあるオピーニオンに無条件に弱いので、
「さすが盛男や。やっぱり一味ちゃうわー。」
と何も考えず得心。僕もますますつけあがる。
「はは、でも決して日本の文化も忘れてはいけないと思うよ。
日本には素晴らしい文化がたくさんある。
それらへのリスペクトのマインドを 忘れてしまうと、
その瞬間、 我々は日本人ではなく、ただの模倣者に成り下がっ てしまう。
大事なのは、バラーンスさ。」
「でもそう考えると、日本語の中に英語を入れるのは間違ってる んやないの?
文化をリスペクトするなら、日本語はきちんと使わんとアカン やん。」
(グッ!痛いとこを!)と心の中では痛恨の叫び。
しかし神童と呼ばれる盛男。ここはそんな意見など全力で反駁。
「たしかに。だが今僕が試みているのは実験のようなものさ。
日本語とイギリス語のハーモニー。これの実験。
目的はいわずもがな日本文化と英語の融合。
今のところ結果は出てない。結果は乞うご期待。」
「なんかはぐらされたみたいでアレやけど、まぁ実験がんばりやー。」
「センキュー。」
とまぁこんなことが中学時代にあったのですが(神童はウソ。ホントはただのチン棒)、
実際は本で読んだ断片的な知識を適当に散りばめ、
相手を煙に巻いているだけであります。
この相手が知らないと思われることをベラベラっと喋り、相手を煙に巻く、という方法はなかなかどうして自分の主張を通すときに使えます。
人は自分が知らないことに関しては不安を感じるもので、その不安に対してプレッシャーをかけると、存外簡単にへこたれてしまうものです。
そしてなぜか、その自分が知らないことを知っている人がとても物知りで、立派な人に思えてしまいます。
本当は適当なことを喋っているかもしれないし、喋っている内容も薄いかもしれないというのに。
例えば教師が典型的な例かもしれませんね。大なり小なり人には教師に対する尊敬の気持ちはあると思うのですが、
そのマインドを構成する要素の一つに、その教科を教えてくれたから、というものがあると思います。
それは僕たちがその科目に対して殆ど無知で、その無知の前では教師の持っている知識量はどうしても膨大なものに見えてしまい、
「くそ、こいつはこの科目に関しては教師なだけあってスゲーな…。それに比べ俺ときたら…。」
と自分を卑下してしまうことになります。
そして教師はもとからある年上である、社会的にそこそこのポジションである、知識はある、ということで生徒を問答無用で抑圧しようとするのです。
また上述の「年上、社会的ステータス」も全ては知識がある、年下よりも経験がある、という暗黙の了解のもと尊敬に値するとされているのです。
つまりは得体知れない知識とやらが人間に権力を待たせるわけですね。
ということで、人を言い負かしたいとき、尊敬されたいときはとにかく情報、知識が重要になってくることは分かってもらえたと思います。もちろん、論理的にそれを並べる必要もありますが。
まぁ僕は特にこれといって誇れるような知識も経験もありません。
それゆえ屑なのですが、まぁただひとつ誇れるものといえば、
この年(20歳)まで童貞を守り通してきた、というところですかね。
素晴らしい学者、知識人でもなかなか童貞を貫徹して守りきっている人はいないのではないでしょうか?
彼らは一時の快楽におぼれた。
それはマン濡って何?っつーウブな心を失ってしまい、性交にたいする心踊るような期待感を忘れてしまった、
という点で大きな損失であることに疑いの余地はありませんよね?
ですから、これから僕が人に議論をふっかけるとき、ふっかけられたとき、
「君は童貞かい?」
と訊き、その上で相手が「違うよ。」
と答えたら、
「君は僕とは分かり合えない存在のようだ。
大切な童貞をおいそれと失った君と、
それを断固守り続けている僕とは、あまりに価値観が違いすぎるに決まってるからね。」
といい、かっこよく煙に巻いてやろうと思います!
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包茎の人に向けての朗報
2006年11月21日 エッセイ コメント (3)日本人の約7割が包茎らしい。
どうやって調べたのかは定かではありませんが、
まぁとにかく、貴方が包茎であったとしても、さほど心配する必要はない、ということですね…、
と言うとでも思ったらコレ、大いなる間違いですよ。気を引き締めて下さい!
いいですか?まず包茎初心者のかたに、一口に包茎と言っても、幾つか包茎には種類があるということを知っておいてもらいたい。
1>仮性包茎
チンコロを剥いたら亀頭さんがコンニチハする包茎。
大抵の日本人がコレに該当するらしい。
2>カントン包茎
包皮口が狭いことに起因し、亀頭さんが皮に締め付けられる包茎。
こいつあ危険。早急な手術が必要である、という報告が学会から提出されているとかいないとか。
3>真性包茎
亀頭さん?なんすかそれ?俺のちんこにそんなものねーんすけど!って思った人、君は残念ながら真性包茎かもしれない。早急にチンコをムキムキするか、それが不可能ならば、上野クリニックに直行してくださいね。
とまあ包茎には幾つか種類があることが分かってもらったと思う。
そして、もし貴方が包茎でないことが分かったなら、ここから立ち去ってほしい。
僕たち包茎の男は、君たちのようなムケチンと関わりたくないんだ…。
というか下に見ているからね、君たちムケチンを。
なんですか、剥けてるからって僕らを見下そうったってそうはいきませんもんね。
いつも亀頭を露出させ、そしてその状態に満足しているなんて、変態そのものだということを自認してもらいたい。
そして、マナーがなってないですよね。
人前だと言うのに、ブーメランパンツの中では亀頭をボローンと丸出ししているわけでしょ、彼らは。
人前では衣類を着用する。その常識すら彼らの陰茎は守れないのであるから、実に非礼であると言って問題ない!人間として、男性器としての最低限度のマナーは守ってもらいたい。
であるから、そんな無礼千万な非包茎ヤローを下に見ているのですが、実際はただ羨ましいだけじゃ!!!
あーえーなぁ包茎じゃなくて…。どうせオチンコもぶっといんでしょーねー。直径20cmはあるんでしょーねー。
金タマは三つくらいあるんでしょーねー。
まぁそれは置いといて、
包茎のみなさん、
おチンコちゃーんと洗ってますか?
恥垢は溜まってませんか?
この恥垢というのが曲者で、あまり放っておくと、癌の原因にまなりますし、性病の原因にもなりますし、その上恥垢がパートナーのマンヌを病気にさせちゃうこともあるそうです。
恥垢はジメジメした皮の内側で繁殖しやすいため、
毎日毎日ガシゴシ磨いておかないと、どえらいことになります。
更に包茎であると刺激に敏感になりすぎ、早漏の原因となります。
挿れた瞬間「イった!!!」ってことにもなりかねません。
そうならないためにも、
ここは恥を忍んで、常時亀頭丸投げ作戦をおススメします。
この作戦の実施方法は極めてシンプルで、常に皮を剥いておく。
そしていつのまにか皮が亀頭に覆っているのに気付いた瞬間、直ちに、人目も憚らず剥く、というものです。
よく授業中などにポケットに手を入れてモゾモゾやってる人がいますよね。
ズバリ、彼はチン皮を剥いています。剥きたくっています。
そうすることにより外界からの刺激に亀頭様がお慣れになり、
早漏防止となるのです。
更に細菌は乾燥に弱いため、恥垢繁殖防止にも役立つと言う、とても素晴らしい方法なのです。
実際に僕もこの方法を試してみたところ、
早漏はなおるわ、道端で1000万円拾うわ、伸長が20cm伸びるわ、顔がディカプリオにそっくりになるわ、オナニーしたら精子ではなくて石油がでるわと良い事尽くめ!
みなさんも是非亀頭丸出し作戦にチャレンジしてみてくださいね!
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役に立った!と思ってくださった方、読んだだけで包茎が治った!という方、包茎だけど、逆に冬はあったかくてええのや!と思っている方、クリック宜しくタカスクリニック!。
どうやって調べたのかは定かではありませんが、
まぁとにかく、貴方が包茎であったとしても、さほど心配する必要はない、ということですね…、
と言うとでも思ったらコレ、大いなる間違いですよ。気を引き締めて下さい!
いいですか?まず包茎初心者のかたに、一口に包茎と言っても、幾つか包茎には種類があるということを知っておいてもらいたい。
1>仮性包茎
チンコロを剥いたら亀頭さんがコンニチハする包茎。
大抵の日本人がコレに該当するらしい。
2>カントン包茎
包皮口が狭いことに起因し、亀頭さんが皮に締め付けられる包茎。
こいつあ危険。早急な手術が必要である、という報告が学会から提出されているとかいないとか。
3>真性包茎
亀頭さん?なんすかそれ?俺のちんこにそんなものねーんすけど!って思った人、君は残念ながら真性包茎かもしれない。早急にチンコをムキムキするか、それが不可能ならば、上野クリニックに直行してくださいね。
とまあ包茎には幾つか種類があることが分かってもらったと思う。
そして、もし貴方が包茎でないことが分かったなら、ここから立ち去ってほしい。
僕たち包茎の男は、君たちのようなムケチンと関わりたくないんだ…。
というか下に見ているからね、君たちムケチンを。
なんですか、剥けてるからって僕らを見下そうったってそうはいきませんもんね。
いつも亀頭を露出させ、そしてその状態に満足しているなんて、変態そのものだということを自認してもらいたい。
そして、マナーがなってないですよね。
人前だと言うのに、ブーメランパンツの中では亀頭をボローンと丸出ししているわけでしょ、彼らは。
人前では衣類を着用する。その常識すら彼らの陰茎は守れないのであるから、実に非礼であると言って問題ない!人間として、男性器としての最低限度のマナーは守ってもらいたい。
であるから、そんな無礼千万な非包茎ヤローを下に見ているのですが、実際はただ羨ましいだけじゃ!!!
あーえーなぁ包茎じゃなくて…。どうせオチンコもぶっといんでしょーねー。直径20cmはあるんでしょーねー。
金タマは三つくらいあるんでしょーねー。
まぁそれは置いといて、
包茎のみなさん、
おチンコちゃーんと洗ってますか?
恥垢は溜まってませんか?
この恥垢というのが曲者で、あまり放っておくと、癌の原因にまなりますし、性病の原因にもなりますし、その上恥垢がパートナーのマンヌを病気にさせちゃうこともあるそうです。
恥垢はジメジメした皮の内側で繁殖しやすいため、
毎日毎日ガシゴシ磨いておかないと、どえらいことになります。
更に包茎であると刺激に敏感になりすぎ、早漏の原因となります。
挿れた瞬間「イった!!!」ってことにもなりかねません。
そうならないためにも、
ここは恥を忍んで、常時亀頭丸投げ作戦をおススメします。
この作戦の実施方法は極めてシンプルで、常に皮を剥いておく。
そしていつのまにか皮が亀頭に覆っているのに気付いた瞬間、直ちに、人目も憚らず剥く、というものです。
よく授業中などにポケットに手を入れてモゾモゾやってる人がいますよね。
ズバリ、彼はチン皮を剥いています。剥きたくっています。
そうすることにより外界からの刺激に亀頭様がお慣れになり、
早漏防止となるのです。
更に細菌は乾燥に弱いため、恥垢繁殖防止にも役立つと言う、とても素晴らしい方法なのです。
実際に僕もこの方法を試してみたところ、
早漏はなおるわ、道端で1000万円拾うわ、伸長が20cm伸びるわ、顔がディカプリオにそっくりになるわ、オナニーしたら精子ではなくて石油がでるわと良い事尽くめ!
みなさんも是非亀頭丸出し作戦にチャレンジしてみてくださいね!
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